使えなくなった「ジェットタオル」。
見るたび思うのだ。
「コロナ後」はこいつをどうするのだろうと。
「感染の危険性があるから使わせないようにする=清潔ではない」だとすると、そのようなものを誰が使うのだろうかと。
いや、「喉元すぎれば」というやつで、使う人は一定数いるのかもしれないが、そのようなものを使用できるように設置しておくのはいかがなものだろうかと。
いかにも清潔好きであるかのようにそんなことを言うわたしはしかし、つい最近までハンカチなどというものを持ち歩く習慣もなかったような人間だ。
とても言えた義理ではない。
しかし、見るたび思うのだ。
これを機会にきれいさっぱり外せばよいのにと。
とはいえ、こうも思うのだ。
そんなとき、その清潔好きな国民性で世界に冠たるわが日本人のなかには、わたしのような凡人には考えもつかないようなアイデアで、ふたたびこいつを復活させる人間が登場するかもしれないなと。
たとえばそれは、乾燥と消毒用アルコールの噴射とがセットになったような・・・
いやいや、下手な考え休むに似たりだ。
凡人はただ粛々と、手洗いとアルコール消毒に励めばそれでよい。
状況は変化する。
変化に対応してなにをするか。
変化に対応せずになにもしないか。
人それぞれだ。
使えなくなった「ジェットタオル」。
なんだかやけに示唆的で、見るたびに、いつもいつでもなにかしらを考えさせられてしまうわたし。