金平糖
京さんから頂いて来ちゃいました
今年も思い出のお雛様を飾りました。
お友達が私の母にと作ってくれたお雛様です。
今は私のお雛様です。
「三味茶屋」
今日、年中行事2回目の「おんな講」が三味茶屋で執り行われました。
「おんな講」ってな~にと疑問に思ったものですから、当地にもこの様
な行事が何時の頃か解りませんが明治時代、大正、昭和の時代
大切に守ってこられた行事である。
最近は地区の女の人の親睦会、美味しいお料理を頂きながら
日頃お話も出来ない人と語り合い、情報交換をしたりして賑やかな
一時を過ごします。
お歳を召した方は若い人からパワーを貰い、若いお嫁さんは、先輩
から経験豊かなお話を聞き、貴重な集まりでした。
私は、馬鈴薯を植えるときは石灰は散布しないで植えるんだよ。
と言う話に耳を傾けました。
年輩の方は、若いお嫁さんの花柄のお洋服をみて、「わしゃ、あんた
の着てる洋服が着てみたいよ」と目をクリクリしていう先輩の方が
とっても印象的でした。
前々回の時の、先輩のおばあちゃんは今日は欠席でしたが、ちょっと
気になりましたが、その時、手を繋いだおばあちゃんの温もりが
今でも残っています。
あ~又手を繋いで歩きたいなと思いました。
★↓はよそからお借りしてきました記事です
おなん講(女講)
農家の妻たちは大変でした。東郷町山田上地区の「おんな講」(女講)は、
一家の主の夫たちがそうした日頃の妻たちの苦労に感謝し併せてその年の
豊作を喜びあう行事なのです。
講当日、座元(ぬしどん)の家で、前年と翌年の座元(ぬしどん)の主人2人
が女装して給仕にあたります。妻たちは何もしなくてよく、ただ座して男たちの
手料理を頂きます。女性の着物をきて、顔は白粉で化粧。頭はほおかぶりで、
給仕にあたる男の姿は笑いを誘います。かって、男尊女卑と言われた国にしては、
なんて男たちの優しい、ユーモラスな行事でしょうか。
かって男尊女卑の国と言われた鹿児島県。
その鹿児島県に江戸時代から伝わるユニークな行事が残っています。
鹿児島県東郷町山田上地区で継承されている「おなん講(女講)」です。
山田上地区の妻たちは、稲刈りが終わって一息ついた10月中旬の一日を
「上げ膳据え膳」で過ごします。
その年の回り番になった座元(ぬしどん)は、講の前日になると、講仲間の
家から野菜などの食材を集め、料理の準備に取りかかります。献立は、
にわとい(にわとり)のしめもん(煮しめ)などの鶏料理と子宝を願う
里芋の田楽などです。
お伊勢講
鹿児島南薩摩では、お伊勢講行事・祭りが比較的多く残っている。
昔はお伊勢参りに個人で出かけるのはとても無理で、みんなから少しづつ
集めたお金をプールしくじ引きで、代表が参拝する講という組織を作った。
関東でも、富士講という組織があって富士山登山をするための組織・団体
のようなものがある。この講とは本来は講話に代表されるよう、
仏典の講説の為の僧の会合とか、寄り合いのことを言ったもの。
ネズミ講と言うのもある。鹿児島の一部で今も”おんな講”という、
年1回主婦をねぎらうための行事がある。地域社会を母体に、信仰
経済などの集まりをこの講と呼んでいるのだ。この伊勢講は、だんだん
お伊勢参りよりも、集落の祭、行事として定着して、リクリエーションの
少なかった昔の、村の楽しみの一つとして残っていったのではないだろうか。
それには、信仰を崇拝し、五穀豊穣を祈り、元服行事としても利用したり
色んな要素が入り込んで伝承されたもの。たまには焼酎も飲ンタカ、
踊っもオドイタカといった気運の盛り上がりもあったのだろう。
各集落の古老に何人も聞いたが、由来・歴史を詳しく知っている人は少ない。
ただ、昔から受け継がれて、それを行っていると言うだけが多かった。
(独断と偏見の個人的感想あり)
★以上↑はよそからお借りしてきました
余談
読み進んできますと当地には4月29日には「荒井講」と言って
観光バス3台で子の権現参りが年中行事になってます。
因みに私も今年で13回目になります。今年ももうすぐです。
3月下旬には日高市のぽっくり寺参りもあります。
90歳までは頑張るって言ってる先輩がいますが