ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

夕暮れ

2007年08月22日 | Weblog
昨日の深夜、久しぶりの過食をした。
悪魔にでもとり付かれたように、パジャマからティーシャツ、短パンに着替え、2件隣りのコンビニに走り、サンドイッチとロールケーキを買って、家に帰ってむさぼり食べて、物凄い恐怖にとり付かれた。

「ああ、また食べてしまった!内科の先生に怒られる!精神科の先生にも、弱いやつだと怒られる!」

夜中の1時だというのに、恩師の先生に電話をし、牧師先生にメールをし、母をたたき起こして叫んだ。


「食べてしまった!食べてしまった!食べてしまった!」


恩師の先生も、牧師先生にも、そして母にとっても迷惑な話である。
恩師の先生は「大丈夫よ、大丈夫よ。まず食べたら休みなさい」と、真夜中の電話にも怒らず、慰めて下さった。母も同じだった。「一回くらい食べても大丈夫。大丈夫だから。な。休め」

私は眠った。翌朝5時半に起き、母に今朝は休ませてくれと話し、最低限必要な薬を飲んでまた眠った。

ふと目を覚ますと、4時頃だった。
つけっぱなしの空調を切りたくても、身体が動かない。声を出す力も無い。
長い時間が経ち、なんとか起き、今日のディボーション(聖書を読んでの霊想の時や、その聖書箇所を指す)を読んだが、頭に入らない。心が受け付けない。

半狂乱の私にとっては、悪夢のような一日だった。

「ただいま」と外出していた母が帰って来た。
母との対話を通して、明日の精神科の通院が死ぬほど怖いのだと判った。
朝から何も食べていなかったのでお腹がすき、朝ご飯を食べた。(朝じゃないけどね)
私の大好きなシシャモ、きんぴら大根の煮物、納豆。どれも美味しかった。
食べ終わった後、食器を洗って、夕飯のお米を砥いだ。

頭は働かないのに、結構いろいろできるもんだと思った。いや、できるようになったなあーと、なんだか、こんな辛い状況なのに動いてる自分がいとおしく、泣きたくなってきた。

二階の部屋に上がったら、ピッチの電話が鳴っている。
ここではあえてその人を「彼女」と記す。
彼女はここ数日の私の体調、心模様を心配して電話をくれたのだ。
正直、出るのが億劫だった。
彼女「シズコさん、今1分だけいいですか。私、どうしてもシズコさんに伝えたいの」
私「どうぞ」と言って耳を傾けた。
「私ね、昨日シズコさんにぴったりの聖書の言葉をプレゼントしたくて聖書を開いたの。そうしたらね、すぐ見つかったの。開いたページにあったの。あまりそれがシズコさんにぴったりで、私驚いてしまった!読んで良い?」

彼女が読んでくれた聖書箇所は、旧約聖書箴言23章、18節だった。

「確かに希望はある。あなたの希望が断たれることはない」

箴言とは「針の言葉」とも言い、英語ではProverbs(プロヴァーブズ)。ことわざ。格言。の意味。だから比較的厳しい言葉が多い。そう思っていた私には、こんな優しい言葉があるとは以外だった。その事を告げたら、彼女もそう思ったと言ってくれた。

「私もびっくりしたの。でも本当に聖書に書いてあるでしょう?神様がシズコさんにそう言ってる。だから、大丈夫。私、シズコさんのために祈っていい?」

彼女は祈ってくれた。電話を切る前に「また教会で会おうね」と言いあった。

そして今、夕暮れ。

私を包む夕暮れは優しい。

ゆっくり生きたいと思った。
自分を愛したいと思った。

ゆっくり休みたい。安らかに休みたい。
今でも、心の傷はうづいています。

けれど、こう思ったよ。

自分の人生が美しいものでありたい。

自分を愛し、人を愛する人生でありたい。

愛する事は、大切にすること。

そう思いました。

明日の精神科受診が、恐怖の時ではなく、癒しの時になりますように。

私のために祈って下さい。

お祈り下されば嬉しいです。

私のイエス

2007年08月22日 | Weblog
私のイエスは語らない
私のイエスは賛美しない
私のイエスは大きくない

私のイエスは
ただ
十字架に黙してはりつけにされている

日曜毎の
礼拝というにぎやかなお祭り
歌い、騒ぎ、声を出して祈り
終わった後は 「どうもどうも」
握手をして ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ喋り出す
お交わりという美名のもとに

主イエスは ただ
そんな私たちを
十字架から悲しげに
見ておられる

神様
これが
あなたの望まれたことですか?