2015年8月28日から29日にかけて一泊二日の富士登山をしてきました.私の人生の中では稀に属するイベントと思われますので少し長くなりますが記録を残しておきたいと思います. お急ぎの方は写真のみご覧ください.(クリックで拡大されます)
もともと野歩きは好きな方でしたがここ数年は伊豆大島ジオパーク研究会の巡検や大島ウォーキングクラブ(OWC)の活動を通してフィールドに出る事が特に多くなりました.富士山についても漠然とした関心はあったものの,そこに登る行為は全く別のジャンルに属することと思っていました.そもそも現在の体力では山頂(3776m)に到達するのは極めて困難な事が自明だったのです.
昨年の8月2日深更に三原山でアマチュア無線を運用中に小さな明かりに縁取られた山体のシルエットが見える事に気付きました.今思えばご来光目指して富士宮ルートや御殿場ルートを登る人々のキャップランプの列だったのですが100km隔てた大島でさえも見える山頂を目指す多くの人々の思いに心動かされるものがありました.
その年の10月ごろに町主催のウォーキング教室がありました.講師は一昨年の土砂災害でお嬢さんを亡くされたプロインストラクターのK子さん.高校時代可愛がっていただいた先輩でもあり,その後の様子を知りたくてほとんどの参加者が高齢の女性という会場にもぐりこみました.K子先輩からウォーキングの基礎を学んだ後「これをしっかりやったら富士山に登れるようになるかも」という考えがふつふつと湧いてきました.あと一年で還暦だし,ひとつ頑張ってみるか,ということでその後10カ月ほどのトレーニングを経てなんとか富士登山に耐えられる体を作ることができました.
登山日程は混雑を避けて設定したのですが当初予定の8月26日はダブル台風15・16号の接近により断念.2日遅れの28日朝,富士宮駅発の登山バスで5合目登山口に向かいました.
参加予定メンバーはOWCを中心に5名まで増えたのですが,日程都合や体調不安などで次々と脱落し,最終的にOWC副会長でプロのネイチャーガイドでもあるS姉さんと二人でバディを組むことになりました.
行程について
今回は,はじめからパックツアーの利用は想定していなかったので初めての富士山としてはかなり変則的な計画を立てました.大まかには富士宮5合目から山小屋一泊を経て登頂し吉田ルートでスバルライン5合目に下るコースです.初日は富士宮5合目登山口からは登攀開始せず,高地順応を兼ねて宝永遊歩道を使い宝永山火口縁までの軽トレッキングののちプリンスルートを逆行して6合目に到達.8合目の石室池田館までたどり着いたところで1日目が終了. 17時頃に夕食(カレー)を食べ深夜出発に備えて18時頃就寝しました.(比高840m)
2日目は午前5時過ぎのご来光に合わせて01:50ころ池田館を出発しました.この時も富士宮ルートには登らず山の斜面越しに右にトラバースして御殿場ルートに回りこみ山頂に向かいました.理由は混雑や体力的な理由で登頂が間に合わなかった場合,富士宮ルートではご来光が山影で見えないからです.結果的にご来光ビューポイントには04:50に到着できたので必要のない迂回だったようです.ただしトラバース距離は500mほどあるのでその所要時間は寝起きの高地順応に有効だったかもしれません.
二日目の比高500mは日頃三原山に登り慣れている我々にとってはさほど厳しい高さではないはずなのですが,昨日の疲れと空気の薄いせいでやたらと息が上がります.必然的に高度を20m稼いだら一休みという尺取虫のような登りかたになります.回りを見渡せば前後の登山者は行程を通してほとんど見慣れた顔触れで我々がとくに遅いというわけではなさそうでした.途中陸自の隊員が大勢見られましたが我々よりも登攀速度が遅く,小隊単位で休憩している様子はかなり疲弊しているようでした.キャップランプの光も乏しいことから御殿場口から夜を徹して登ってきたものと思われました.訓練とは言え大変な運動量です.ご苦労さま.
