皮膚感覚は、とても繊細だ。
特に指先の鋭敏さには、心底驚かされる。
昨日と同じ水仕事をしていても、
気温や空気の乾燥度などの変化を感知し、脳へ伝えてくれる。
台風が通り過ぎた昨日、
急に空気が乾燥し始めた。
いつものように洗い物をしようと水に手をつけたが、
ふと、ゴム手袋をはこうと思い立つ。
その後、慌てるにまかせて2回目以降はゴム手袋をせずに。
夜、一日の家事を終え、指先を見る。
小さなささくれができている。
今朝見たときは、確かに皮膚は皮膚としてひとつながりであったはずなのに、
どこかのタイミングで限界を超えたらしい。
朝、指先の微細な皮膚感覚を、確かに感知したはずだった。
けれども大したことではないとやり過ごし、ひとつながりの皮膚構造を変化させるに至った。
まじまじと指先を見つめ、遅ればせながら丁寧にクリームをぬる。
ふと思う。
どのような人にも、
どのような事柄にも、
それぞれに応じた強さとしなやかさを備えている。
けれども、どのような人にも、どのような事柄にも限界はある。
限界は、突然やってくるように思うが、
本当は、それよりいくらか前に、
最も繊細なセンサーを通じて、これから起こるだろう変化を予測している。
そして、その変化を感知し、行動を変えるよう、信号を送っているのかもしれない。
けれども、ほとんどの場合、
私たちは、意識のどこかで気付きながらもやり過ごし、行動を変えることはない。
そうして限界を超え、はっきりとした変化が目に見えて初めて、対処する。
そう、遅ればせながら。
鋭敏な指先が、何かを告げたとき、
それは自分への予言であり、
生命の持つ叡智の、ほんの一端に触れること。
そう考えると、
ささくれた指先に
「次こそは、ささくれる前に行動します」
と誓ってみたくなるのだった。
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