*敬称略 悪しからず
藤沢周平の青春時代は、短かったと云えるだろう。
あえて期間を求めれば、昭和21年5月・19歳の時「山形師範学校入学」から
昭和28年2月・26歳の時、肺結核治療のため東京都北多摩群「篠田病院」に
転院したときに、終わりを告げられたようなものであろう。
師範学校在学中に、故郷鶴岡出身のKさんという女性との、交際。
師範在学中の下宿先で、Kさんに手紙を書く姿は同級の数人に
目撃されている。
結婚の約束をし、親公認だったが、肺結核が判明した昭和26年3月
実際には、この時点でこの恋を諦めざるを得なかった。
この時の出来事と心境を藤沢は、「半生の記」に書いていない。
蒲生や松坂など、同級生にも語っていない。
*蒲生芳郎著 2002年7月1日 初版第一刷
約25年後、某氏に「先生を辞めざるを得なかった話をした時に、
ポツポツとこの恋の顛末を話した」のが、最初で最後だと思われる。
もう一つ某氏に話してはいるが「半生の記」に書かれなかったこと
が有る。が、このことはまたの時に。
K女子は、親の反対を押しきり、「篠田病院」を何度も訪れるのだが、
結局は古き因習に従わざるを得なかった。
この出来事は、初期の藤沢作品に様々な形で、影を落としている。
事実を知らないファンや雑誌関係者が「藤沢の小説は私小説である」と
いう由縁であろう。
初期の藤沢作品の、どこか影落とす一種の暗さ、静謐な清潔感などは、
中期・後期の作品になっても、時折思い出したように、顔を出すことが
有る。
藤沢とK女子は、約40年後ほんのひと時、友人を交えて再会を果たす。
すべての区切りになったのだろうか?