jongちゃん大好き~Theキム・ジョングクWORLD

ようこそキム・ジョングクわーるどへ
歌手キム・ジョングクさんの歌詞の和訳をしています。
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キム・ジョングク cho-rok的 プロフィール

2011-02-03 12:00:00 | キム・ジョングクプロフィール

2013年1月15日追記修正


 

cho-rok的[キム・ジョングク プロフィール]


 

以下は、番組での情報を中心にしたcho-rokの偏愛とが詰まりすぎたプロフィールなので、もう少し、客観的なプロフィールを読みたい方は、こちらへ→ http://blog.goo.ne.jp/jongchan/e/6dd7ddc624041d06186c27dc4b0d9f9e

輝かしい受賞経歴なども載せているが、驚くほど。

◎김종국、金鍾國(キム・ジョングク)
◎1976年4月25日生まれ(戸籍上は1977年4月25日)。

◎2011.2.17 단국대학교대중문화예술대학원 공연예술학 석사 (檀国大学Twitterによる)
(2011.2.17 檀国大学校大衆文化芸術大学院 公演芸術学 修士卒業 (在学中には、Twitterやカフェに若い学生たちと一緒に, 楽しそうに、勉強している姿が時々アップされてました~。)


(檀国大学学位授与式youtube映像)

◎所属事務所 원오원엔터테인먼트 http://www.101ent.co.kr/ (101Entertainment) →2011年よりJKentertainment


◎独特な高音美声と多様な歌唱法、何事にも一生懸命で正直な性格と、筋肉^^で
デビュー18年目の今もたくさんの人に愛される韓国のトップ歌手である。


◎変遷

ダンスデュオ「Turbo」として1995年デビュー。韓国の年で、20歳。高校卒業してすぐのデビュー。
いわば、ある意味純粋培養のスターであった。



1集~2集(1995~1996)のターボ前期は、キム・ジョンナムと組み、キム・ジョンナムがターボ退団後の3集~5集(1997~2001)のターボ後期は、数千人の応募者のオーディションで選ばれたマイキとの2人組ダンスデュオであった。

キム・ジョンナム、マイキー、ターボについてのまとめが知りたい方は、→http://blog.goo.ne.jp/jongchan/e/920dccbc4eb60aa725d666511fe602e2



Turbo時代のヒット曲は、「僕の幼いころの夢」「黒い猫 ネロ」「選択」(1集アルバム)、
「Love is..」「有るジャズバー」「Twist King」(2集)、「禁じられた遊び」「Goodbye yesterday」「回想」(3集)、「X」「恋人ができました」「White Love」(4集)、「Cyber lover」「Tonigt」(5集)と

時代の先端を常にいきながら、覚えやすい曲で、100万枚販売、大ヒットを常に飛ばし、若者たちに大きな支持を得る活躍で4年連続各大賞にノミネートされながら、全世代的に認められるには至らなかった。
(例):2集 1,221,034枚, 3集 1,404,288枚


(ターボ1集~5集のアルバム表紙)


(初期のメンバー キム・ジョンナムと。雑誌 月刊「feeling」より)

ターボの人気は、親友でもあるホン・ギョンミンが、大学のMTなどでは、韓国アイドル歌謡の分野を確立させたH.O.Tと人気を二分するほどの勢いであったという。(「親友ノート」にて)


2001年冬、キム・ジョングクは、長年の夢であったソロデビューを
「男だから」「お幸せに」「女の香り」などの1集で果たし、ソロ転身をきっかけに
バラエティーの道も歩き出す。しかし、ある作曲家のいじめにあい、思わぬ苦労をし、そのために2年半以上も、
次のアルバムを出すことができず苦しんだ。(SBS「強心臓」本人談)



ようやく出した2集(2004)で、「ハンナムジャ(一人の男)」が大ヒット。
彼の代名詞は、今でも、「ハンナムジャ」である。
彼は、この曲を歌うとき、今の自分を作ってくれた曲であると断って歌う。歌手としても人生としても、ターニングポイントになる歌である。本人も、複数の番組で述べている(フェバリットなど)。2010年10月に行われたリメイクコンサートにおいても、ただ一曲ソロになっての曲を歌ったのが、この「ハンナムジャ」であった。それだけ大事な曲であり、常に忘れたくない曲なのであろう。 