薄明るくなってきた山頂付近では「もうすぐご来光ー」「時間ないよー」とガイドらしき人が叫んでいるのが聞こえます.我々はかろうじて日昇時間に間に合い御殿場ルート山頂より東側にある通称「賽ノ河原」と呼ばれる朝日岳付近のビューポイントに移動しました.
込み合う時期を避けたかいあって困難な思いをすることなく05:15頃雲海から顔を出したご来光をカメラに収めることができました.
下山
登頂を果たした喜びとは裏腹に二人とも疲労が激しいので最高峰の剣が峰行はパスすることに意見が一致し,お鉢を左回りに3分の1ほど移動して吉田口頂上に向かいました.午前6時ごろ登山客でにぎわう久須志神社付近の山頂商店街を後に下山開始し50回を超えるつづら折りの下山道を4時間かけて吉田口5合目にたどり着きました.(比高1405m) 二人とも筋肉や関節の痛みに耐えながらの歩行でスリップ転倒も数回あり登りよりキツイと感じながらの下山でした.
持ち物
通常の着替えやファストエイド・飲み物・行動食等を合わせると目立った重量物がなくても8kgを超えました.パッキング後試しに背負ってみた第一印象は「ホントにこんなに重いものを山頂まで持って行けるのか?」です.大島に帰る前に風呂に行くとなるとその分の着替えも持ち歩かなければなりません.私は夜行船を待つ間に浜松町駅付近の銭湯「ふれあいの湯」で入浴しました.
持参したものの使用しなかったグッズもいくつかあります.ファストエイドはともかくとして,ザックカバー.下肢用雨具・サングラス・軍手・アイマスク・マスク・トイペ・カメラ予備電池(持たず)・キャップランプ予備電池(持たず)などです.(不必要ではなく今回はたまたま使用しなかったものです)
疲労・高山病
もっとも警戒したのは高山病ですが結果的に二人とも発症はありませんでした.アラカンの我パーティーは必然的に無理しないゆっくりした登り方となったこと.宝永火口見物や御殿場ルートへの迂回など同一高度の移動時間が多くあった事などが理由と思われます.疲労感については,こんなはずではなかった,思っていた以上に辛かったというのが正直な感想です.登山前は二人とも来年は別ルートで登ろうなどと話し合っていたのですが,下山後にはその話題は無くなっていました.疲労の仕方は低地で行動する場合とはかなり異なります.数歩登ると急速に身体が重くなりますが立ち止まると速やかに楽になります.とくに二日目は空気が薄いせいか顕著です.したがって,ちょっと昇っては一休みを繰り返すヒットエンドラン式の登りかたにならざるを得ません.当然,登山計画は地図のルート所要時間を鵜飲みにせず余裕を取る事が必要です.われわれの場合,昭文社登山地図の表示のおおむね5割増しの時間が必要でした.下山では登りとは異なる筋肉に負荷がかかり一層キツクなります.私は膝の関節が痛みだし真っ直ぐに歩くことが困難になりました.(現在は回復)
登山客
吉田口5合目のツアーバス終点ではそこにいる観光客の9割かと思えるほど隣りの大陸の言葉が飛び交っていましたが,実際に登山に挑んでいる外国人はコーカソイドが目立ちます.髪を刈り上げたGIらしきパーティーだけでなく,ロシア語らしき会話の家族連れや女子を含む友達同士のパーティー等々,2割ほどは海外からの登山客に思えました.多くの外国人登山者が日の丸や旭日旗の着いた金剛杖を持っていました.ふもとで買った時から着いているのだろうけどおかしかった.
山小屋
富士宮ルートでは山小屋を伝統的に石室と呼びます.一泊2食付きで7500円.ふろ・シャワー無し.メニューは夕食はカレーの小盛り一皿,朝食はチェックイン時にレジ袋に入れて渡される牛乳パック,菓子パン2個,ソイジョイ1個のセット. 寝床はシュラフで雑魚寝です.東海汽船の2等和室のイメージです.暖房はありませんが寒くはなかったです.
