らいん屋☆親父の『しらしんけん』に『一寸ずり』

大分の人生修行中の五十路親父です。
先の見えた人生です。『しらしんけん』⇒一所懸命・『一寸ずり』⇒少しずつ前進する。

昭和の町☆鉄腕アトム

2009年04月24日 22時51分35秒 | 昭和への旅
親父の子供の頃のテレビで人気1番は「鉄腕アトム」でした。

親父が1番好きやったんは【ナショナルキッド】でした。

【エイトマン】も大好きで、足が速くなりたかったです。

【ナショナルキッド】は、胸にナショナルのロゴが入った、スーパーマンです。

2又電球からのスタート。ロマンがあります。







昭和の町にも、ロマンがありました。

鉄腕アトムは、親父の時代のヒーローでした。

吉兆宝山

2009年04月24日 22時25分42秒 | 酒・焼酎
【吉兆宝山】 これ、めちゃくちや旨いです。

親父、富の宝山も飲んだことがあるし、もちろん宝山もある。

吉兆は、前に赤ダルマで飲んだんやけど、

さっきまで、飲んでた【海】より、うまいです。







明日は休みやから、飲みすぎんように気をつけます。


【昭和の町】の写真がまだまだあるので、明日以降にアップします。

昭和の町☆弁当箱

2009年04月24日 21時39分33秒 | 昭和への旅
【昭和の町】に、親父の子供の頃の弁当箱がいっぱいありました。

昔はアルマイトて言うた と、思います。




親父の弁当箱は右から2列目の下から2つ目でした。

王貞治さんが、印刷されていました。

毎日、おいしい弁当でした。ばぁちゃん、ありがとうございました。


【色々な弁当箱】








続きはアトムでいきます。

昭和の町☆時代のくるま達

2009年04月24日 20時22分44秒 | 昭和への旅
「昭和の町」には、なつかしいクルマ達がいっぱいいました。

親父のお父ちゃんは、新し物好きで、毎年車を乗り換えていました。

昭和40年代だから、すごい事です。














今、見たら昔の車は小さいですね。

けど、この車達が日本を作ってくれたのです。

昭和の町のナンバーが付いている車は、走るみたいです。

親父も負けずに、走らなあかんなぁ!!!

昭和の町☆なつかしいです

2009年04月24日 19時36分45秒 | 昭和への旅

現場調査のついでに、豊後高田市の【昭和の町】に寄って来ました。

親父、初めて行ったのですが、なつかしく思わず200枚も写真を撮りました。








昭和の学校の教室が復元されていました。なつかしい。

親父が小学校1年生の滋賀大学学芸学部附属小学校の東浦の教室は、

こんなんやったと思います。やんちゃ坊主の親父は池田先生にいつも怒られていました。

今の滋賀の大津駅のすぐ前に校舎がありました。

児童は、みんな徒歩・バス・国鉄・京阪電車でした。

親父は京阪電車で通っていました。

親父、3つ上の兄がいたので、兄の後を重いランドセルを背負ってついていきました。

兄は4年生ですので、帰りはいつも1人で20分ぐらい歩いて島ノ関駅でした。

今、思えば7歳の子供が7駅ぐらいを1人で、通っていました。

それ以上に、1人で国鉄で何駅も通っている同級生がいました。

今の時代では考えられないことです。


       


親父の時代は勿論パソコンもありません。

印刷物はガリ版でした。教官室に印刷室がありました。

親父、ガリ版刷りの鉄筆が憧れでした。

小学校も高学年になると、使うことが出来ました。

ヨードチンキみたいな、修正液がなつかしいです。


親父の小学校5・6年恩師は、ガリ版で毎日、学級新聞を作って下さいました。

「みっかぼうず」と言う新聞です。

今、考えたらほんまに大変やったやろうな と、思います。

感謝感謝です。

実は謄写版を見て、涙があふれてきたのです。

ほんまにありがとうございました。



昭和の町の写真いっぱい撮ったので、徐々にブログに載せます。

ブログを見た方、「昭和の町」は良いですよ。

なつかしく、色々と感じますよ

親父は「昭和の町」から、元気をいただきました。