2集は、他にも、「Feeling」「中毒」がヒットした。



さらに思いがけず、3集は、空前の大ヒット。「チェジャリゴルム(足踏み)」の連続1位に始まり、
一つのアルバムから4曲もランクインするなどの怪現象(?)に続き、
「サランスロウォ(愛らしい)」が空前の大ヒット。子どもたちにも大人気を得た。


現在の小学生も口ずさめるほどである。cho-rokのDaumブログには、「キム・ジョングクを国民歌手に押し上げた韓国人なら誰でも知っている曲」と、書き込みしてくれたファンがいる。
続く、「星、風、日差し、そして愛」でがっちり女心をゲットした。


この人気には、ソロ3集の14曲すべてが、活動曲になりえたという評価の、3集アルバムの完成度の高さもさることながら、当時絶大の視聴率を誇ったバラエティー番組「Xman」(SBS。司会 ユ・ジェソク、カン・ホドン、キム・ジェドン、パク・キョンリム他)で、レギュラーとして、大きな貢献をしたことの影響も否めない。また、KBS「ハッピーサンデー」のコーナー、あどけない未就学児たちに無心にサッカーを教える「ナララシュットリ(飛べシュート小僧)」で、母親たちの心もがっちりつかんだキム・ジョングクであった。


そして、2005年年末、なんと、放送3社の大賞(三冠王)を独占してしまう。


「両親がとても喜んでくれてうれしかったし、後輩たちがたくさん、祝ってくれてうれしかった」と、
2006年年明けのインタビュー番組で、キムジョングクは話している。両親を驚くほど大切にし、
本来の意味での、義理を大切にするキム・ジョングクならではの発言である(『いい朝』。)




2006年の兵役のため(腰のヘルニアのため公益要員。龍山区役所にて代替勤務。)、「ファンへの置手紙のような」4集を残して、公益勤務に(音楽サイトに載せたアルバムの解説より)。


芸能活動をしていないにもかかわらず、「手紙」「サランハンダヌンマル(愛しているという言葉)」(いずれも、4集)が、続々、トップ1を占め、sgWannabeとの企画シングル「風だけ 風だけ」も連続トップになる。他に、ファンの愛の写真を募集してMVを作った「サランイエヨ(愛です)」、シュットリ達への応援歌「夢に向かって」もヒット。



しかし、休戦中の韓国において、現役兵でないことと、入営中にもかかわらず盛んにランクインすることで、「兵役中なのに・・」という批判記事も出て、その後、2007年、2008年前半は、音楽活動はおろか、ファンクラブへのサービスさえ控えるという、自粛ぶりだったが、ファンたちは黙って再始動を待ち続けた。その間、キム・ジョングクは、両親のために毎日英語の勉強をしたと言う。

2008年5月公益勤務解除。



2005年10月5集アルバムで、2年8カ月ぶりにTVに復帰。
タイトル曲「オジェボダオヌルド」は、発売日当日のみで、週間ランキングにランクイン。


東方神起、Rainが2年ぶりの国内アルバムを出した、大変難しい中での出来事であった。ファンも待っていたが、大衆も彼を忘れなかったのだ。しかし、一方で公益勤務に励んではいたが、芸能界から遠ざかっている間にマスコミ記事から生まれた「公益のくせに」、というダークイメージが色濃くついてしまい、キム・ジョングクは、法的に間違っていることは、何一つ無かったが、ファンたちを失望させたことについては一生背負っていくと言っている。
風評が風評を呼び、未だに公益勤務だった事を疑う人(特に20代後半の男性)も居ることは否めない。
が、それとは別にキム・ジョングクの歌を求めてやまない人がいるのは、上の事実が示しているだろう。



同時期に人気バラエティー「ファミリーが浮かんだ(ファミリーがやってきた)」のレギュラーに途中参加し、番組の高視聴率に貢献。他番組でも、次々視聴率を上げて見せ、「高視聴率男」とまでいわれながら、ほんの少しのミス(彼でなく、放送局など、周囲のミスであっても)「公益」を冠した、悪意コメント、悪意記事が後を絶たない。アンチもファンのうち、とは、今や、ファンの合言葉になっている。アイドル、売れっ子俳優といても話題をさらってしまうキム・ジョングクである。


