久しぶりのブログで緊張!
あ、ばあちゃん、だいぶ元気になりました!お祈りありがとうございます!
月曜日電話が来て「モニター室に入ったらしいから、行ってくる」と母が行った。
「やっぱり、弱ってきてるのかな?」とちょっとがっかりしたら、そうではなくて、心電図みたいなのをつけただけだった。部屋も移動してないと言う。そして一昨日母が行ったら、なんとベッドに自力で起きて、正座してニコニコ笑っていたと言う。これにはさすがにみんなびっくり!でも
神様祈りを聞いてくださったんだなあ~と思いました。
神様、祈ってくださった皆様、ありがとうございます。
私も、不思議なくらい今週は教会に行けた。
日曜日の礼拝も、市民クリスマスも、とても楽しかった。
賛美が一杯あったからかも?私は歌うのが好きなんだなあ・・・と思いました。
けれど、今週半ば水曜日の祈祷会では、ちょっと疲れて頭がぼーっとしてました。
みんなで聖書を読んだんだけど、私はなんか心弱くて「なんだか辛いなあ」と思っていたら、突然次の聖句が耳に入ってきました。それはイザヤ書43節20節の聖句です。
野の獣、山犬や駝鳥も私をあがめる。
私はこれを聴いて、嬉しくなっちゃいました。だって私、駝鳥大好きなんだもん。
2002年のホサナ教会学校のキャンプで、朝日自然観に行ったときに初めて駝鳥を見て「でっかいけど、可愛い鳥だなあ」と思ったのがきっかけ。この間はNHKテレビ「ダーウィンが来た」で駝鳥の特集をやっていたのも観た。
「駝鳥と私走って競争したら、どっちが速いかなあ?」と思ってみてたら、なんと、駝鳥は時速70キロで走るんだと。
100m30秒以上かかって走る私が叶うわけが無い・・・・。
まあ、さておき、ちょっと聖書に「駝鳥もいるんだなあ」と書いてあるのを知って私は嬉しくなった。ところが今日のメッセージに入って、岡先生はこう仰った。
「駝鳥は旧約聖書のレビ記では『けがれた鳥』とされています。そして産んだ卵をほったらかしにしておくらしいです。」
「ええええっ!駝鳥は!そんな鳥だったのっ!?」
私はすっかり悲しくなった。その後、岡先生はメッセージを続けられたが、私は駝鳥はけがれた鳥~!とそこが頭に残ってまたぼーっとしてしまった。さて、メッセージが終わり、岡先生が祈られた。その後「皆さん、短く応答の祈りを導かれるままになさってください」と岡先生が仰った。皆さん祈り始められた。私はなんと!こういうときに限って三番目もう気持ちは駝鳥しかない。皆さんは立派に聖書の言葉から感じたままに祈られている。しかし、私の頭は駝鳥で一杯だった。もう「導かれたままに」祈った。(ぼーっとしてたから、少し違うかもしれないけど、ごめんね。)
「神様、今日は朝から頭がぼーっとして、聖書の言葉を聞いても良く入りませんでした。けれど駝鳥が出てきて、私は駝鳥が好きなので嬉しかったのですが、けがれた鳥だと聞いてがっかりしました。けれども『駝鳥も神様をあがめる』とあって少し安心しました。私は皆さんのように立派なお祈りは今日できません。こんな駝鳥のように愚かな私です。けれどもそんな愚かで弱い私でも神様は愛して下さって嬉しいです。神様、駝鳥のような私ですが、きよめて用いてください。このお祈りをイエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン」
ちょっと恥ずかしかったが、こう祈ったら「駝鳥と同じで愚かな私だけど、本当の気持ちでお祈りすると安心するなあ」と思いました。
祈祷会が終わって、となりの方に「あんなお祈りで恥ずかしかったです」と言ったら「正直で良かったよー。私、シズコさんのお祈りを聴いて安心したわ」と言って下さったので、ちょっと安心した。
食事の時岡先生も、「駝鳥も神様をあがめているから、大丈夫なんですよ」と優しく慰めてくださり、みんなで楽しく食事を頂いて帰ってきました。
今年のクリスマスくらい、自分の弱さを感じるクリスマスは初めてです。
けれど、その分、神様に凄く祈るようになった気がする。
天の父ちゃんに祈ると、一番帰って来る言葉は
「苦難の時は私を呼べ」
父ちゃんはいつも、山形弁で「シズコ~!苦しい時は俺さ言え!俺がいる!俺に任せろ!俺がついてっぞ!」と語ってくれる。
教会の皆さんは、本当の家族のように祈ってくださる。
本当の家族、母と弟はいつも優しい。
弱い私だけど、このまま弱いままで、クリスマスを迎えようと思います。
天の父ちゃん、よろしぐな!
クリスマス礼拝はいよいよ三日後です。
山形の南部教会さ、来てなー!
ちなみに、クリスマス礼拝!私が献金当番だったー!
献金当番は、会衆を代表して、献金の感謝のお祈りをしなくちゃいけないの。。
駝鳥の祈りはまずいべ・・・・。
父ちゃん、お祈りも、助けてな。
皆さん、良いクリスマスを
あ、ばあちゃん、だいぶ元気になりました!お祈りありがとうございます!