トレーニング
私の同級生達には説明不要ですが,運動のセンスは昔から最下位クラスでした.もちろん長距離走もだめ.そんな身体を富士山に登れるまで改造するには時間をかけるしかありませんでした.はじめは自宅のまわりを200~300mほど速足で歩いただけで息があがりました.距離を徐々に増やしながら負荷も加え,水入りペットボトルを数本ザックに入れ,手足にはウエイトバンドを巻き付けてと序々に増やし最終的に自宅から大島公園までの往復4kmを合計9kgの負荷を着け6km/hの早さでウォーキングすることを週に4-5日.これを9ケ月間続けました.島外への出張中も無負荷ながら極力歩くようにしました.ただしザック負荷(6kg)は腰痛が出やすいので登山前一か月間はウエイトバンドのみで歩きました.
バディについて
今回同行していただいたS姉さんは私の一つ歳上.島外トレッキングを含めて過去に何回もパーティーを組んでいただいた方です.ネイチャーガイドとして判断力や知識が豊富で道中に係る細かな説明は一切不要でした.話していて疲れない.聡明.安心.スタミナは私以上という.最強のパートナーでした.基本的には単独でも行く予定でしたが,素人の単独富士登山なんてだれが考えても危険です.今回は幸運だったと思います.
我々のパーティーはスコリアの色の違いや溶岩流を見ても萌えることのできるやや変わった感性を持っていますが富士山は単独峰で上部は岩だらけ.多くのトレッキングルートのような豊かな自然は見られません.登山ではなく参道が過酷な宮参りだと表現する方もいます. 本邦最高峰から見る日の出は素晴らしいものですが,ここしばらくは緑のあるルートを歩きたいと思っています.
2015.9.1 記
09:07 階段が富士宮5合目登山口ですが今回はこちらを登らず右に行き宝永遊歩道に向かいます.
40分ほど森林地帯を歩くと宝永山第2火口縁にでます.
休息と高地順応を兼ね宝永火口の雄大さにしばらくみとれます.左上に6合目の山小屋が見えています.
この歳でタイツ姿はこっぱずかしいけど,とにかく足が上げやすいです.
途中の山小屋で休息をとりながら登ります.しばらくはこんな道が続きます.
13:34 標高 3000mを通過
新7合目(2790m)の上は元祖7合目(3030m)??
赤色のスコリアが熔着した岩(アグルチネート)の間を歩く.ワクワク.
15:00 本日の目的地8合目池田館に到着(3220m)
山小屋の中はこんなふう.
区画割りをしていないころの東海汽船2等客室に比べたら天国です.
午後5時30分を過ぎてもまだまだ人が登って来ます.宝永火口や途中の山小屋,5合目登山口までよく見えています.
8月29日午前1時50分 出発です.相模湾沿岸の夜景
御殿場ルート山頂から賽ノ河原へ移動.下界は雲海の下です.
05:15 どこで見てもおなじ太陽だけどここで見るのは格別の景色です.
二人とも疲労が激しいので無理はやめて剣が峰はスルーしました.
空がどんどん明るくなり気温も上がって来ました.
時々雲海の切れ間からふもとまで見渡せる.吸い込まれそうな落差感です.
吉田口ルート山頂は山小屋が複数並び商店街の賑わいのようです.
06:40 下山開始して40分経過.膝の芯がイタイ. それにしても外国人が多いです.
下山道はジクザクを50回以上の繰り返し.足の痛さに耐えかねて後ろ向きや横向きで下る人も多くいます.
吉田6合目の標識. 上方向は富士山山頂といたってシンプル.
登山シーズンも終盤とあって山小屋の補給や補修資材を積んだクローラー車両が何台も登っていきました.
終点5合目までもう少し.
足の痛さに馬車の誘惑(2000円)
終盤の数百メートルはなぜか登り坂
5合目到着.雲海の下は霧雨でした.ツアーバスの終点でもあり多くの観光客がいます.聞こえる会話はほとんどが中国語.
バス停横の階段を上り
新宿駅直行の高速バスを待つあいだに御中道を偵察.
ここなら登頂を目ざさないウォーキング仲間でも楽しめそうです.
