
撮影:ST
きのう、社内情報共有サイトにアップロードされた写真。
期せずして連日手に入った手ごろな教材だ。
調子に乗って今日も講釈をたれてみたい。
よいシーンである。
しかし、撮影者にはわるいが、よい写真とは言えない。
とはいえ、よいシーンを切り撮っていることにまちがいはない。
ややこしい表現をしてもうしわけない。
基本的にはナイスショットだと思う。
なによりここには、現場人でなければ撮れない「愛」があるからだ。
だからなおさら、残念だなと思ってしまう。
まずはきのうの例と同様に、「横長」というところがよろしくない。
ここで撮りたいのは、ダウンザホールハンマーそのものと、それを操るクレーンオペレーター、そしてそれを見つめる人だろう。
いずれも、縦、縦、縦である。
縦長にしてやると対象がギュッと引きしまるはずだ。
そして、きのうと異なるのは、ダウンザホールハンマーの役割が単なる額縁ではなく、メインとなる対象のひとつだということである。
したがって、ハンマーの存在はしっかりと主張させなければならない。
とともに額縁効果も担っていただこう。
ということで、編集してみた。

全体的に引きしまった写真になったのではないだろうか。
しかし、オリジナルのよい部分がひとつ消えている。
ハンマーから噴きだす水しぶきは、オリジナルの方がよく表現されているからだ。
もう少しハンマーの位置を右に寄せてみるか?
そう思ったが、となると真の主役たる右の人物が切れてしまう。
(あ、あくまでも3:4という縦横比の上では、という括弧つきですが)
と、ある考えがアタマに浮かび、そっちを試してみることにした。

モノクロにすることで、上の写真よりは水しぶき感が増している。
そして、台風が接近する気配を感じながらの現場の厳しさ感が、白黒写真にすることで、そこはかとなく醸しだされているのではないか(これはまさにわたしの感覚でしかないんですが)。
とはいえ、1枚目と2枚目と3枚目、それぞれに長所と短所、そして異なる雰囲気があり。そのなかからどれを選ぶかは、きのうも書いたように、あくまでも好みだ。「写真を撮る」という行為は「写真を選ぶ」という行為でもある、とわたしが主張する所以のひとつがそこにある。
再度繰り返すが、エラそうにも「よい写真とは言えない」と評したオリジナルには、なによりもたいせつな「現場人の感性」があることで、けっして「わるい写真」となってはいない。それがわたしが言うところの「愛」である。
これに類する「感性」や「愛」は多くの現場人がもちあわせているはずだ。
だからなおさら思う。
現場人自らがそれをしないことは、あまりにももったいないと。
他者に頼むのもいい。
プロに頼むのも否定しない。
むしろ、そちらの方がよいものが残る確率は圧倒的に高いだろう。
しかし、だからといって、現場に身をおく人間ひとり一人がなにもしなくてよいというものではない。
他人まかせからでは、なにも生まれないのだから。
「そんな余計なことを」
と思うあなたは、たいせつなことに気づいていない。
なにより、そういった行為を繰り返すことが、土木という仕事にとってもっとも必要な「感性」を磨くことにつながり、それがあなたとあなたの環境を好転させていく力となり得ることを。
構造物という物をつくることだけがわたしたちの仕事ではない。
わたしたちの「モノづくり」は、いわば、「場づくり」のようなものである。
それが「土木」だ。
そんな「土木という道」を選択して歩いているのだもの、(狭義の)技術だけを追求する土木屋でいてもつまらない。
あらあら、いつものわるい癖で、ついつい論を大げさにしすぎてしまったようだ。
ま、そんなふうに考えながら「土木」という仕事をするのもたのしいよ、ということである。
騙されたと思って、いっちょ乗ってみてはどうだろうか。
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