残照亭の日日

残り少ない日々、自分の日常や古い話などを時々書きます。
故「藤沢周平」のファン。思い出の作品などを書いてます。

「藤沢周平」⑤"子供たちに好かれた教師時代"

2023-09-07 | 藤沢周平作品

*敬称略 悪しからず

藤澤周平は、[1949年昭和24年]
山形師範学校卒業し、当時の山形県西田川郡湯田川村立

湯田川中学校へ赴任。9月から一年生の国語と社会を担当

藤沢は云う「本当にもう、教え子とは良く言ったものでね。

自分の子供みたいなもんですよ。僕は、まあ、先生の時、その時、

満で21くらいの時ですよ、今考えるとネ。

そんな若さでもネ、教え子って言うのは、まさに子供みたいな気持ちが

する時が有るんですヨ。」

・昭和26年 24歳 三月学校の集団検診で、肺結核が発見され、

新学期から休職となり以後教職を去ることになる。

藤澤「病気になって、休職しょうということになってネ、僕は最初、

実際そうなんだけども、そんな大変な病気じゃないと思ってて、

一年くらいも休んで、休職すれば戻れるだろうと思ってて、その時、

何も言わなかったんですよ。生徒にネ、休むって。」

行く間際になれば、言おうと思って、ところが、どこか様子が

おかしかったんでしょうな。生徒が気にして、くっ付いて来るんですよ。

離れないんですよネ。

あれはね、先生はどっかに移るんだって思ったって言うんですヨ。

先生はネ、彼らに言わせれば、春になるとネ異動があるでしよう。

だからね、先生はどっかに変わるんだって、生徒達は考えたって

言うんですヨ。毎日毎日、うるさくてしょうがないですヨ。

それでくっ付いてきて、どうという事はないんだけど、始終誰か彼か

傍にいて、つまらない事をやっているっていう具合でネ。

何ともッ、可愛くて仕方がないんですヨ。本当にネ。

その時、先生って言うのはこういうもんかってつくづく思ったんですヨ。」

*藤沢周平の教師像を含め、続きは、明日・・できるだけ書きます。