この後12:00にバスに乗車.新宿駅に到着したのは15時少し前でした.
以上
もともと野歩きは好きな方でしたがここ数年は伊豆大島ジオパーク研究会の巡検や大島ウォーキングクラブ(OWC)の活動を通してフィールドに出る事が特に多くなりました.富士山についても漠然とした関心はあったものの,そこに登る行為は全く別のジャンルに属することと思っていました.そもそも現在の体力では山頂(3776m)に到達するのは極めて困難な事が自明だったのです.
昨年の8月2日深更に三原山でアマチュア無線を運用中に小さな明かりに縁取られた山体のシルエットが見える事に気付きました.今思えばご来光目指して富士宮ルートや御殿場ルートを登る人々のキャップランプの列だったのですが100km隔てた大島でさえも見える山頂を目指す多くの人々の思いに心動かされるものがありました.
その年の10月ごろに町主催のウォーキング教室がありました.講師は一昨年の土砂災害でお嬢さんを亡くされたプロインストラクターのK子さん.高校時代可愛がっていただいた先輩でもあり,その後の様子を知りたくてほとんどの参加者が高齢の女性という会場にもぐりこみました.K子先輩からウォーキングの基礎を学んだ後「これをしっかりやったら富士山に登れるようになるかも」という考えがふつふつと湧いてきました.あと一年で還暦だし,ひとつ頑張ってみるか,ということでその後10カ月ほどのトレーニングを経てなんとか富士登山に耐えられる体を作ることができました.
登山日程は混雑を避けて設定したのですが当初予定の8月26日はダブル台風15・16号の接近により断念.2日遅れの28日朝,富士宮駅発の登山バスで5合目登山口に向かいました.
参加予定メンバーはOWCを中心に5名まで増えたのですが,日程都合や体調不安などで次々と脱落し,最終的にOWC副会長でプロのネイチャーガイドでもあるS姉さんと二人でバディを組むことになりました.
行程について
今回は,はじめからパックツアーの利用は想定していなかったので初めての富士山としてはかなり変則的な計画を立てました.大まかには富士宮5合目から山小屋一泊を経て登頂し吉田ルートでスバルライン5合目に下るコースです.初日は富士宮5合目登山口からは登攀開始せず,高地順応を兼ねて宝永遊歩道を使い宝永山火口縁までの軽トレッキングののちプリンスルートを逆行して6合目に到達.8合目の石室池田館までたどり着いたところで1日目が終了. 17時頃に夕食(カレー)を食べ深夜出発に備えて18時頃就寝しました.(比高840m)
2日目は午前5時過ぎのご来光に合わせて01:50ころ池田館を出発しました.この時も富士宮ルートには登らず山の斜面越しに右にトラバースして御殿場ルートに回りこみ山頂に向かいました.理由は混雑や体力的な理由で登頂が間に合わなかった場合,富士宮ルートではご来光が山影で見えないからです.結果的にご来光ビューポイントには04:50に到着できたので必要のない迂回だったようです.ただしトラバース距離は500mほどあるのでその所要時間は寝起きの高地順応に有効だったかもしれません.
二日目の比高500mは日頃三原山に登り慣れている我々にとってはさほど厳しい高さではないはずなのですが,昨日の疲れと空気の薄いせいでやたらと息が上がります.必然的に高度を20m稼いだら一休みという尺取虫のような登りかたになります.回りを見渡せば前後の登山者は行程を通してほとんど見慣れた顔触れで我々がとくに遅いというわけではなさそうでした.途中陸自の隊員が大勢見られましたが我々よりも登攀速度が遅く,小隊単位で休憩している様子はかなり疲弊しているようでした.キャップランプの光も乏しいことから御殿場口から夜を徹して登ってきたものと思われました.訓練とは言え大変な運動量です.ご苦労さま.
薄明るくなってきた山頂付近では「もうすぐご来光ー」「時間ないよー」とガイドらしき人が叫んでいるのが聞こえます.我々はかろうじて日昇時間に間に合い御殿場ルート山頂より東側にある通称「賽ノ河原」と呼ばれる朝日岳付近のビューポイントに移動しました.