月曜日電話が来て「モニター室に入ったらしいから、行ってくる」と母が行った。
「やっぱり、弱ってきてるのかな?」とちょっとがっかりしたら、そうではなくて、心電図みたいなのをつけただけだった。部屋も移動してないと言う。そして一昨日母が行ったら、なんとベッドに自力で起きて、正座してニコニコ笑っていたと言う。これにはさすがにみんなびっくり!でも
神様祈りを聞いてくださったんだなあ~と思いました。
神様、祈ってくださった皆様、ありがとうございます。
私も、不思議なくらい今週は教会に行けた。
日曜日の礼拝も、市民クリスマスも、とても楽しかった。
賛美が一杯あったからかも?私は歌うのが好きなんだなあ・・・と思いました。
けれど、今週半ば水曜日の祈祷会では、ちょっと疲れて頭がぼーっとしてました。
みんなで聖書を読んだんだけど、私はなんか心弱くて「なんだか辛いなあ」と思っていたら、突然次の聖句が耳に入ってきました。それはイザヤ書43節20節の聖句です。
野の獣、山犬や駝鳥も私をあがめる。
私はこれを聴いて、嬉しくなっちゃいました。だって私、駝鳥大好きなんだもん。
2002年のホサナ教会学校のキャンプで、朝日自然観に行ったときに初めて駝鳥を見て「でっかいけど、可愛い鳥だなあ」と思ったのがきっかけ。この間はNHKテレビ「ダーウィンが来た」で駝鳥の特集をやっていたのも観た。
「駝鳥と私走って競争したら、どっちが速いかなあ?」と思ってみてたら、なんと、駝鳥は時速70キロで走るんだと。
100m30秒以上かかって走る私が叶うわけが無い・・・・。
まあ、さておき、ちょっと聖書に「駝鳥もいるんだなあ」と書いてあるのを知って私は嬉しくなった。ところが今日のメッセージに入って、岡先生はこう仰った。
「駝鳥は旧約聖書のレビ記では『けがれた鳥』とされています。そして産んだ卵をほったらかしにしておくらしいです。」
「ええええっ!駝鳥は!そんな鳥だったのっ!?」
私はすっかり悲しくなった。その後、岡先生はメッセージを続けられたが、私は駝鳥はけがれた鳥~!とそこが頭に残ってまたぼーっとしてしまった。さて、メッセージが終わり、岡先生が祈られた。その後「皆さん、短く応答の祈りを導かれるままになさってください」と岡先生が仰った。皆さん祈り始められた。私はなんと!こういうときに限って三番目もう気持ちは駝鳥しかない。皆さんは立派に聖書の言葉から感じたままに祈られている。しかし、私の頭は駝鳥で一杯だった。もう「導かれたままに」祈った。(ぼーっとしてたから、少し違うかもしれないけど、ごめんね。)
「神様、今日は朝から頭がぼーっとして、聖書の言葉を聞いても良く入りませんでした。けれど駝鳥が出てきて、私は駝鳥が好きなので嬉しかったのですが、けがれた鳥だと聞いてがっかりしました。けれども『駝鳥も神様をあがめる』とあって少し安心しました。私は皆さんのように立派なお祈りは今日できません。こんな駝鳥のように愚かな私です。けれどもそんな愚かで弱い私でも神様は愛して下さって嬉しいです。神様、駝鳥のような私ですが、きよめて用いてください。このお祈りをイエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン」
ちょっと恥ずかしかったが、こう祈ったら「駝鳥と同じで愚かな私だけど、本当の気持ちでお祈りすると安心するなあ」と思いました。
祈祷会が終わって、となりの方に「あんなお祈りで恥ずかしかったです」と言ったら「正直で良かったよー。私、シズコさんのお祈りを聴いて安心したわ」と言って下さったので、ちょっと安心した。
食事の時岡先生も、「駝鳥も神様をあがめているから、大丈夫なんですよ」と優しく慰めてくださり、みんなで楽しく食事を頂いて帰ってきました。
今年のクリスマスくらい、自分の弱さを感じるクリスマスは初めてです。
けれど、その分、神様に凄く祈るようになった気がする。
天の父ちゃんに祈ると、一番帰って来る言葉は
「苦難の時は私を呼べ」
父ちゃんはいつも、山形弁で「シズコ~!苦しい時は俺さ言え!俺がいる!俺に任せろ!俺がついてっぞ!」と語ってくれる。
教会の皆さんは、本当の家族のように祈ってくださる。
本当の家族、母と弟はいつも優しい。
弱い私だけど、このまま弱いままで、クリスマスを迎えようと思います。
天の父ちゃん、よろしぐな!
クリスマス礼拝はいよいよ三日後です。
山形の南部教会さ、来てなー!
ちなみに、クリスマス礼拝!私が献金当番だったー!
献金当番は、会衆を代表して、献金の感謝のお祈りをしなくちゃいけないの。。
駝鳥の祈りはまずいべ・・・・。
父ちゃん、お祈りも、助けてな。
皆さん、良いクリスマスを