*敬称略 悪しからず
藤澤周平は、[1949年昭和24年]
山形師範学校卒業し、当時の山形県西田川郡湯田川村立
湯田川中学校へ赴任。9月から一年生の国語と社会を担当
藤沢は云う「本当にもう、教え子とは良く言ったものでね。
自分の子供みたいなもんですよ。僕は、まあ、先生の時、その時、
満で21くらいの時ですよ、今考えるとネ。
そんな若さでもネ、教え子って言うのは、まさに子供みたいな気持ちが
する時が有るんですヨ。」
・昭和26年 24歳 三月学校の集団検診で、肺結核が発見され、
新学期から休職となり以後教職を去ることになる。
藤澤「病気になって、休職しょうということになってネ、僕は最初、
実際そうなんだけども、そんな大変な病気じゃないと思ってて、
一年くらいも休んで、休職すれば戻れるだろうと思ってて、その時、
何も言わなかったんですよ。生徒にネ、休むって。」
行く間際になれば、言おうと思って、ところが、どこか様子が
おかしかったんでしょうな。生徒が気にして、くっ付いて来るんですよ。
離れないんですよネ。
あれはね、先生はどっかに移るんだって思ったって言うんですヨ。
先生はネ、彼らに言わせれば、春になるとネ異動があるでしよう。
だからね、先生はどっかに変わるんだって、生徒達は考えたって
言うんですヨ。毎日毎日、うるさくてしょうがないですヨ。
それでくっ付いてきて、どうという事はないんだけど、始終誰か彼か
傍にいて、つまらない事をやっているっていう具合でネ。
何ともッ、可愛くて仕方がないんですヨ。本当にネ。
その時、先生って言うのはこういうもんかってつくづく思ったんですヨ。」
*藤沢周平の教師像を含め、続きは、明日・・できるだけ書きます。