船に乗るのは久し振りの事である。去年のクリスマスに石垣へ渡る為にこの那覇港から乗船して以来の事であるから、四ヵ月と三週間振りになる。以来飛行機づいてしまい船とは殆どご無沙汰してしまっている。三人揃ったところで一緒に乗船した時には未だ客席は空いていて、すぐに座を確保出来たのだけれど、依然としてテツペイさんの姿は何処にも見受けられなかった。出航時間も間際に迫り席も埋まり始め、冗談であるかの様にこの船に . . . 本文を読む
この時、同じ那覇港内でまた数人に出会うように一日が設けられていた様であった。二階に行ってみると、昨夜のミーティングで喋っていた大阪の髭の男や同じY.H.のホステラーも二~三人いた。そして時間は前後するが、一階の乗船カウンターでは角山が私達の後を追い掛け、多分来るであろうと待ち構えていた。まあそんなわけで港での再会劇の後、時間潰しに市内をノラリクラリする事にするした。どうも私に限らず旅行者のする事は . . . 本文を読む
5月11日の悲惨な出来事に懲りた事が理由で、何とか早いうちに関西から離れたいと云う気持ちが先走っていた。嫌気が差していたのだ。それで、12日茨木(大阪)経由で河原町(京都)・松三Y.H.13日東山Y.H.と古都京都を見て回り近付く「葵祭り」を見ずに14日那覇に戻って来て、いつものY.H.春海荘ではなく那覇Y.H.に泊まった。理由は無い。ただの閃きに従っただけ。その間の日記は書いてあるけれど、ここで . . . 本文を読む
(#2) 笑い話しの様な午後二時二十五分。大阪駅に着いてY.H.のハンドブックから、今夜の宿となるべく近そうなY.H.を探し出した。園田Y.H.と云う所で、交通の便も良さそうだった。それで阪急電車の乗り場へ足を急がせ(何故急いだのか今でも解らないが)、何かに取り憑かれた様に二時四十分の電車に乗り込んだ。約二十分程で園田駅に着き予約の電話を掛けたところ、何度掛けてもただ呼び出し音が鳴るだ . . . 本文を読む
(#1)今日もまた小雨、出発の為に用意された様な小雨の朝。全ての用意を整え時間待ちのギターを爪弾く音の中へ、高子姉さんからの電話の声が届けられた。この胸に去来してやまない、隠し切れない気持ちを上手く伝えられなかった。「…きっとまた帰って来るから…」と言っておいたけれど、それが一番的中した言葉だった。その電話の後に今度は美恵子姉さんから、九時三十分〜四十分の間にここへ着く . . . 本文を読む
保育所の戸を開けて中に入ってみると、幸子姉さんと妹さんが掃除をしているところだった。まるで田舎の小学校の分校調の下駄箱の風景を思わせる様な、玄関にある木の板(スノコ…とでも言うのだろうか)に、本当に懐しい郷愁にも似た(想像だけの)ものを感じた。大きな部屋にはピアノや本棚・本箱・玩具箱…等々。それから木の床の上、奥の一角だけには畳が数枚敷き詰めてあった。掃除が終るのを美恵 . . . 本文を読む
朝(?)目覚たのが午前十時頃。しまつた…と思ってみたものの外は雨。止みそうもない雨。陽水ではないけれど〈傘がない〉から肝心な事は何も出来ず、ただただ時は去り行き、結局は一日の生活が無駄に終ってしまう。何故だったのだろうか。憂鬱な雨空を見飽きた後、部屋の中で一人ぽつんと思い浮かべていたのは、おの博多の街並みの光景だった。あの時どうして「沖縄」の二文字を思い付き行動に出てしまったのだろう . . . 本文を読む
午前九時半、チェックアウト・リミットの三十分前にホテルを出た。先ずは荷物を駅のコインロッカーに入れ、今日は中洲を重点的に歩いてみた。…が、ただ時の空費に終始してしまった…という気持ちが頭の中から離れなかった。気が付いたらまた駅前迄戻っていた。これは暗示的なものであつた様にも思える。色々とこれからの行動に付いて考えたつもりになって(しかし、本当はどうだったのだろう?)、一 . . . 本文を読む
全日空.Flight−251〈トライスター〉。正午のFlight迄はまだまだかなりの時間が有った。例によってあの新潟以来のショルダーバッグをを肩に、そして愛読書『ビートルズ派手にやれ(アラン・ウイリアムス著)』を手にして空港に姿を見せたのは、午前十時を少し回った頃だった。朝寝坊をしてしまったのと空席が無かった為に、一度大阪に立ち寄り、久しく会わない友人の顔を拝もうという兼ねてからの計画 . . . 本文を読む