一度書いてみたいなあと思っていました。代理母出産。
いろいろな事情でお子さんが授からない方が、子供を授かる一つの手段です。
我が家の読売の一面に、今日そのことについて書いてありました。
代理母出産を希望なさる女性には、子宮がない方、など、いろいろな理由があるらしいのです。
私は「もし、自分が子宮がなかったら、代理母出産を望んだだろうか?」と考えてみました。
おそらく、私は望まないと思います。
あくまで仮定でしかありませんが・・・・。
私は独身の頃から月経が不順だったので、結婚する相手には「子供が授かりにくいかもしれない」と言うことは告げなければいけないなと思っていましたし、実際告げました。
ここ山形ではまだ、長男の嫁に子供が与えられないというのは、宮内庁並みの(苦笑)厳しいところもあるんです。
けれど、結婚してなかなか子供が授からなくても、私は不思議に「体外受精」とかそういう発想は湧きませんでした。
お互い、産婦人科で検査を受けて「そこまでしなくとも良い」と者さんのお墨付きを貰ったからかもしれません。安心してたとこも、あったのでしょうね。
けれども、6年間の結婚生活で、夫婦で「なんとか子供を」と言う切羽詰った雰囲気はなかったような気がします。学校の教員としてつとめていて、生徒が自分の子供みたいに思っていたこともあったし、その前に私が鬱になってしまって、前の夫に心配をかけたということもあったでしょうし、実際今離婚してからは、子供が授からなかったのは天の配剤かもしれない、と真面目に感謝する気持ちでおります。
私は今年、42歳になります。
もし、今から結婚が与えられて、子供が与えられたら、間違いなく高齢出産です。
けれど、もし子供が与えられたら、一生懸命育てさせてもらいたいなー、いや、育てられるだけ私自身が大人になってるだろうか?と不安です。
私は、結婚相手、そして子供が与えられたら、どんなに嬉しく思うでしょう。
けれどもね。
与えられなくとも、叶えたい夢があります。
それは
「お母さんがいない子供のお母さんになる」ことです。
今年、南部教会ではまた新しい命が授かりました。
わたしは凄いと思うのですが、2000年に私が南部教会で洗礼を受けてから8年間ずっと、毎年一人ずつ、赤ちゃんが生まれているのです。
これは、私だけではなく、教会員みんなの喜びです。
私は残念ながら、この年齢まで子供は授かったことがないけれど、教会の中で、たくさんの子供と遊んでもらいました。そのまんま育児実習させてもらったようなもんです。
おんぶのしかた、かたぐるまのしかた、手の洗わせ方・・・etc。



お母さんは大変だあ~!と思いました。
でも楽しいなあ~と思いました。
明日は久しぶりに、教会に行きたいと思います。
明後日は山形県の公立試験の日です。
教会員の受験生Aちゃんに「がんばってね。祈ってるからね」と声をかけたい。
明日はさわやかに起きられますように
いろいろな事情でお子さんが授からない方が、子供を授かる一つの手段です。
我が家の読売の一面に、今日そのことについて書いてありました。
代理母出産を希望なさる女性には、子宮がない方、など、いろいろな理由があるらしいのです。
私は「もし、自分が子宮がなかったら、代理母出産を望んだだろうか?」と考えてみました。
おそらく、私は望まないと思います。
あくまで仮定でしかありませんが・・・・。

私は独身の頃から月経が不順だったので、結婚する相手には「子供が授かりにくいかもしれない」と言うことは告げなければいけないなと思っていましたし、実際告げました。
ここ山形ではまだ、長男の嫁に子供が与えられないというのは、宮内庁並みの(苦笑)厳しいところもあるんです。
けれど、結婚してなかなか子供が授からなくても、私は不思議に「体外受精」とかそういう発想は湧きませんでした。
お互い、産婦人科で検査を受けて「そこまでしなくとも良い」と者さんのお墨付きを貰ったからかもしれません。安心してたとこも、あったのでしょうね。
けれども、6年間の結婚生活で、夫婦で「なんとか子供を」と言う切羽詰った雰囲気はなかったような気がします。学校の教員としてつとめていて、生徒が自分の子供みたいに思っていたこともあったし、その前に私が鬱になってしまって、前の夫に心配をかけたということもあったでしょうし、実際今離婚してからは、子供が授からなかったのは天の配剤かもしれない、と真面目に感謝する気持ちでおります。
私は今年、42歳になります。

もし、今から結婚が与えられて、子供が与えられたら、間違いなく高齢出産です。
けれど、もし子供が与えられたら、一生懸命育てさせてもらいたいなー、いや、育てられるだけ私自身が大人になってるだろうか?と不安です。
私は、結婚相手、そして子供が与えられたら、どんなに嬉しく思うでしょう。
けれどもね。
与えられなくとも、叶えたい夢があります。
それは
「お母さんがいない子供のお母さんになる」ことです。

今年、南部教会ではまた新しい命が授かりました。

わたしは凄いと思うのですが、2000年に私が南部教会で洗礼を受けてから8年間ずっと、毎年一人ずつ、赤ちゃんが生まれているのです。
これは、私だけではなく、教会員みんなの喜びです。
私は残念ながら、この年齢まで子供は授かったことがないけれど、教会の中で、たくさんの子供と遊んでもらいました。そのまんま育児実習させてもらったようなもんです。

おんぶのしかた、かたぐるまのしかた、手の洗わせ方・・・etc。




お母さんは大変だあ~!と思いました。

でも楽しいなあ~と思いました。

明日は久しぶりに、教会に行きたいと思います。
明後日は山形県の公立試験の日です。

教会員の受験生Aちゃんに「がんばってね。祈ってるからね」と声をかけたい。
明日はさわやかに起きられますように
