Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

モリッシー久々のインタビュー要約:MORRISSEY SPEAKS ‐ An Exclusive Interview With Fiona Dodwell

2024-12-13 18:02:09 | Morrissey Interview

ゲホゲホゲホ。2024年も終わりに近づく中、身辺の慌ただしさが災いしたのか、マイコプラズマ肺炎になりました。そんな最中、モリッシーの最新インタビューが出ていた。

“MORRISSEY SPEAKS ‐ An Exclusive Interview With Fiona Dodwell”

何人かが病状を心配しながら教えてくれましたが、私もゲホゲホゲホりながら読んでいました。秋の北米ツアーも問題なく無事終わり、モリッシーは元気だな、、、くらいしか、体力・気力がなかったので思わず、「モリッシーがマイコプラズマの人をなぐさめる」AI画像を生成して遊んでいました。ごめんなさい。

でもふと見たら、、、日本の音楽WEB情報アカウントなどがジョニー・マーとのことばかりフィーチャーした見出しがXに上がってきた。

ちょ、待てよ! ゲホゲホゲホ、、、、

と、いうことでちゃんとインタビューについてブログに書きたくなった。

このインタビューの肝は、ザ・スミス再結成のライブを行いたいことでも、マーが無視したことでも、マーについてどう思っているかでもない。いつもと同じ、排除されていること、自分に対する認識のゆがみに対する怒り、そして何より、今のキャリアが最高で、今の自分が最高、Now My Heart Is FullでI'm OK By Myselfと伝えたい、モリッシーからの暮れの元気なご挨拶だとわかりました。
 
(リンコさん、連絡くれた時によく読まずに「ジョニーの悪口っしょ~」とか頓珍漢な答えしてごめんなさい。そこでゲホゲホな私にきっかけをくれてありがとうございます・・・)
 
仕事柄「興味を引く見出し」については、毎日考えている。しかし、このような貴重なインタビューの見出しを、
「ジョニー・マーが無視したためにダメななんちゃらかんちゃらその理由」
「モリッシー、ザ・スミスの再結成ライヴを行いたい理由」
って、下記「‘‘Gotcha”ジャーナリズム」まではいかないかないけど、クリックベイトというか誘導というか、「そこじゃないだろ」感が強い。
 
でも!PV上げるには、モリッシーとマーネタなんですぅと言うなら(言われてないけど)
 
「スミス再結成OK理由はファンへの感謝のため。マー関係なしとモリッシー」
 
みたいな見出しにならないンですかね。
 
なに、ダメ?スキャンダルぽくないから?モリッシーがいい人ぽいから??ダメ?ダメにゃの??
 
…ではインタビューをようやく要約しましたので下記読んでください。
 

MORRISSEY SPEAKS

An Exclusive Interview With Fiona Dodwell

このインタビューは合間合間にインタビュアーのフィオナの気持ちや地の文が入るので、そこも含め要約してみた。モリッシーが言いたいことの肝はここだろうなってとこは、赤で太くしておきます(勝手に判断)。

 

1 フィオナがモリッシーをインタビューした背景

モリッシーは、多くの人々やアンチに「語られる」が、自身が発言することはあまりない。かつて「ビッグマウス・ストライクス・アゲイン」という見出しで笑いものにされたが、実際には全くビッグマウスではなく、メディアの前では尊厳ある沈黙を守る人物だ。あんまり考えない人は、誰かの言ったことの二番煎じコピペジャーナリストによる歪んだメディアのストーリーに影響され、バイアスのかかった意見を持ってしまう。だから本人と話して、モリッシー自身の考えや信念を探りたい。

 

2 すでに録音されている未発表アルバムはどうなったか?

