*敬称略 悪しからず
「幸も不幸もまるごとが人生」(藤沢周平)
・昭和32年 結核療養所篠田病院を退院(30歳)
*ふるさと鶴岡に居場所は得られなかった。恋人とは別れるしかなく、
教師への復職も叶わず、上京し職を得るしかなかったのである
・昭和32年 教師時代の同僚の紹介で業界新聞K社に入社。
その後数社を転転とする・・・
藤沢「まぁ、業界紙の小さなところだったんですが、昼間っから酒飲んだり
麻雀したり、みたいな、性に合わなかったんですね」
・昭和34年8月 三浦 悦子と結婚
藤沢「病院に見舞いに来てくれていて、・・・」
・昭和35年 日本食品経済社に入社。「日本加工食品新聞」の編集者となる
・ 昭和37年 長男 死産
・昭和37年11月~39年8月まで高橋書店発行の月刊誌「読切劇場」
「忍者読切小説」「忍者小説」に短編小説15篇を発表
藤沢「雑誌社を紹介してくれた人が居て、それで少し発表するように
なったんですけど、いま読むと、まぁダメですね。」
・昭和38年2月 長女 展子誕生、6月 妻悦子倒れ、10月死去
・昭和39年から「オール読物新人賞」に応募
藤沢「この頃は、何もすることが出来なかった。勤めが終わったらすぐ
帰らないとダメでしたから、帰っても、小説を書く事しかなかった。」
・昭和39年暮れ 見合い結婚・離婚
藤沢「とにかく、助けて欲しかった。生活が成り立たないほど、
追い込まれていた感じですよ」
・昭和42年夏 山形の女性と結婚・離婚。(この後しばらく小説を書か
なかった)
・昭和44年1月 高沢 和子と再婚、以後生活は落ち着いていく
*藤沢氏は、高沢和子さんと結婚するまで、何度か見合いしては断られていた
和子夫人「とにかく何とかしてあげないと、という気持ちでしたね。その時は、
喫茶店で会ったんですけど、本当にもう・・・」
藤沢は、ようやく日々の生活に落ち着きを得ることが出来、本気で小説に
向かうようになったのである。