藤沢作品の「隠し剣シリース」の最初が"邪剣竜尾返し"
初出は「オール読物 昭和51年10月号」
この作品は終の棲家となる大泉学園町に引っ越す前の、東久留米市に住んでいた
ころの執筆・発表である。
作家として、一本立ちの目途が立ち生活も安定した時期で、多作に入った
頃である。
隠し剣の剣技は、実際に一人で立ち回りをし、実用できるかどうかを
確認したうえで、書いたという。
司馬遼太郎の「竜尾返し」は(何の作品だったか、見つけるのに手間取った)
中編小説「千葉周作」に出ていた。
初出は、昭和38年6月別冊文芸春秋に発表されている。
私は、この短編集(昭和46年初版)で読んだ(司馬の本はあまり持っていない)
さて、「千葉周作が『お案じなさるな。拙者が兵法には竜尾返しという秘術が
ござる。何百人何千人押し寄せるとも、この秘術一つあれば、寄せてを乱離骨灰
に砕き申す(以下略)』
これを聞いた敵方一統百人が、みな逃走した。そんな秘法などは、むろんない。」
つまり、私が言いたいのは「藤沢は実践の剣法を書き、司馬は秘法なんてないの
だ」と云っていた、ということ。
なんか言葉足らずで、司馬ファンに誤解を与えそうだけど・・謝
藤沢周平が、東久留米市に住んでいた頃の話はまた別途の予定。