2017/08/09井伊直虎と井伊谷を訪ねる。
金山駅から快速で豊橋駅に向かい、豊橋駅で浜松行きに乗り、新所原駅にて天竜浜名湖鉄道で掛川行きに乗換え、気賀駅に着いたのが10時09分、遠鉄バスで龍潭寺行に乗換えて現地に10時30分に着きました。
○天竜浜名湖鉄道
フルラッピング列車「直虎号」
・気賀駅(登録有形文化財)
気賀駅上屋及びプラットホーム
駅舎
プラットホーム 入線の列車
○井伊共保公出生の井戸(伝)
寛弘7年(1010)井伊家の初代共保公が出生したという伝説のある井戸です。
井伊家出生の井戸 井戸
祖霊之地(「井伊氏祖備中守藤原共保出生之井」浜松市HPより)
・井伊大老直弼公は詠を歌って先祖をしのんだ。
「わきいづる 岩井の水のそこ清み くもりなき世乃 影ぞ見えつつ」
句碑
○龍潭寺(りょうたんじ)臨済宗
天平5年(733)行基菩薩により開創され、天文年間(1532~55)井伊直盛が黙宗瑞淵(もくしゅうたんえん) 禅師を招いて中興開山とした。永禄3年(1560)井伊直盛の死後、直親が父の戒名をとって現在の龍潭寺とした。宗良親王と井伊氏歴代の菩提寺である。
入口 参道
・山門 明暦2年(1656)(県重文)
・仁王門(県重文)
・本堂 延宝4年(1676)(県重文)
本堂に祀られているご本尊は虚空蔵菩薩(秘仏)です。
本堂
本堂
・釈迦牟宇尼佛坐像(丈六大佛)
享保14年(1729)建立の木彫寄木造り
遠州の大仏さん
・開山堂 元禄15年(1702)(県重文)
遠州地方に禅宗を広めた黙宗瑞淵禅師など代々住職の位牌を祀る。
開山堂 黙宗瑞淵禅師
・御霊屋 寛保2年(1742)
井伊家千年(40代)にわたる祖霊をお祀りしています。正面の右は共保公、中央は直盛公、左は直政公です。
御霊屋
直政公(左)直盛公(中央)共保公(右) 井伊家40代にわたる祖霊
・井伊直政公出生之地 石碑
天正12年(1584)小牧・長久手の戦いで活躍し、井伊の「赤鬼」と恐れられた。関ヶ原合戦では東軍の軍艦を勤め徳川軍を勝利に導き、彦根十八万石城主となる。直政公は24代で幕末の大老井伊直弼公は36代である。
石碑
・名称龍潭寺庭園(国指定名称)
この蓬莱庭園は小堀遠州作の池泉鑑賞式庭園で中央に「守護石」で三尊を表現し左右に「仁王石」を配置し、手前には「心字池」で心を表現、池の中央付近に「蓬莱岩島」、池際には「亀出島」と「座禅石」を配置してある。そして書院から眺めは御霊屋へ「遥拝のお庭」で西方浄土のご先祖にご挨拶する。
庭全体の中央で中心に「守護石」で三尊を表現 池際には「座禅石」池の中は「蓬莱岩島」
池の左右に大きな「仁王石」を配置
手前には「心字池」 御霊屋へ「遥拝のお庭」
・井伊家墓所
正面の右は初代共保公、左は22代直盛公(直虎の父)で、左側の前から直盛夫人(松岳院・祐椿尼)、直虎(次郎法師)、23代直親(亀之丞)、直親夫人、24代直政と並んでいる。
初代共保公(右)22代直盛公(左) 奥から松岳院、次郎法師、亀之丞、直親夫人、直政と並んでいる。
○宗良親王御陵墓
後醍醐天皇の皇子で宗良(むねなが)親王を祀る。
入口(閉鎖)
○井伊谷宮
後醍醐天皇第4皇子、宗良親王を祀る。
石柱(神社の格で官幣が刻印してある) 鳥居
参道 拝殿
○妙雲寺(みょううんじ)臨済宗 「旧自耕庵」
直虎の菩提寺。直虎の死後、自耕庵へ葬られたと云われる。『妙雲院』は直虎の院号である。
(平日の御参りで境内には入れませんでした。)
山門 本堂
○渭伊神社(いいじんじゃ)
南北兵乱の時、龍潭寺から移った。井伊氏の発祥で氏神
石碑(渭伊神社と刻印) 拝殿
御神木
○天白磐座遺跡
渭伊神社の本殿背後の丘にある古墳時代の巨石祭祀の遺跡で「水神」「井の神」が祀られている云われる。本殿横を登ると爽やかな風が吹き古墳時代より神様が降りてくる祭祀場所で、この巨石は神聖なる石(磐座)であり「パワースポット」の霊気が伝わって来ます。
頂上付近の巨石群
巨石の中からたくましい木が。
パワースポット感を臭わせます。
神社の入口に「鳴岩」の標示が有った。
○井伊直虎公墓所
一般住宅の置くにひっそりと祠が建っていた。民地に真新しい手製の参道が作られて有り難く思い感謝しました。
参道(新しく整備された跡が残る) 祠
祠 墓石(直虎)
○浜松市地域遺産センター
「戦国の井伊谷」を開催している。
ジオラマで井伊谷戦国絵巻、直親ゆかりの「青葉の笛」触れるレプリカ、そして発掘された井伊谷の遺跡の出土品が数多く展示して有ります。
写真なしです。
○井伊谷城跡
野面積みの石垣で城跡を感じる。
途中の休憩所より望む井伊谷
・城山稲荷大明神
参道 本殿
○気賀関所
慶長6年(1601)徳川家康によって創設された姫街道の関所です。
冠木門 本番所
○大河ドラマ館(有料)
ドラマ館
以上