ファンへの感謝の気持ちを歌った後続曲「コマプタ(ありがとう)」活動の後、
2004年「最高の準備ができないなら、やらない、」と、宣言し、3冠王をとりながら、単独コンサートを
あえてして来なかったキム・ジョングクが、2008年年末のFTTSとの合同コンサートを
皮切りに、5年ぶりの単独コンサートになる、
2009年3月14日15日 プサンコンサ-ト 21日22日 ソウルコンサートと、5年ぶりの単独コンサートを行い、大成功。



さらに2008年の8月の日本ファンミーティングから切望されていた日本コンサートも、
2009年5月30日 東京、31日 大阪の2か所で行い、韓流スターの仲間入りをした。


同9月には、バドワイザーの協力を得て、韓国最高人気のラッパー、MCモン氏と、Breezeコンサートを。飲み物におつまみが提供されるという気楽なコンサートで有りながら、最高に熱くなったコンサートと聞いている。


その間、「「しあわせ病」「タジョ(ゲットしてくれ)」(演歌)の2つのデジタルシングルが発売され、音源チャートでも10位以内にランクインしたが、コンサート準備のため、テレビの音楽番組などでは披露せず、コンサートのみで披露する歌になっている。



2008年10月~2010年2月に参加していたSBSの看板バラエティ「ファミリーがやってきた」が終止符を打ち、

キム・ジョングクは1年3カ月ぶりにファン待望の6集アルバム「Eleventh Story」(11番目のアルバム)を発表。ターボ時代の5つのアルバムとソロになってからの5つのアルバム、その集大成が、6集である。


この6集は、月間チャート4位(売り上げは5位)になっている。10歳も下のアイドルグループが上位を占めるアイドル全盛時代に歌手王キム・ジョングクも、苦戦を強いられている。


4月、6集活動を終えたキム・ジョングクは、日韓で連続してのコンサートを敢行。かねて、大衆とともにある、アーティストではない、大衆歌手になりたいと言い続けていたキム・ジョングクだが、5集・6集活動を通じて、芳香性が見えてきたようだ。イ・ムンセ、シン・スンフン、キム・ゴンモのようなコンサート中心の歌手になりたいと言明するようになっていた。

そして、自らの誕生日でもある、コンサート二日目の25日、ファンクラブが企画したバースデー企画に観客が同意、すべてのペンライトが下され、用意された小ろうそく型のライトのみが揺れる中、3000人の観客が歌い始めたハンナムジャのフレーズにキム・ジョングクが泣いた。この思い出は、キム・ジョングクのファンへの思いを新たにしたようだ。秋のリメイクコンサートに至るまで、ずっと、その時の感動をあちこちで話している。

またも、「ハンナムジャ」が、ターニングポイントになったのだ。



そして、日本コンサートでも、ファンの有志によって企画されたバースデーイベントに迎えられ、その足で
アメリカに向かい、すぐにハリウッドボールコンサート。



6月サッカー南アフリカワールドカップが行われるなか、久しぶりに1カ月と言うたっぷりとした休養をとったキム・ジョングクは、南ア大会直後のその、大会放送枠で、SBS「ランニングマン」で、バラエティに復帰する。しかし、ワールドカップの生の感動になかなか勝てず、苦戦。しかし、キム・ジョングクは、おしゃべり過ぎて見苦しい、MCのように、しゃしゃり出るようになった、と言われ、「誰が日曜夕がたにバラエティを見たいものか」とまで、酷評され続けたが、メンバー、スタッフとともに粘り強い活動を続け、年末からはふたケタ台に乗せている。2011年になっても、上向き調子は変わらない。




9月29日 キム・ジョングク リメイクアルバム発売

70年代~90年代の名曲をキム・ジョングク流の解釈を加えて、特有の温かで情のこもった高音美声で聞かせる。韓国の10代、20代には、新鮮な、30代以上には、懐かしくうれしい期待のアルバム。タイトル曲は、「ランニングマン」の共演で親しくなったリッサンのゲリー氏のフィーチャリング曲「僕のもとに帰っておいで」(タシネゲロトラワ)


キム・ジョングクは、ダンスデュオTurboのイメージと、鍛えた筋肉によって、夏のイメージが強いが、ソロになってから鍛えた中低音のおかげで、歌声は、高いけれど、とても柔らかで、しっとり包み込んでくれる頼もしさがあるので、秋から冬にふさわしいしっとりとしたバラードが良く似合うのである。



