即位の祝賀パレードで両陛下のパレードでの写真がどこの新聞でも掲載されている。
しかし陛下の写真が掲載されたこれらの新聞のほとんどは
燃えるゴミとしてゴミに出され他のゴミと一緒に焼却処分されるか
リサイクルに出されトイレットペーパーになりケツを拭かれる運命にある。
愛知トリエンナーレでは
昭和天皇の写真が燃やされ踏みつけられる動画が炎上したが
今生天皇と皇后の写真は
燃えるゴミとしてゴミに出され他のゴミと一緒に燃やされるか
リサイクルに出されトイレットペーパーになりケツを拭かれることになる。
トリエンナーレではアートとして燃やされましたが
こちらは完全にゴミ扱いです。
各新聞社やネトウヨは
この現実をどう思っているのだろうかw
というご意見にに関してですが
私としては外見だけを論ずることがまったく意味がないとは思ってません。
「天皇の写真がゴミとして他のゴミと一緒に燃やされている」ということは紛れもない事実であり
人がそれをどう受け止めるかということを問題提起することは意味があると思ってます。
もっとも印象操作やひっかけという面があることは否めませんがw
また反響も結構高いので「みんなのブログ」に載せられる間は掲載する予定ですw
ただ写真が不特定多数に配られれば
中には天皇に対して悪意で燃やしたり写真の上にウンコをする者が現れないともいえません。
その点は記事で説明不足でした。
ちなみにトリエンナーレでの
昭和天皇の写真を燃やし、その灰を踏みつける行為に関して
その意志が何であれ私は全く悪いことだとは思っておりません。
形の上では同じことであっても、全く異なると思っています。行為の元となる意思が重要かと。
形状は同じ行為でも、悪意が有り焼却する事、憎しみや恨みや、貶める気持ちを持つ事と社会のシステムとして行われることは全く異なると感じます。
犯罪は全て、犯す意思、犯意が無ければ存在しません。
(例外的に重いもののみ過失を罰する規定があります。)不敬罪にあたるなどの考えは毛頭ありません。
意思を観ずに外見のみを論じても意味がないかと感じた次第です。お読みいただければ消去いただいてかまいません。
フォローしていただきありがとうございます。
トリエンナーレでは写真が1枚燃やされるだけで大騒ぎしてましたが
新聞に印刷されると陛下の写真が大量にゴミ扱いされたり
国民のウンコを拭くために使われても尊皇派は全く問題にしないのには笑えます。
笑ました。ふむふむ、なるほど。
そこまで考えたことなかったです笑笑