
恵比寿ガーデンプレイス内
10月21日(土)東京都写真美術館で開催されている「風景論以後」を見て来た
「風景論」とは、定義があることも知らず、映画や写真で語られた言葉だと知る
1970年代前後、ある日本映画を契機に提起された「風景論」を起点に
日常的な風景に、写真もしくは映像で対峙する現代の表現者たちの作品で構成
そこから何を受け取るか
見るほどに視点や感覚がひらかれていく刺激的な展示だった
風景は、誰にとっても馴染みの言葉であり、多様な文脈や歴史的背景で語られてきたがゆえに
一つの論としてそれを定義にすることは難しい
1970年代に現れた風景論は、その中でも特異な位置を占めているが
同時代的な広がりや国内外における新たな再評価の流れにもかかわらず
理論的な内容やその論争はほとんど知られていない
《略称・連続射殺魔》に加えて風景論で大きな役割を果たした
大島渚《東京战争戦後秘話》、若松孝二《ゆけゆけ二度目の処女》などの
映像作品、アーカイブ写真や印刷物を詳細に紹介することで、その論議と時代を再検証していく
当事者間の理論的な差異が、その理解を難しくした一つの大きな要因でもあった
風景論が内包する政治性と複雑性を再考する機会としたい
fashion-pressより
展示作品があり参考になります(展示室:撮影禁止)
着目する風景論が生まれる具体的な契機となったのが
足立正生、佐々木守、松田政男らによる映画『略称・連続射殺魔』
同作では、1968年に起こった無差別連続射殺事件の犯人が、
生まれてから逮捕されるまでに目にしたであろう風景のみ構成されている
スライドショー形式で展示されている映画のスチル写真
途中からだったが、見たことあるノスタルジックな風景に釘付けになる
犯人の永山則夫が逃走中に見たであろう風景を淡々とカメラが追っているだけだが
「風景論」としては、とてもリアルで説得力があった
帰って早速調べた
永山則夫(Wikipedia)
風景論と論じないといけないのかな・・・
参照:展覧会ガイド
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