*敬称略 悪しからず
藤沢周平が直木賞を受賞したのは、昭和48年第69回「暗殺の年輪」で受賞。
昭和46年・オール読物新人賞(第38回「溟い海」)から2年後である。
直木賞候補には、「溟い海」「囮」「黒い縄」と三度昇ったが、受賞には
至っていない。
藤沢「私は、オール読物新人賞を受賞してのデビューなので、恥ずかしい物は
書けない、という意識があった。暗殺の年輪は、はじめ「手」という題だった
のですが、編集者に勧められて「暗殺の年輪」にした」
藤沢「オール読物新人賞というのは、他の新人賞に比べると、なんというか
格上というか、なんかそういう気持ちがするんですよね」
第68回直木賞候補作「黒い縄」初出所収
別冊文芸春秋 121特別号 9月号
この時期、会社員生活と作家の二足の草鞋だが、作家としては
まだまだ駆け出しであり、筆一本の生活に自信が持てなかった
と云う。
ただし、日常生活は、昭和44年に高沢和子さんという生涯の伴侶を
得て、安定していた。
和子夫人「人助けのつもりで結婚したのよ。
まさかこれだけの作家になるとは、思ってもいなかった」と
後年、笑いながら話していた。