2014/04/18に内々神社にお参りしてきました。
内々神社は、「延喜式神名帳」(927)にその名が見える由緒ある神社です。日本武尊の伝説と深い関係があり、主祭神は祖建稲種命(たけいなだねのみこと)・日本武尊、宮簀姫命(みやずひめのみこと)で、創建については日本武尊の東征と深い関係を持ち、『妙見宮由諸書』(1702)によると、景行天皇41年尾張連祖建稲種命を祀ったのにはじまります。
建稲種命は熱田神宮にも祀っていますが、内々神社より8、9年遅い創建となっています。
尾張連清稲の撰述した『熱田縁起』によれば、日本武尊が東征の帰路、尾張に入り篠木城(しのき)到着し内津の坂を下るころ副将軍であった建稲種命(タケイナダネノミコト)の家来である久米八腹(くめやはら)が、建稲種命が駿河の海に落ち水死された、と早馬をもって報告しました。
日本武尊はこれを聞き非泣して「うつつなりうつつなり」といわれ、その霊を祀られたのが内々神社で、神社のあるまちを内津というようになったといいますとパンフレットに記載がありました。
豊臣秀吉の朝鮮役にも戦勝を祈願して、この社頭から軍船用の帆柱を伐り出したといわれています。
内々神社と日本武尊の表記です。
神殿裏のチョット遅い桜です。
拝殿の垂木に龍の彫り物が素晴らしいです。あの立川と伝えられています。
自然の木の根っこであまり彫刻加工がされていない阿吽の狛犬です。
拝殿の龍の彫り物と奥の神殿で棟の彫り物があり亀の上に浦島さんらしきが乗っています。又、その反対側の棟には鶴の上に乗っている浦島さんらしい人が彫って有ります。
拝殿側面の左と右で 立体的で浮き上がった彫り物です。
神殿の台座部分には、なぜかうさぎが多く彫って有ります。
拝殿の獅子と亀の彫り物。
奥の院で岩の割れ目に神殿があり、現在は鉄階段が有ります、以前は鎖に捕まって昇ったそうです。
奥の院の神殿から眺める中央高速道路(名古屋方面)の内津峠SAがかすかに観えます。
以 上