2/24(土)太田記念美術館を観たあと、骨董通りの一本裏にある南青山の「岡本太郎記念館」に行った。JAZZの「Blue Note Tokyo」から50m程しか離れていない場所にある。入場料¥600。岡本太郎のアトリエも公開されている。館内の写真撮影はOKだ。
岡本太郎と言えば1970年の大阪万博の「太陽の塔」が有名だが、自分にとっては「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」が使用していた「殺すな」の文字だ。これが1番重要だと思うのだが、記念館には飾っていないし、グッズもない。
岡本太郎が書いたロゴがモチーフになったこの「殺すな」の題字は、1967年4月3日付の米紙ワシントンポストに、ベトナム反戦の意見広告として載った。作家の小田実、哲学者の鶴見俊輔らが率いた「べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」の運動に協力し、岡本太郎が筆を執ったものだ。
『明日の神話・岡本太郎の魂(¥1,700)』(青春出版社)を購入したがこの本の中に「殺すな」文字について書かれてあった。しかし、この本の「岡本太郎・闘い続けた84年間(102頁~103頁)」の年表の中には、この事が記載されていない。
なぜこの文字が重要かというと、広島に原爆が投下されて18年目(1963年)に、岡本太郎は広島を訪問している。その時岡本太郎は2つ「おかしい」と感じたものがある。それは原爆が投下された日(8/6)に開催されている「平和記念式典」である。8月6日を記憶に留めて、毎年思い起こすのなら、「原爆」あるいは「被爆」という言葉を使うべきではないのか。「平和公園」と同じく、問題をすり替えている。
もう一つは慰霊碑に刻んである言葉である。「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」というものである。ここには主格がない。誰が過ちを犯し、繰り返さないと誓っているのかがわからない。さらに、この一文には「過去」と「未来」はあるが、「現在」の視点が欠けている。広島を訪れて5年後、岡本太郎はその答えを「明日の神話」で示すことになる。
「殺すな」文字がなぜ重要か。それは岡本太郎が「太陽の塔」と並ぶ、最大のメッセージ「明日の神話」の絵画に繋がっているからである、と私は考えるからである。「明日の神話」という絵画は、1969年メキシコの地に、縦5.5m、横30mにも及ぶ、巨大な壁画を描いた。日本万国博覧会の準備に追われる超多忙な日々の中で度々メキシコへ渡り「太陽の塔」と平行して制作したのである。
それが、「明日の神話」である。メキシコシティに建設中であった超高層ホテルのロビーを飾るはずであったその壁画は、あとはサインを入れるだけというところまで完成していた。しかし、ホテルは開業に至らず、やがて建物は人手に渡る。「明日の神話」は壁から外され行方が知れなくなった。「幻の傑作」と化した。
そして1996年1月7日、岡本太郎は亡くなり、消えた「明日の神話」はメキシコシティー郊外の建設会社の資材置き場に保管されていた。最悪の状態だったそうだ。発見・確認(2003年9月)と所有権移転の契約(2005年3月)、壁画の神戸港到着(2005年5/5)、愛媛県東温市の作業場で再生(2005年7/16)が始まった。2006年6/3完了。2006年7/8より東京汐留にて37年ぶりに一般公開された。「明日の神話」は原爆の炸裂する瞬間を描いた岡本太郎の最大、最高の傑作なのである。だからこそ「殺すな」のロゴが重要なのだ。原爆なんかに負けない、絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。
また、「明日の神話」とは別に、ホテルの大食堂に縦9m、横60mというさらに巨大な壁画の制作も依頼されていて、「豊饒の神話」と題された下絵だけが現存している。
「岡本太郎記念館」を出る前に係の人に、「明日の神話」は今何処にあるのか、聞いてみた。今は倉庫に保管してあるが、今年(2007年)4/27(金)~2008年4/13(日)まで、東京都現代美術館で再公開されるそうだ。ぜひ観に行かなくては。
岡本太郎記念館:http://www.taro-okamoto.or.jp/
〒107-0062東京都港区南青山6-1-19、TEL.03-3406-0801 FAX.03-3409-5404、休館日:火曜日(祝日の場合は開館)・年末年始(12/28~1/4)及び保守点検日、開館時間:10:00~18:00(入館は17:30まで) 、東京メトロ【銀座線】・【千代田線】・【半蔵門線】『表参道』駅より徒歩8分
岡本太郎「殺すな」ロゴの新聞記事
旧「ベ平連」運動の情報ページ:http://www.jca.apc.org/beheiren/index.html
東京都現代美術館:http://www.mot-art-museum.jp/
〒135-0022 東京都江東区三好4-1-1、Tel 03-5245-4111(代表) 03-5777-8600(ハローダイヤル)
