ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

一句献呈♪

2009年04月15日 | 
美しく花々咲けど驕らずにただ開きたる花々美し

(うつくしく はなばなさけど おごらずに ただひらきたる はなばなうつくし)


追記:
私の父方の祖父(つまり、父親の父ちゃん)は、俳句や短歌を詠んでいた人らしいです。
だから、私が短歌もどきの歌を詠むのは、多分そのじいちゃんの影響かもしんない。(俵万智ちゃんの「チョコレート革命」が一番影響されたけど・・・

で、そのじいちゃんの話。
正直、父親が14歳の時に病死してるので、会った事も無いし、写真も余り無いので、よくわからない。
ただ、かなり妻であるばあちゃんとは仲が悪かったらしい・・・
なんでかっていうと、小さい時から我が家では、じいちゃんの話はタブーだったからだ。
祖母も父も一回も私に語った事は無いし、唯一伯母が「あんたのじいちゃんは、凄い怖い人だったんだよ。私たち(父の姉弟たち)は、すぐ「ごしゃがれ」て、シズコのお父さんなんか、冬の寒い時に、雪の中に放り投げられたんだからね!!」
と、語ってくれた事を思い出す。
今これやったら、児童虐待か?
・・・・困ったもんだ。
ちなみに・・・・さまざまな父方の親戚の話を聴くに「病身の故、働く事ができず、経済的な面は、祖母の働き(お針の先生でした。つまり、着物を仕立てる人のことね)で、まかなっていたらしいです。だから私の父は高校は夜間高校に行ってました。つまり昼働いて(土木工事を主にやっていたらしい・・・)その後夕方から山形工業高校の夜間に行って勉強し、なんと!部活動も!その後卓球をしっかりやってから帰宅してたんだと。「帰りに食う大福饅頭がうまかった」とは、実際の父から聞いて知っている。だから、私は自力で高校を卒業し、二回家を建てた(今私が住んでいる家は21年前に父が建てた二回目の家です。工業高校だから、図面なんか引くの凄く上手だった・・・。)父には、一生逆立ちしても叶わないです。 
父の娘である事を、誇りに思います。


だから・・・教員時代、卒業して山形工業に入った生徒さんが学校②遊びに来ると「あんた三光会(さんこうかい=山形県立山形工業高校の同窓会の名前)だべ?」と聞くと「先生、なして知ってんのや!?」ってたまげらったっけよ。知ってるのは、父が卒業生だからだよーん。

一句献呈が、妙に長くなっちまった・・・オヤスミナサイ