2019/04/05 醒井宿から番場宿・鳥居本宿まで歩いた。
◎蓮花寺(れんげじ)浄土宗本山(旧時宗大本山)
約1400年前聖徳太子が創建され、健治2年(1276)落雷により焼失した。その後弘安7年(1284)一向上人(法然上人の法曾孫)が諸国行脚の錫を留めて念仏を宣布して広く民衆を化導せられ、時の鎌刃城主(土肥三郎元頼)は深く一向上人を迎えて開山上人と仰ぐ。歴代天皇の帰依厚く、花園天皇より勅使寺として勅許を賜り、寺紋として「菊の紋」を下賜される。
南北朝時代、足利尊氏の寝返りにあって鎌倉へ落ち延びる途中、足利尊氏に攻められた六波羅探題北条仲時は番場宿まで逃げたが佐々木道誉に行く手を阻まれ、ついに蓮華寺で仲時以下430余名が自刃。寺に残された「過去帳」に自刃した武士の法名が残されている。
堂宇は、室町時代に応仁の乱の余波を受けて再び焼失したため、戦国時代に再興されたと云う。
また、長谷川伸の小説「瞼の母」の舞台として知られ、番場の忠太郎の故郷として、境内に忠太郎地蔵尊が立てられています。また、蓮花寺49代和尚の門弟であった斎藤茂吉の歌碑が建っています。
〇参道(入口)
〇三門(勅使門)
〇銅鐘(重文)
〇本堂
〇寺号額(後水尾天皇ご宸筆)元禄11年(1698)
〇「陸波羅南北過去帳」(重文)
「過去帳」に自刃した武士の法名が寺に残されている。
〇八葉山蓮華寺時代の山額「八葉山」
〇北条仲時以下430余名自刃の供養墓碑
〇番場忠太郎墓碑
〇番場忠太郎地蔵尊(長谷川伸が設立)
〇斉藤茂吉歌碑(第49世佐原和尚の門弟です)
「松風の音聞くときは古への聖の如く我が寂しむ 茂吉」
〇一向杉
樹齢700年の巨木で開山一向上人が弘安10年(1287)に植えられたと云う。
以上