気まぐれな季節であります。
きのうは4月を思わせるあたたかさ
きょうは雪模様で暖房のあかいいろがきもちをあたためる。
樹下の二人
― みちのくの安達が原の二本松松の根方に人立てる見ゆ―
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
かうやつて言葉すくなに坐ってゐると、
うつとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。
あなたは不思議な仙丹を魂の壺にくゆらせて
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘うことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負う私に爽やかな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉へがたい
妙に変幻するものですね。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡った北国の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうな此のひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます。
もう一度この冬のはじめのもの寂しいパノラマの地理を教えて下
さい。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
詩集 智恵子抄より