残照亭の日日

残り少ない日々、自分の日常や古い話などを時々書きます。
故「藤沢周平」のファン。思い出の作品などを書いてます。

「藤沢周平」⑩~恋・青春時代~

2023-09-17 | 藤沢周平作品

*敬称略 悪しからず

藤沢周平の青春時代は、短かったと云えるだろう。

あえて期間を求めれば、昭和21年5月・19歳の時「山形師範学校入学」から

昭和28年2月・26歳の時、肺結核治療のため東京都北多摩群「篠田病院」に

転院したときに、終わりを告げられたようなものであろう。

師範学校在学中に、故郷鶴岡出身のKさんという女性との、交際。

師範在学中の下宿先で、Kさんに手紙を書く姿は同級の数人に

目撃されている。

結婚の約束をし、親公認だったが、肺結核が判明した昭和26年3月

実際には、この時点でこの恋を諦めざるを得なかった。

この時の出来事と心境を藤沢は、「半生の記」に書いていない。

蒲生や松坂など、同級生にも語っていない。

*蒲生芳郎著 2002年7月1日 初版第一刷

約25年後、某氏に「先生を辞めざるを得なかった話をした時に、

ポツポツとこの恋の顛末を話した」のが、最初で最後だと思われる。

もう一つ某氏に話してはいるが「半生の記」に書かれなかったこと

が有る。が、このことはまたの時に。

K女子は、親の反対を押しきり、「篠田病院」を何度も訪れるのだが、

結局は古き因習に従わざるを得なかった。

この出来事は、初期の藤沢作品に様々な形で、影を落としている。

事実を知らないファンや雑誌関係者が「藤沢の小説は私小説である」と

いう由縁であろう。

初期の藤沢作品の、どこか影落とす一種の暗さ、静謐な清潔感などは、

中期・後期の作品になっても、時折思い出したように、顔を出すことが

有る。

藤沢とK女子は、約40年後ほんのひと時、友人を交えて再会を果たす。

すべての区切りになったのだろうか?