10月15日・16日・17日 小劇場コンサート。
於:ソウル市 梨花女子大学サムソンホール。
デビュー15年目、大スター歌手として、主として、ブラウン管の中で活躍してきたキム・ジョングクが、一昨年のカムバックからは、積極的にコンサートの機会を増やして、観客たちと心の通い合うステージの機会を増やしている。
2010年は、4月の15周年ビッグステージの成功の感謝の気持ちを込めて、
15年目で初めて、小劇場で、3日間のステージの場を設けた。
会場のどこからでも、キム・ジョングクを間近に見、聞きでき、
会場のどこからでも、キム・ジョングクが、観客を感じることのできるステージ。
キム・ジョングクは、「人々の思い出に残る大衆歌手であり続けたい」と言う彼の夢に向かって、
また新たな一歩を踏み出した。
ゲストは、「辰年クラブ」の親友たち、チャ・テヒョン、ホン・ギョンミン、チャンヒョクに加えて
Xmanでの共演も懐かしいキム・ジェドン。




12月18日 2010キム・ジョングク クリスマスパーティー in 大阪。キム・ジョングクが、ミニライブとトークで、大阪にやってきた。 冬の始まりによく似合う, 華奢で切ない高音美声はもちろん、各種バラエティ-で活躍中の実力を生かしたおしゃべりでファンとの楽しい時間を過ごした。



12月30日 「ランニングマン」などでの活躍が認められ、SBS芸能大賞の「TVスター賞」を受賞。




そして、2011年新年があけるや突然発表された3月20日の東京ファンミ、キム・ジョングクがどのような新たなる姿を見せてくれるのか、期待される。


加筆
**3月20日の東京ファンミKimJongKook Whiteday event(ミニライブ&握手会)は、東日本大震災のため、7月30日(土):世田谷区民会館 「キム・ジョングク チャリティイベント」に変更されました。地震の被害でお亡くなりになった方々のご冥福を心より、お祈り申し上げます。被害でご苦労なさっていらっしゃる方々にも、心よりのお見舞い申し上げます。


 

加筆

**上記「キム・ジョングク チャリティイベント」につきましては、地震による公演のキャンセル・延期があまりにも多く、プレイガイド・並びに韓流情報サイトが混乱されているようで、3月のままになっていたり、取り扱いが無くなっていたり、日にちが間違って表示されている場合があります。7月30日(土)公演になります。
必ず、イベントの公式HPでお確かめになってくださいませ。


加筆 (2011.4.24再修正)
6月24日、10年前、ターボを卒業してからも、ずっと友情を育てていた、ターボの相方、マイキーの5年ぶりのカムバック曲、「All for U」に自分の次のアルバムのタイトル曲を提供し、さらにフィーチャリングとしても参加し、癒しの美しい1曲を二人で作り上げ、デジタルシングルとして、発表。反響を呼ぶ


 

7月30日の日本イベントで日本初披露。サイン付きCDは、日本公演のみで発売。


加筆

2011年12月18日 偶然にも、昨年と同じ日程同じ大阪で、キム・ジョングク初のディナーショーが、開催された。

(司会のイ・ユミ(ユミヌナ)さんのツイッターより)

200名ほどの着飾った淑女が全国から集合し、まず挨拶と乾杯があり、食事、それから、ディナーショーが始まったらしいが、乾杯の時の資金で見た姿のあまりのカッコ良さに食事がのどを通らなかったという噂…(数人談)。

 


2011年 長い間、低迷していた SBS野外バラエティ「ランニングマン」だったが、2011年6月のタイロケを機に人気が爆発。

12月には、芸能大賞で、バラエティ部門優秀賞を受賞。能力者(アジアでは、Commander)として、アジアに絶対的な人気をもち(KJKGlobalと言う各地のランニングマンファンベースを支える強い組織がある)、また、絶対者として君臨して見せることで、各自のキャラクターづけの基礎となって番組をわかりやすくし、小中学生に大人気を読んだことを思えば、納得の結果と言える。

なお、ランニングマンは、ソン・ジヒョ氏が、同じく優秀賞、ユ・ジェソク氏が大賞のほか、プログラム賞、作家賞など、ほぼ、賞総なめ状態だった。しかし、ジェソク氏やPDさんたちの言に有った通り、一年前には、大賞は考えもできないことであり、ひとえに視聴者のおかげと感謝していたが、その通りであろう。キャストや演出陣の努力を視聴者が愛したのである。