込み合う時期を避けたかいあって困難な思いをすることなく05:15頃雲海から顔を出したご来光をカメラに収めることができました.
下山
登頂を果たした喜びとは裏腹に二人とも疲労が激しいので最高峰の剣が峰行はパスすることに意見が一致し,お鉢を左回りに3分の1ほど移動して吉田口頂上に向かいました.午前6時ごろ登山客でにぎわう久須志神社付近の山頂商店街を後に下山開始し50回を超えるつづら折りの下山道を4時間かけて吉田口5合目にたどり着きました.(比高1405m) 二人とも筋肉や関節の痛みに耐えながらの歩行でスリップ転倒も数回あり登りよりキツイと感じながらの下山でした.
持ち物
通常の着替えやファストエイド・飲み物・行動食等を合わせると目立った重量物がなくても8kgを超えました.パッキング後試しに背負ってみた第一印象は「ホントにこんなに重いものを山頂まで持って行けるのか?」です.大島に帰る前に風呂に行くとなるとその分の着替えも持ち歩かなければなりません.私は夜行船を待つ間に浜松町駅付近の銭湯「ふれあいの湯」で入浴しました.
持参したものの使用しなかったグッズもいくつかあります.ファストエイドはともかくとして,ザックカバー.下肢用雨具・サングラス・軍手・アイマスク・マスク・トイペ・カメラ予備電池(持たず)・キャップランプ予備電池(持たず)などです.(不必要ではなく今回はたまたま使用しなかったものです)
疲労・高山病
もっとも警戒したのは高山病ですが結果的に二人とも発症はありませんでした.アラカンの我パーティーは必然的に無理しないゆっくりした登り方となったこと.宝永火口見物や御殿場ルートへの迂回など同一高度の移動時間が多くあった事などが理由と思われます.疲労感については,こんなはずではなかった,思っていた以上に辛かったというのが正直な感想です.登山前は二人とも来年は別ルートで登ろうなどと話し合っていたのですが,下山後にはその話題は無くなっていました.疲労の仕方は低地で行動する場合とはかなり異なります.数歩登ると急速に身体が重くなりますが立ち止まると速やかに楽になります.とくに二日目は空気が薄いせいか顕著です.したがって,ちょっと昇っては一休みを繰り返すヒットエンドラン式の登りかたにならざるを得ません.当然,登山計画は地図のルート所要時間を鵜飲みにせず余裕を取る事が必要です.われわれの場合,昭文社登山地図の表示のおおむね5割増しの時間が必要でした.下山では登りとは異なる筋肉に負荷がかかり一層キツクなります.私は膝の関節が痛みだし真っ直ぐに歩くことが困難になりました.(現在は回復)
登山客
吉田口5合目のツアーバス終点ではそこにいる観光客の9割かと思えるほど隣りの大陸の言葉が飛び交っていましたが,実際に登山に挑んでいる外国人はコーカソイドが目立ちます.髪を刈り上げたGIらしきパーティーだけでなく,ロシア語らしき会話の家族連れや女子を含む友達同士のパーティー等々,2割ほどは海外からの登山客に思えました.多くの外国人登山者が日の丸や旭日旗の着いた金剛杖を持っていました.ふもとで買った時から着いているのだろうけどおかしかった.
山小屋
富士宮ルートでは山小屋を伝統的に石室と呼びます.一泊2食付きで7500円.ふろ・シャワー無し.メニューは夕食はカレーの小盛り一皿,朝食はチェックイン時にレジ袋に入れて渡される牛乳パック,菓子パン2個,ソイジョイ1個のセット. 寝床はシュラフで雑魚寝です.東海汽船の2等和室のイメージです.暖房はありませんが寒くはなかったです.
