答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

あらためて「利他」(その1) ~ プロローグ~

2022年12月18日 | あらためて「利他」

 

約一年前から聴きはじめた落語を拙講の小道具として用いたことが何度かあった今年、使ったのはふたつ、一つは(桂米朝の)『百年目』で、もうひとつは(立川談志の)『文七元結』でした。

前者は「持ちつ持たれつ」、後者は「利他」について話を展開するための導入部として使ったのですが、といってもその回数は『百年目』の方が圧倒的に多く、『文七元結』はといえばたったの一度だけ、某県の若手現場技術者研修がその機会でした。

『文七元結』と「利他」。突飛な組み合わせのように思われるかもしれません。というより、落語好き(歌舞伎の演目としてもありますが)ならいざ知らず、そうでない人にとっては『文七元結』という噺の題名を聞かされてもピンとこないのがふつうでしょう。

といっても、いつものようにわたしオリジナルの知見ではなく、中島岳志『思いがけず利他』からの受け売りです。氏はそのなかで、ジャック・アタリの「合理的利他主義」が持つ危険性を再三指摘しています。アタリは、「利他的行為によってもっとも恩恵を受けるのは、その行為を行っている自己である」という「間接互恵システム」を説いています。つまり、「利他主義は最善の合理的利己主義に他ならない」「利他行為を善意から解放し、利己的なサバイバル術として運用すべき」というのがアタリの主張であり、他人の利益を図ることがひいては自分の利益となるというのが「合理的利他主義」です。

なぜ中島氏はそれがいけないと言うのか。それは、「合理的利他主義」が前提とするのが「未来の見返り」だからです。見返りとはすなわち「自分の利益」。求めはじめたが最後それは、容易く見返りの強要へとつながってしまいます。したがって真の利他とは、「無意識の利他=純粋利他」でなければならないというのが氏の説くところで、その「純粋利他」の代表格が『文七元結』、しかも立川談志が『文七元結』で演じた世界だというのです。

ー・ー・ー・ー・ー・ー

じつはこの稿、夏ごろ書き始めたのはよかったのですが、わたし自身の考えをまとめることができず、書いては消し書き直しては消しを繰り返し、とうとうお蔵入りとなっていたものでした。ところが、ひょんなことから思い出し(というか、じつはずっとアタマの片隅には引っかかっていたのですが)、この前からまた書いては消し消しては書きを繰り返しているうちに、あらためて『思いがけず利他』の要点をたどることを思いつくと、そこからもつれた糸がどんどんとほぐれていきました。

ということで、なんとか考えがまとまってきそうな気配。思い切ってアップロードしようと思いますが、どうやら長くなりそうなので、数回に分けることとします。

 

 

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