現場調査のついでに、豊後高田市の【昭和の町】に寄って来ました。
親父、初めて行ったのですが、なつかしく思わず200枚も写真を撮りました。
昭和の学校の教室が復元されていました。なつかしい。
親父が小学校1年生の滋賀大学学芸学部附属小学校の東浦の教室は、
こんなんやったと思います。やんちゃ坊主の親父は池田先生にいつも怒られていました。
今の滋賀の大津駅のすぐ前に校舎がありました。
児童は、みんな徒歩・バス・国鉄・京阪電車でした。
親父は京阪電車で通っていました。
親父、3つ上の兄がいたので、兄の後を重いランドセルを背負ってついていきました。
兄は4年生ですので、帰りはいつも1人で20分ぐらい歩いて島ノ関駅でした。
今、思えば7歳の子供が7駅ぐらいを1人で、通っていました。
それ以上に、1人で国鉄で何駅も通っている同級生がいました。
今の時代では考えられないことです。
親父の時代は勿論パソコンもありません。
印刷物はガリ版でした。教官室に印刷室がありました。
親父、ガリ版刷りの鉄筆が憧れでした。
小学校も高学年になると、使うことが出来ました。
ヨードチンキみたいな、修正液がなつかしいです。
親父の小学校5・6年恩師は、ガリ版で毎日、学級新聞を作って下さいました。
「みっかぼうず」と言う新聞です。
今、考えたらほんまに大変やったやろうな と、思います。
感謝感謝です。
実は謄写版を見て、涙があふれてきたのです。
ほんまにありがとうございました。
昭和の町の写真いっぱい撮ったので、徐々にブログに載せます。
ブログを見た方、「昭和の町」は良いですよ。
なつかしく、色々と感じますよ
親父は「昭和の町」から、元気をいただきました。