その感動も冷めやらぬ2012年1月2日。

コンサートを待つファンたちに公示されたのは、鉄原(チョルウォン)でのVIPファンミ。 限定28名20万円弱(ソウル集合ソウル解散)と言う文字通り、VIPなファンミの開催のお知らせだった。

あまりにも商業的なイベントの臭いに嫌悪感を示したファンも出たが、イベント後の後期によると、参加したファンもユーモアと節度を守ったファンであり、何よりも、キム・ジョングク自身が、ファンの期待にこたえて(一例:歌は歌わないと言うことになっていたが、ファンが歌をプレゼントしたら、お返しに誠意をこめて歌ってくれた等)、最善を尽くしながらも、自然体でファンとの交流を楽しむ姿を見せたため、疑心を抱いていたファンたちも、誤解を解いたと言う。

この間、ランニングマンで共演中のイ・グァンス氏の出演映画「ワンダフルライフ」(イ・ミンジョン)に同じく共演者のゲリ氏とカメオ出演している。

4月には5期ファンミーティングも開かれ、さびしがっていた韓国ファンへも感謝の意を込めてサービス。

 

9月には、KBS 2TV 安全バラエティ「危機脱出ナンバーワン」 のメイン司会者を引き受け、新しい道も模索しだした。


9月29日浜松で宿泊ファンミーティング。台風が激しくなり、危機脱出ナンバーワンの撮影に間に合うように未明に旅立たねばならなくなり、翌日早朝のイベントが遂行できなくなったキム・ジョングクは、即座に、参加者一人一人に感謝の言葉を伝えてから、旅立つことを決定。まさに義理男、キム・ジョングクの本領発揮であった。

そしていよいよ、秋。10月23日に2曲の先行オンライン公開を済ませた後、11月1日に正規7集アルバム「Journey Home」を発売し、秋男として、歌謡界に2年9カ月ぶりに復活。今までタイトル曲では扱ったことのないバラードでの復活であった。また、シングルやミニアルバムが全盛の昨今、キム・ジョングクが選んだのは、フルアルバム。10曲入りの渾身の作だ。

タイトル曲の「男はみんなそんなもんだろう」をはじめとして、10曲のうち半分の5曲がキム・ジョングク自身の作詞だ。等身大の自分を基にした、と言う(ユ・ヒヨルのスケッチブック)キム・ジョングクの経験をもとにした良作が多い。 キム・ジョングクは、7集アルバムの取材に答えて、これからは、シングルやミニアルバムも挑戦したいが、あえて昔から書きたかった自作でフルアルバムを出したかったと言っている。朝鮮と言うことでは、サウンドトラックにも挑戦したいと言っている。

いつの間にか30代後半になってしまったキム・ジョングク。2005年の20代の時から、孝行のために結婚したいと言い続けてきたが、30代後半になった今、切実に結婚を考えるようになっていると言う。恋愛を結婚に結び付けて考えてしまうため、恋愛に用心深くなっているとも言う。見合いもしたと告白している。

自分を語り出したキム・ジョングク、そして、事務所を独立してからは、良い意味で予想を裏切り続けているキム・ジョングク、キム・ジョングクの2013は、どんな展開が待っているのか? 楽しみだ。


 

http://cafe.daum.net/jongkooklove/H2t/247

(↑参考Daumのプロフィール情報)
 


*このプロフィールは、キム・ジョングク氏の所属事務所のHPキム・ジョングク本人のHP、KBSSBSMBCなどの地上波放送局ならびにM-netなどのケーブル局、DaumNaverYahoo!Korea、などの各韓国の検索サイトでのプロフィールを元にcururuサイトでcho-rokが書いたものを再録したものです。gooブログに再録するにあたって、多少加筆しました。あくまで、私感によるプロフィールご紹介ですが、明らかな間違いがある場合は、指摘して下さるとありがたいです。



link:
KimJongkook(Wikipedia).. http://en.wikipedia.org/wiki/Kim_Jong_Kook
김종국(キム・ジョングク)公式ページ.. http://www.jongkook.co.kr/
김종국(キム・ジョングク)公式ファンクラブ.. http://cafe.daum.net/jongkooklove
김종국 위키백과(キム・ジョングク ウィキ百科 韓国語).. http://ko.wikipedia.org/wiki/%EA%B9%80%EC%A2%85%EA%B5%AD_(%EA%B0%80%EC%88%98)


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