ヒイミサマ (日忌様)というのは現在ワタシの住んでいる集落を起源とする伝承に基ずくもので,客観的には奇習ともいえる行事のことです.
具体的には1月24日朝.
住居の各面の羽目板にトベラと野蒜(ノビル)をかざした後,玄関および四周に決められた磯から拾ってきた小石を置き海水を少量注ぐ. 神棚には半紙を敷いた上に25個の餅をトベラ,野蒜とともに供え,行事が済んだ後にはその餅をお守りとして家族それぞれが持ち歩く. 残った餅はいただく.
当日は朝からできるだけ海を見ないようにすること.当夜は大声・大音を控えそうそうに寝付くこと.大戦前には他地区からの交通もストップしたようで電報配達夫さえも追い返されたと記している文献もあります. 15才年長の兄の世代は他地区にあった高校を早退して帰宅したようです.
こんなところが主な事項です.
この行事の由来ですが,
往昔悪代官が 当集落(泉津)にいて甚だしく村民を苦しめたので当時の若者25名が相謀って,正月24日夜これを撲ち殺し,波治加麻神社境内の大木を伐って一夜のうちに丸木舟を造り,これに乗って遁げ去った.海上を利島・新島・神津島と順次漕ぎつけ,ことに新島・神津島では 上陸を懇請したけれども後難を恐れていずれも拒絶したので空しく漂流して残らず溺死した.その亡霊が忌日の正月24日の夜,丸木舟に五色の旗を立てて泉津の前浜にくるという,これが古来からの伝承である.
「伊豆大島志考 立木猛治著 昭和36年版 583頁記載」
ということで.この風習は大島以南の島 利島・新島・神津島ではカンナンボウ又は カンナンボウシなどと呼ばれ少しずつ異なるアレンジを施されながら今でも続いているようです.
住民のために蜂起して非業の死を遂げた人たちを恐れるというのは何か不合理な感じもありますが,心情的にはむしろピンと来るのは農耕民族の習性からなのでしょうか.
インターネットで地球の裏側に住む未知の人とさえコミュニケーションのとれる時代ですが,こんな重たくもロマンのある伝承がいまも尊重されるのもなかなか良いものです.
さて,今夜は早寝しようっと.
写真は丸木舟を作ったという伝説の舞台. 波治加麻神社
なるほどね。
神津島でも昔聞いたことがあるけど…
あまり覚えていないナ
我々の先祖はヒイミサマとは関係が深かったのかもしれません.
一度墓参りしなくては…