21世紀の政治的、経済的思考基盤は、グローバリズムにあると思っていたのだが、最近やたら”ナショナリズム”についての書物や討論を見かける。姜尚中先生の「ナショナリズム」(岩波書店)あたりが火元のようだが、どちらかというと、覇権主義や帝国主義イメージを強くした国体ナショナリズム化への警鐘のようだ。
確かに、日本の歴史や戦前への回帰的傾向は、心するところでしょうが、少々の隣国や世界の軍事(核など)傾向に気をもむ人々が台頭しているようだが、あまり心配する必要はないでしょう。なぜなら、日本人の多くは戦争を経験している人も、戦後を経験している人も、そして戦後しばらくしての高度経済成長を経験している人も、”戦争のない平和”がいかに大切であるかを知っています。軍事的解決や覇権や自国の利己からは、何も解決できないことを世界で一番知っている国民がいまの日本人だと思えるからです。
島国の小さな国で、資源らしい資源がなく、すべて地球上の他の国を頼り、貿易立国するしかない日本が、他国が”嫌がったり””不安に思ったり”する覇権や帝国主義的行動やそのための軍備などに向かうことはありえないと思うのです。
むしろ、やたらグローバリズムやグローバルスタンダードといって、自国の権益やリーダーシップをかざすアメリカや常任理事国なる国々に、地球上のあらゆる民族や人々が”平等”なのだということを自覚して欲しいと思っています。多数の民族や宗教派が混在し、国や国家の”まとまりや統一”が出来ずに苦しんでいる多くの国々が考えるナショナリズムと、国家や国の体制が出来上がっている国々のそれとでは、目的的な違いがあると思う。国づくりのナショナリズムが、心の広いグローバリズム傾向のなかで”よき”方向に作用するよう見守り、支援していくことのほうが、ただ批判するより大切なのではないでしょうか。
グローバリズムも、そのなかでのナショナリズムも政治や体制の問題というより経済的なコンセプトや行動に関わる問題なのだといったら、”ぷちナショナリズム”の兆しだと批判されるかもしれませんね。
確かに、日本の歴史や戦前への回帰的傾向は、心するところでしょうが、少々の隣国や世界の軍事(核など)傾向に気をもむ人々が台頭しているようだが、あまり心配する必要はないでしょう。なぜなら、日本人の多くは戦争を経験している人も、戦後を経験している人も、そして戦後しばらくしての高度経済成長を経験している人も、”戦争のない平和”がいかに大切であるかを知っています。軍事的解決や覇権や自国の利己からは、何も解決できないことを世界で一番知っている国民がいまの日本人だと思えるからです。
島国の小さな国で、資源らしい資源がなく、すべて地球上の他の国を頼り、貿易立国するしかない日本が、他国が”嫌がったり””不安に思ったり”する覇権や帝国主義的行動やそのための軍備などに向かうことはありえないと思うのです。
むしろ、やたらグローバリズムやグローバルスタンダードといって、自国の権益やリーダーシップをかざすアメリカや常任理事国なる国々に、地球上のあらゆる民族や人々が”平等”なのだということを自覚して欲しいと思っています。多数の民族や宗教派が混在し、国や国家の”まとまりや統一”が出来ずに苦しんでいる多くの国々が考えるナショナリズムと、国家や国の体制が出来上がっている国々のそれとでは、目的的な違いがあると思う。国づくりのナショナリズムが、心の広いグローバリズム傾向のなかで”よき”方向に作用するよう見守り、支援していくことのほうが、ただ批判するより大切なのではないでしょうか。
グローバリズムも、そのなかでのナショナリズムも政治や体制の問題というより経済的なコンセプトや行動に関わる問題なのだといったら、”ぷちナショナリズム”の兆しだと批判されるかもしれませんね。