2週間前の8月2日。
菜々が、亡くなりました。
朝、5時過ぎ、私の声にかすかに、でもはっきりと反応したのですが、
その数分後、声をかけると、もう、息をしていませんでした。
信じられませんでした。
歯茎が赤くなっているところが気になって受診していましたが、
急に大きく膨らんできて、6月2日に、切除手術を受けました。
すでに、腫瘍が奥まで進んでいて、取りきれなかった、とのことでした。
ひとりで迎えに行って話を聞ける自信がなく、
夫が留守だったため、N子さんに付き添ってもらって行きました。
急激に進行する悪性の腫瘍で、またすぐに膨らんでくるだろうとのこと。
取っても繰り返すだけなので、このまま様子を見る、ということになりました。
でも、診察室に出てきた菜々は、いつもどおりの元気な菜々で、
涙も吹き飛んでしまいました。
手術を受けた日も、食べっぷりはいつもと変わらず、
それから、1ヶ月ぐらいは、獣医さんも驚かれるぐらい普通に食べていましたが、
徐々に食べるスピードが遅くなり、
7月半ばからは、食べたがらなくなりました。
獣医さんに聞いたり、N子さんに聞いたりして、食べそうなものを探し、
ありとあらゆるものを試してみましたが、
1回目は食べたとしても、2回目も食べるということはありませんでした。
点滴をしていただくと、調子がいいようで、ちょっと食べたりしました。
毎日通うのは無理なので、自宅での点滴に切り替えました。
7月30日から、長女・次女と孫たちが帰ってきて、賑やかになりました。
亡くなる前日の夜は、皆で西武ドームに行き、
夜帰ると、菜々は横になっていましたが、
しばらくすると、なんとか歩ける、といった感じでそばに来たので、
次女に点滴をしてもらうと、あちこち場所を替えては横になっていました。
台所に立っていた私を、ずっと見ていた姿が忘れられません。
あのとき、そばにいてあげればよかった・・・。
もう長くはないかもしれない、と覚悟はしていました。
でも、こんなに早く逝ってしまうとは思っていませんでした。
その日、娘たちは自宅に帰ることになっており、
みんながいるときに、と思ったのかもしれません。
次の週は、私が仕事で終日留守にする日が続くため、
その前に、と思ったのかもしれません。
菜々が、その日を選んで逝ってしまったと思えるのです。
最後の食事は、前々日、
2歳近くまで育ててくれたN子さんが持ってきてくれた、「チュール」でした。
2週間ぐらい前から、腫瘍は落ち着いて、出血することもあまりなくなり、
右頬の大きなふくらみも、目立たなくなっていました。
次のシャンプーのときは、ドライヤーの負担を和らげるために短く刈る予定だった、
自慢のつややかな美しい毛も、そのまま。
きれいなままの菜々でした。
腫瘍がどんどん口の中に広がっていったとき、いやだったのでしょう。
顔をこすりつけたあとが、たくさん残っています。
ずっと出血も続いていて、気持ちが悪かったに違いありません。
でも、菜々は唸ることもなく、機嫌が悪くなることもなく、
ずっと、穏やかなままでした。
最後まで、自分で歩いてトイレまで行きました。
がんになってしまったことは、とても悲しい。悔しい。
でも、苦しまずに逝くことができた。
家族みんなで見送ることができた。
最後は、幸せな別れができた。 そう思います。
それが、救いです。
霊園に、写真を持ってくるように言われて、迷わず選んだ写真です。
もう一度、思い切り、走らせたかったです。
最後に、
母犬候補として大切に育てられていた菜々を引き合わせてくれた、
ブリーダー「ハトミネ」の店長さんに、
「ハトミネ」さん廃業後も、犬たちのことを見守ってくれて、
今回も、親身に相談に乗ってくれて私を支えてくれた元スタッフのN子さんに、
心から感謝しています。
菜々が、亡くなりました。
朝、5時過ぎ、私の声にかすかに、でもはっきりと反応したのですが、
その数分後、声をかけると、もう、息をしていませんでした。
信じられませんでした。
歯茎が赤くなっているところが気になって受診していましたが、
急に大きく膨らんできて、6月2日に、切除手術を受けました。
すでに、腫瘍が奥まで進んでいて、取りきれなかった、とのことでした。
ひとりで迎えに行って話を聞ける自信がなく、
夫が留守だったため、N子さんに付き添ってもらって行きました。
急激に進行する悪性の腫瘍で、またすぐに膨らんでくるだろうとのこと。
取っても繰り返すだけなので、このまま様子を見る、ということになりました。
でも、診察室に出てきた菜々は、いつもどおりの元気な菜々で、
涙も吹き飛んでしまいました。
手術を受けた日も、食べっぷりはいつもと変わらず、
それから、1ヶ月ぐらいは、獣医さんも驚かれるぐらい普通に食べていましたが、
徐々に食べるスピードが遅くなり、
7月半ばからは、食べたがらなくなりました。
獣医さんに聞いたり、N子さんに聞いたりして、食べそうなものを探し、
ありとあらゆるものを試してみましたが、
1回目は食べたとしても、2回目も食べるということはありませんでした。
点滴をしていただくと、調子がいいようで、ちょっと食べたりしました。
毎日通うのは無理なので、自宅での点滴に切り替えました。
7月30日から、長女・次女と孫たちが帰ってきて、賑やかになりました。
亡くなる前日の夜は、皆で西武ドームに行き、
夜帰ると、菜々は横になっていましたが、
しばらくすると、なんとか歩ける、といった感じでそばに来たので、
次女に点滴をしてもらうと、あちこち場所を替えては横になっていました。
台所に立っていた私を、ずっと見ていた姿が忘れられません。
あのとき、そばにいてあげればよかった・・・。
もう長くはないかもしれない、と覚悟はしていました。
でも、こんなに早く逝ってしまうとは思っていませんでした。
その日、娘たちは自宅に帰ることになっており、
みんながいるときに、と思ったのかもしれません。
次の週は、私が仕事で終日留守にする日が続くため、
その前に、と思ったのかもしれません。
菜々が、その日を選んで逝ってしまったと思えるのです。
最後の食事は、前々日、
2歳近くまで育ててくれたN子さんが持ってきてくれた、「チュール」でした。
2週間ぐらい前から、腫瘍は落ち着いて、出血することもあまりなくなり、
右頬の大きなふくらみも、目立たなくなっていました。
次のシャンプーのときは、ドライヤーの負担を和らげるために短く刈る予定だった、
自慢のつややかな美しい毛も、そのまま。
きれいなままの菜々でした。
腫瘍がどんどん口の中に広がっていったとき、いやだったのでしょう。
顔をこすりつけたあとが、たくさん残っています。
ずっと出血も続いていて、気持ちが悪かったに違いありません。
でも、菜々は唸ることもなく、機嫌が悪くなることもなく、
ずっと、穏やかなままでした。
最後まで、自分で歩いてトイレまで行きました。
がんになってしまったことは、とても悲しい。悔しい。
でも、苦しまずに逝くことができた。
家族みんなで見送ることができた。
最後は、幸せな別れができた。 そう思います。
それが、救いです。
霊園に、写真を持ってくるように言われて、迷わず選んだ写真です。
もう一度、思い切り、走らせたかったです。
最後に、
母犬候補として大切に育てられていた菜々を引き合わせてくれた、
ブリーダー「ハトミネ」の店長さんに、
「ハトミネ」さん廃業後も、犬たちのことを見守ってくれて、
今回も、親身に相談に乗ってくれて私を支えてくれた元スタッフのN子さんに、
心から感謝しています。