* 敬称略 悪しからず
時代小説や歴史小説を書く時、資料類はどの程度採用するのだろうか。
藤沢は以下のような見解を示している。
藤沢:非常に難しいんですがね。あの~、資料って言うのはネ、
あの~、噛み砕いてネ、原文を使わない場合とですネ、
それから、原文を小説の中にそのまま出して使う場合とネ、
両方あるわけですよネ。
これは、時代小説の場合はネ、私は全部こなしてしまって、
自分の解釈で持って、書くと言うのがモチベーションにして
るんですよネ。
歴史小説といった立場でネ書く場合はネ、資料が、これだけ
長い物が有ると、その中でネ肝心のところ、その資料をのっける
ことによって、作品が生きるということが有る訳です。
そういったものはネある程度、そのまま出して使った方がいいと、
その判断ですかネ。すごく難しいけどね。
では、どれを資料としてのっけたらいいのかと・・
例えばネ、こういう風な物が有る訳ですよね。
こういうふうな物ネ。これはね、一揆の時にですネ、
この立て札の立てられた土地の人で、一揆に反対した人、
居るわけですよね。
他の人は全部賛成して、殿様が国替えになるのを留める
方に回ったわけです。
ところが、それをチャンスだと見てネ、立身出世のために、
敵方というとおかしいけど、あ~、まぁ、そこに替りに来る
川越藩の手引きをした人が居るわけですネ。
その人が、一揆の人に憎まれるわけですネ。
それで、国替えが取り止めになった時に、非常に迫害されたわけ
です。それで、後で、川越に逃げるんですけど、その後捕まって、
藩に連れ戻されて、その人は、牢内で死ぬんですけどネ。
その時に、その人を弾劾するために立てられた立札なんですけど
ネ、これなんかはネ、文章を意訳してネ、ただ作品の中に書いて
も、大して意味はないわけです。
その事実は判っている訳ですからね。
ところが、こういう文章の中にネ、非常にネ、当時の人の気持ち
が表れてる訳ですヨ。
非常に厳しい表現が有る訳ですヨ。
こういったものは、このまま出さないとネ、あの~、当時の人の
気持ちが分からない事になるんですよネ。
これは“義民が駆ける”と言う中に、このまんま書いて有る訳です。
ここは欠けていて、読めないんですけどネ(虫喰いですね)そう、
でも、このまま載せている訳です。
「義民が駆ける」昭和51年初版本 中央公論社発行
「義民が駆ける」の表紙裏のサイン
資料の活用について、この項、続く
なかなか作品について、話すところにいけないナ~
まっ、ゆっくり行くさ・・・