トレーニング
私の同級生達には説明不要ですが,運動のセンスは昔から最下位クラスでした.もちろん長距離走もだめ.そんな身体を富士山に登れるまで改造するには時間をかけるしかありませんでした.はじめは自宅のまわりを200~300mほど速足で歩いただけで息があがりました.距離を徐々に増やしながら負荷も加え,水入りペットボトルを数本ザックに入れ,手足にはウエイトバンドを巻き付けてと序々に増やし最終的に自宅から大島公園までの往復4kmを合計9kgの負荷を着け6km/hの早さでウォーキングすることを週に4-5日.これを9ケ月間続けました.島外への出張中も無負荷ながら極力歩くようにしました.ただしザック負荷(6kg)は腰痛が出やすいので登山前一か月間はウエイトバンドのみで歩きました.
バディについて
今回同行していただいたS姉さんは私の一つ歳上.島外トレッキングを含めて過去に何回もパーティーを組んでいただいた方です.ネイチャーガイドとして判断力や知識が豊富で道中に係る細かな説明は一切不要でした.話していて疲れない.聡明.安心.スタミナは私以上という.最強のパートナーでした.基本的には単独でも行く予定でしたが,素人の単独富士登山なんてだれが考えても危険です.今回は幸運だったと思います.
我々のパーティーはスコリアの色の違いや溶岩流を見ても萌えることのできるやや変わった感性を持っていますが富士山は単独峰で上部は岩だらけ.多くのトレッキングルートのような豊かな自然は見られません.登山ではなく参道が過酷な宮参りだと表現する方もいます. 本邦最高峰から見る日の出は素晴らしいものですが,ここしばらくは緑のあるルートを歩きたいと思っています.
2015.9.1 記
09:07 階段が富士宮5合目登山口ですが今回はこちらを登らず右に行き宝永遊歩道に向かいます.
40分ほど森林地帯を歩くと宝永山第2火口縁にでます.
休息と高地順応を兼ね宝永火口の雄大さにしばらくみとれます.左上に6合目の山小屋が見えています.
この歳でタイツ姿はこっぱずかしいけど,とにかく足が上げやすいです.
途中の山小屋で休息をとりながら登ります.しばらくはこんな道が続きます.
13:34 標高 3000mを通過
新7合目(2790m)の上は元祖7合目(3030m)??
赤色のスコリアが熔着した岩(アグルチネート)の間を歩く.ワクワク.
15:00 本日の目的地8合目池田館に到着(3220m)
山小屋の中はこんなふう.
区画割りをしていないころの東海汽船2等客室に比べたら天国です.
午後5時30分を過ぎてもまだまだ人が登って来ます.宝永火口や途中の山小屋,5合目登山口までよく見えています.
8月29日午前1時50分 出発です.相模湾沿岸の夜景
御殿場ルート山頂から賽ノ河原へ移動.下界は雲海の下です.
05:15 どこで見てもおなじ太陽だけどここで見るのは格別の景色です.
二人とも疲労が激しいので無理はやめて剣が峰はスルーしました.
空がどんどん明るくなり気温も上がって来ました.
時々雲海の切れ間からふもとまで見渡せる.吸い込まれそうな落差感です.
吉田口ルート山頂は山小屋が複数並び商店街の賑わいのようです.
06:40 下山開始して40分経過.膝の芯がイタイ. それにしても外国人が多いです.
下山道はジクザクを50回以上の繰り返し.足の痛さに耐えかねて後ろ向きや横向きで下る人も多くいます.
吉田6合目の標識. 上方向は富士山山頂といたってシンプル.
登山シーズンも終盤とあって山小屋の補給や補修資材を積んだクローラー車両が何台も登っていきました.
終点5合目までもう少し.
足の痛さに馬車の誘惑(2000円)
終盤の数百メートルはなぜか登り坂
5合目到着.雲海の下は霧雨でした.ツアーバスの終点でもあり多くの観光客がいます.聞こえる会話はほとんどが中国語.
バス停横の階段を上り
新宿駅直行の高速バスを待つあいだに御中道を偵察.
ここなら登頂を目ざさないウォーキング仲間でも楽しめそうです.
この後12:00にバスに乗車.新宿駅に到着したのは15時少し前でした.
以上
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます