残照亭の日日

残り少ない日々、自分の日常や古い話などを時々書きます。
故「藤沢周平」のファン。思い出の作品などを書いてます。

「藤沢周平」⑧ ―時代小説と資料の関係―

2023-09-13 | 藤沢周平作品

* 敬称略 悪しからず

時代小説や歴史小説を書く時、資料類はどの程度採用するのだろうか。

藤沢は以下のような見解を示している。

藤沢:非常に難しいんですがね。あの~、資料って言うのはネ、

   あの~、噛み砕いてネ、原文を使わない場合とですネ、

   それから、原文を小説の中にそのまま出して使う場合とネ、

   両方あるわけですよネ。

   これは、時代小説の場合はネ、私は全部こなしてしまって、

   自分の解釈で持って、書くと言うのがモチベーションにして

   るんですよネ。

   歴史小説といった立場でネ書く場合はネ、資料が、これだけ

   長い物が有ると、その中でネ肝心のところ、その資料をのっける

   ことによって、作品が生きるということが有る訳です。

   そういったものはネある程度、そのまま出して使った方がいいと、

   その判断ですかネ。すごく難しいけどね。

   では、どれを資料としてのっけたらいいのかと・・

   例えばネ、こういう風な物が有る訳ですよね。

   こういうふうな物ネ。これはね、一揆の時にですネ、

   この立て札の立てられた土地の人で、一揆に反対した人、

   居るわけですよね。

   他の人は全部賛成して、殿様が国替えになるのを留める

   方に回ったわけです。

   ところが、それをチャンスだと見てネ、立身出世のために、

   敵方というとおかしいけど、あ~、まぁ、そこに替りに来る

   川越藩の手引きをした人が居るわけですネ。

   その人が、一揆の人に憎まれるわけですネ。

   それで、国替えが取り止めになった時に、非常に迫害されたわけ

   です。それで、後で、川越に逃げるんですけど、その後捕まって、

   藩に連れ戻されて、その人は、牢内で死ぬんですけどネ。

   その時に、その人を弾劾するために立てられた立札なんですけど

   ネ、これなんかはネ、文章を意訳してネ、ただ作品の中に書いて

   も、大して意味はないわけです。

   その事実は判っている訳ですからね。

   ところが、こういう文章の中にネ、非常にネ、当時の人の気持ち

   が表れてる訳ですヨ。

   非常に厳しい表現が有る訳ですヨ。

   こういったものは、このまま出さないとネ、あの~、当時の人の

   気持ちが分からない事になるんですよネ。

   これは“義民が駆ける”と言う中に、このまんま書いて有る訳です。

   ここは欠けていて、読めないんですけどネ(虫喰いですね)そう、

   でも、このまま載せている訳です。

「義民が駆ける」昭和51年初版本 中央公論社発行

「義民が駆ける」の表紙裏のサイン

資料の活用について、この項、続く

なかなか作品について、話すところにいけないナ~

まっ、ゆっくり行くさ・・・