あれはたしか、わたしが故郷を離れる直前だったか、いやいやそれとも一年目の帰省だったか、いずれにしても頃は春。それが十八か十九かという歳のちがいは、今となってはどうということもない。
誰の、かは皆目覚えていないが法事の席だった。
「おんしゃあ(おまえ)けっこう呑めるなあ」
とその時わたしに言ったのは祖母の兄。大伯父である。
「けんどにゃあ(けどなあ)」
という逆接を挟んでそのあとにつづいた彼の言葉、顔と口調は、それから四捨五入すれば50年が過ぎようとする今でもはっきりくっきりと覚えている。
「酒はなんぼのんでもえいけんど、酒にのまれたらいかんぞ」
「へーうまいこと言うもんやなあ」
と尊敬の眼差しを向けたであろうわたしは、広く世間一般に流布されたその言葉を、その時までまったく耳にしたことがなかった。
「酒はのんでものまれるな」
爾来それは、酒呑みとしてのわたしが自らを戒める言葉となり、ほとんどわたしの座右の銘のようなものだった。
その時なぜ、その言葉がわたしの心を打ったのか。とりもなおさずそれは、酒というものの魔性と危険性を経験則として肌で感じていたからに他ならない。
もちろん当時も今も、法的に酒を呑んでもよくなるのは満二十歳からである。しかしそれはあくまで日本国の法律であり、酒国土佐の昭和の慣例はそうではない。当時のわたしはすでにはっきりしっかりと、酒の魔性を体感していた。
慣例が法律を上回る。今となってはあり得ない、よいかどうかはわからないが古き昭和のあるあるである。
だからといって、それからのわたしが「のんでものまれるな」を忠実に実践できたかといえば、まことに残念ながらそれはない。
♪のんでのんでのまれてのんで♪
の繰り返しの果てに今がある。
だがあのときの大伯父の忠告は、いつもアタマの片隅にあった。
「酒はなんぼのんでもえいけんど、酒にのまれたらいかんぞ」
と書いてたった今、ひとつの疑念が生まれた。
「のむのはよいがのまれてはならない」という本来の意味を、「のまれない」を実現しさえすれば「なんぼのんでもえい」と曲解したゆえにその後の悪戦苦闘があったのではないか、ということである。
「なんぼでものむ」と「のまれない」は、そもそも両立するはずがないという当たり前に長いあいだ気づかず酒を呑んできた。
とはいえ気づいてからも・・・
まこと酒というやつは。