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岡本太郎と言えば1970年の大阪万博の「太陽の塔」が有名だが、自分にとっては「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」が使用していた「殺すな」の文字だ。これが1番重要だと思うのだが、記念館には飾っていないし、グッズもない。
岡本太郎が書いたロゴがモチーフになったこの「殺すな」の題字は、1967年4月3日付の米紙ワシントンポストに、ベトナム反戦の意見広告として載った。作家の小田実、哲学者の鶴見俊輔らが率いた「べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」の運動に協力し、岡本太郎が筆を執ったものだ。
『明日の神話・岡本太郎の魂(¥1,700)』(青春出版社)を購入したがこの本の中に「殺すな」文字について書かれてあった。しかし、この本の「岡本太郎・闘い続けた84年間(102頁~103頁)」の年表の中には、この事が記載されていない。
なぜこの文字が重要かというと、広島に原爆が投下されて18年目(1963年)に、岡本太郎は広島を訪問している。その時岡本太郎は2つ「おかしい」と感じたものがある。それは原爆が投下された日(8/6)に開催されている「平和記念式典」である。8月6日を記憶に留めて、毎年思い起こすのなら、「原爆」あるいは「被爆」という言葉を使うべきではないのか。「平和公園」と同じく、問題をすり替えている。
もう一つは慰霊碑に刻んである言葉である。「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」というものである。ここには主格がない。誰が過ちを犯し、繰り返さないと誓っているのかがわからない。さらに、この一文には「過去」と「未来」はあるが、「現在」の視点が欠けている。広島を訪れて5年後、岡本太郎はその答えを「明日の神話」で示すことになる。
「殺すな」文字がなぜ重要か。それは岡本太郎が「太陽の塔」と並ぶ、最大のメッセージ「明日の神話」の絵画に繋がっているからである、と私は考えるからである。「明日の神話」という絵画は、1969年メキシコの地に、縦5.5m、横30mにも及ぶ、巨大な壁画を描いた。日本万国博覧会の準備に追われる超多忙な日々の中で度々メキシコへ渡り「太陽の塔」と平行して制作したのである。
それが、「明日の神話」である。メキシコシティに建設中であった超高層ホテルのロビーを飾るはずであったその壁画は、あとはサインを入れるだけというところまで完成していた。しかし、ホテルは開業に至らず、やがて建物は人手に渡る。「明日の神話」は壁から外され行方が知れなくなった。「幻の傑作」と化した。
そして1996年1月7日、岡本太郎は亡くなり、消えた「明日の神話」はメキシコシティー郊外の建設会社の資材置き場に保管されていた。最悪の状態だったそうだ。発見・確認(2003年9月)と所有権移転の契約(2005年3月)、壁画の神戸港到着(2005年5/5)、愛媛県東温市の作業場で再生(2005年7/16)が始まった。2006年6/3完了。2006年7/8より東京汐留にて37年ぶりに一般公開された。「明日の神話」は原爆の炸裂する瞬間を描いた岡本太郎の最大、最高の傑作なのである。だからこそ「殺すな」のロゴが重要なのだ。原爆なんかに負けない、絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。
また、「明日の神話」とは別に、ホテルの大食堂に縦9m、横60mというさらに巨大な壁画の制作も依頼されていて、「豊饒の神話」と題された下絵だけが現存している。
「岡本太郎記念館」を出る前に係の人に、「明日の神話」は今何処にあるのか、聞いてみた。今は倉庫に保管してあるが、今年(2007年)4/27(金)~2008年4/13(日)まで、東京都現代美術館で再公開されるそうだ。ぜひ観に行かなくては。
岡本太郎記念館:http://www.taro-okamoto.or.jp/
〒107-0062東京都港区南青山6-1-19、TEL.03-3406-0801 FAX.03-3409-5404、休館日:火曜日(祝日の場合は開館)・年末年始(12/28~1/4)及び保守点検日、開館時間:10:00~18:00(入館は17:30まで) 、東京メトロ【銀座線】・【千代田線】・【半蔵門線】『表参道』駅より徒歩8分
岡本太郎「殺すな」ロゴの新聞記事
旧「ベ平連」運動の情報ページ:http://www.jca.apc.org/beheiren/index.html
東京都現代美術館:http://www.mot-art-museum.jp/
〒135-0022 東京都江東区三好4-1-1、Tel 03-5245-4111(代表) 03-5777-8600(ハローダイヤル)
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