今日は会社の帰りに山村浩二の短編アニメを見てきました
掲題のアニメを含む短編アニメの5本立てです
ラインナップは以下でした。
カフカ 田舎医者 (今回の上映のメインはこれ )
年をとった鰐
頭山
校長先生とクジラ
こどもの形而上学
頭山が2002年、年をとった鰐が2006年、他が2007年の作品です
左画像クリックで「カフカ 田舎医者」の公式HPへ、
右画像クリックで「ヤマムラアニメーション」の公式HPへジャンプします
今回、私がどうしても見たかったのは「年をとった鰐」
去年も「山村浩二セレクト・アニメーション」の一部で上映されたんだけど、
時間帯が合わなくて見に行けず終いだったんですね
他の作品もね。
特に「こどもの形而上学」とかパズルみたいなくせに、
妙に馴染みやすい(認識しやすい)連続性があったりして面白かったんだけど・・・
やっぱり、インパクト強かったのは、見たくてしょ-がなかった「年をとった鰐」。
シュールでシニカルな愛がテーマの作品
全部の感想を書くと長いので、今日はこれだけを書きます
何百年と生きてきた鰐が子孫のひとり(一匹)を食べたことにより、
一族を追われるのね。
居場所を探してナイル川を下った鰐は海に出て・・・
一匹のタコの女の子に出会います。
純真なタコの女の子は、この新しい友達に毎日新鮮な魚を捕ってきてあげます。
でも鰐は夜になるとおなかが減ってしまい、タコの足を1本、食べてしまう。
翌日、またタコの女の子は鰐に魚を捕ってきてあげます。
そして夜になると、また鰐はタコの足を1本、食べてしまう。
タコの女の子は8という数字があることは知っているけど、
数を数えることはできないのね。
そして鰐は1しか知らないけど、1を数えることができる。
タコの足が1本になってしまった時、タコの女の子は気づかないのだけれど、
鰐は、これを食べてしまうと、タコの足がなくなってしまうことがわかっていました。
でも鰐は、タコの最後の1本の足を食べてしまいます。
翌朝、タコの女の子が言いました。
「ねぇ、鰐さん。私、足が全部、なくなってしまったような気がするの。」
動けないタコの代わりに、鰐はタコのために初めて魚を捕ってきてあげました。
そしてその夜、鰐は、足のなくなったタコの女の子を食べてしまいます。
鰐はタコの女の子に2種類の愛情を抱いていたのです。
優しく気高く崇高にタコの女の子を思う愛情と、タコの腿肉への愛情。
鰐は、タコの女の子を食べてしまった後、苦い涙を流しました。
そして、「タコの女の子が美味しかったこと」がその後の鰐の唯一の救いになります。
その後、鰐は故郷のナイルに帰り、原住民(人間)に神として崇められ、
何年も生き続けました。
鰐がそんなにも恐れられ、神として崇められたのはなぜか?
それは、鰐の体が、ゆでだこのように真っ赤に染まっていたからです。
「年をとった鰐」は、こんなお話でした。
あらすじはかなり知っていたのですが・・・
見るとやっぱり、なんとも言えないショックを受けました
鰐には確かに崇高な愛情があって、でも本能に基づいた”愛情”もある。
人間の場合、こんなわかりやすい極端さはないにしても、
やっぱり人へ、と、自分へ、の鬩ぎ合う”愛情”はあると思う。
だから一概に鰐を責めることはできない。
でもタコの女のコを思うと、あまりに不憫・・・
なんだか凹みすぎて、飲みにも行けずに ( だって何も話せない )
おとなしく帰ってきた夜でした