吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

終わりなき文化や進歩と便利さの探求は、人類のエゴ。だから・・・。

2007年08月09日 | Weblog
 欧米か日本かにかかわらず、家庭の主婦が食事の(料理)用意にかける時間は、一世代経るごとに半減している(FMIティム ハモンズ氏)という。現在40歳のある主婦が夕食の用意に30分かけていれば、彼女の母親は40歳の頃60分の時間をかけて夕食の用意をしていたらしい。いま、夕食の用意に30分かけている40歳主婦の子供が40歳の主婦になったとき、彼女が夕食の用意にかける時間は、15分になるという。これから2・3世代過ぎたころの主婦が食事の用意にかける時間はゼロ、すなわち家庭で料理などはしなくなるというのだ。

 おかず(総菜)だけでなく、食事全体が宅配されたりテークアウトで買われたり、どこか(レストラン)へ食べに行くことが普通の生活になる時期は、そんなに遠くないと思われる。泥の付いた大根やごぼうが、きれいに洗った大根やカットスライスされたごぼうになり、そのうち調理済みのブリ大根やきんぴらになったもの(総菜)を買うようになったのだ。
 ふつうの鍋から調理に重宝する圧力鍋になり、いつの間にかオーブンや電子レンジがほとんどの家庭に普及した。料理や調理が簡便になり、スーパーマーケットでは料理や調理をしなくても済む調理済食品や加工食品が売られるようになった。文化でもあり、進歩でもあり、便利性の向上でもある。

 やっと固定電話がほとんどの世帯に普及したと思ったら、すでに携帯電話が主婦やお年寄りから小学生の子供まで持つようになった。パソコンからだけでなくインターネットもケイタイからアクセスだ。小学生の子供にまでのケイタイは行きすぎではないかとの批判がでると、世の母親たちはGPS搭載のケイタイは”子供たちの安全監視のために欠かせない”などと言って子供たちの味方をする。便利や手抜きを求めるパワーはすごいが、パソコンやテレビも、ケイタイも進歩や文明や便利をくれると同時に地球資源を浪費し、ゴミをつくり、自分たちの孫子の生活環境を破壊しているのだ。

 都会の空気汚染には耐えられないという主婦女性やサラリーマン紳士たちでさえ、一家に2台のクルマで大量のガソリンを消費し、排気ガスを散布する土・日なのだ。つい少し前までは、夏のカヤに扇風機だった部屋がエアコンになり、いまは各部屋にエアコンがついている。電気エネルギーの大量消費だけでなく、戸外に向けて生あたたかい排気をだしているのだ。なんと利己的で自分本位な便利や快適を探求しているのかと我ながら気が滅入る。

 自由市場原理や競争こそが、人類や社会の進歩発展をもたらし、つぎつぎのベターライフが得られるのだと錯覚していたのかもしれない。先進国と発展途上国、北半球と南半球、たまたま生まれた地域がどこかでレベルやスタイルが規定される世の中が住みやすく幸せな地球社会なのかと疑問に思う。国家格差や地域格差そしてその人の帰属集団による格差をどう縮めるかということに、人々の知恵と政治の知恵が求められていると思うのです。
コメント (2)
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