昨年12月をもちまして、月刊『土木技術』が休刊となりました。
そこで、100年つづいた土木専門誌に敬意を表すとともに、感謝の意味を込めて、2015年7月、同誌に寄稿した拙文を加筆修正のうえ数回に分けて転載してみることとしました。今日はその2回目です。
前回はコチラ→『なぜ北川村にモネの庭?』
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クロード・モネ財団から承諾を得て、「モネの庭」の名称を無償で与えられたという経緯もあって、当初の庭づくりのコンセプトは、とにかく再現性にこだわったものでした。とはいえ、既に造成が完了していたワイナリー用地を、その時点からジヴェルニーの完全コピーとするのは不可能です。そこで、本家の庭を構成する3つの要素、「モネの家」「水の庭」「花の庭」をいかにしてこの地に再現するかに腐心した結果、下図のような配置になりました。
[ジヴェルニーのモネの庭にある園内図]
左上が入り口で「モネの家」、その前に「花の庭」、一般道の地下をくぐって「水の庭」へと至る。
北川村のモネの庭園内マップ(2015年当時)
ジヴェルニーでは建物(モネの家)を出るとそのまま「花の庭」へと入りますが、北川村では建物からデッキに出ると眼下に「花の庭」が広がるというロケーションになっています。また本家では地下道をくぐって行く「水の庭」が、ここでは丘を登った上にあるというのも、その配置上で大きく異なるところです。
そのようなことを考えると、ジヴェルニーにある庭を北川村で再現するという表現は適切ではないのかもしれません。しかし、「再現性の追求」とは、何も姿形をコピーすることのみにはとどまりません。「北川村モネの庭」では当初から、「モネのエスプリ(※)」を意識した庭づくりが進められており、その象徴ともいえるのが「青い睡蓮」でした。
43歳になってからジヴェルニーに居を構えたモネは、自らの手で作庭すると同時に、その庭を対象とした数々の絵画を、亡くなる寸前まで描きつづけました。そのなかで最も有名なのが睡蓮の連作です。その作品群の中には「青い睡蓮」を描いたものもあるのですが、じつは本家の池には「青い睡蓮」がありません。
睡蓮には温帯性のものと熱帯性のものとがあり、「青い睡蓮」は熱帯性にあたります。フランス北西部ノルマンディー地方に位置するジヴェルニーでは、その気候特性から熱帯性の睡蓮が育てることができませんでした。つまり、モネの「青い睡蓮」は、ジヴェルニーでは見たくても見ることができなかった睡蓮を、想像上で描きあげた作品だったのです。北川村では、その「青い睡蓮」の苗をフランスの植物園から購入し、咲かせることに成功。モネが描いた「青い睡蓮の池」を現実のものとしました。
青い睡蓮(熱帯性)
右下にある白は温帯性睡蓮
開園当初は「マネの庭」などと揶揄されることも多かった北川村の「モネの庭」ですが、その実際は、一貫して単なるコピーにとどまらない表現を模索しながら庭づくりをしていったのです。
※エスプリ
仏語。esprit.
精神、知性、霊魂、心のはたらき。
物質(matiere)と対比される。