「ご存じの通り2枚あって、その2枚目は2023年の終わりにフランスで再録音され、新しいタイトルが付けられた。半分のトラックを削除し、新たに6曲を録音したので、2023年初めのアルバムとは異なる」とのこと。そのうちの1枚目“Bonfire of Teenagers”は、2021年の夏にはすでにリリース予定だったがリリースされていない。

 

3 なぜモリッシーを音楽業界は拒み続けているのか?

「レーベルはどちらのアルバムも素晴らしい高品質のポップアルバムだと言っているが、それらをリリースしたくない。『ガーディアン』の逆鱗に触れて、地獄の生活に陥りたくないからだ。『ガーディアン』による私への嫌がらせキャンペーンは今や世界的に知られている。レーベルがこの“Gotcha!“ジャーナリズムに巻き込まれたくないと考えていることを鑑みれば、このキャンペーンは効果的なようだ」

(‘‘Gotcha”ジャーナリズムとは、インタビュー対象者の人格や主張を意図的に不利に見せる映像や音声をとることを目的とした、罠にかけるようなメディアの取材手法、インタビュー方法のこと)

 

4 ‘‘Gotcha”ジャーナリズムとは何か?

「それは非常にウザい学生政治の一形態で、特定のメディアが自分たちの敵を決め、モリッシーやら、敵と見なされた誰もが言うことはすべて問題があるように見えるようにするものだ。この理由だけで自分は、英国ではある程度ブラックリストに入れられている。2020年初めだかに、母がラジオ4で『ガーディアン』の記者がしゃべってるのを聞いていた。その記者が『英国には嫌がらせという大きな問題がある』と言ったんで母はラジオに向かって、『そうよ!あんたのせいで!』と叫んでいた」

 

5 自由な言論の擁護者であるアーティストであることが災いした?

「問題は、私はずっと自由な言論の擁護者だったということだ。私は実際、他の方法では話せない。でも今や、自由な言論が英国とアイルランド全体で犯罪化され、その自由に頼っていた人々が閉め出されつつある…キャンセルされることは、現代版のリンチだよね?そして、その裏では、あなたの生活、生存能力、仕事相手との関係がすべて静かに攻撃され、最終的に機能しなくなる。キャンセルカルチャーの広がりとその深さ、そしてその残酷さを正確に研究したことはない。キャンセルされた人々は内心では、自殺寸前まで追い込まれていると言っても大げさじゃない」

 

6 なぜモリッシーは排除されるのか?

「そして、何のためにキャンセルするのか?国全体が同じ音楽、同じ本、同じコメディ、同じ政治、同じ映画を愛してくれることを願ってるってか?そんなことは決して起こらない!“Bonfire of Teenagers”は“The Queen is Dead”の現代版だが、それをどのレーベルもリリースしないという事実は、音楽業界がどれほど子どもじみて、怖がっているのかの表れだ

オープンマインドな意見を排除する最も簡単な方法は、彼らを人種差別者だと呼ぶこと。なぜなら、反論に成功したとしても、その非難だけは永久につきまとってくる。その言葉を最初に使うだけで、相手は即死だ。もちろん、反論する機会も、自分を正当化する機会も与えられることはない。したがって音楽の世界では、従順であるがゆえにふわふわしたような奴らだけが生き残ることができる。私たちのように自分の考えを持っている者は、社会的に排除されなければならない

 

7 スミスの再結成に対して賛成したのか?

「同意した。なぜなら、再結成する最後のチャンスのように感じたからだ。私たちはみんな歳をとり始めた。提案された再結成ツアーは、一生のように感じられるほど長い間スミスを聴いてくれた人たちに感謝の気持ちを伝える良い方法だと思った。マーに対する思い入れがあったわけではない。全く何もない

 

8 ジョニー・マーに対してどう思っているか?

「彼は1980年代と同じように、今も不安で恐れているように感じる。でも、彼はスミスの守護者として孤立しているふりをすることで、より多くのメディアの賛美を得ている。私に対する不平を言って隅に座っている限り、彼はその台座に座っていられる。でも再結成が実現したら、その台座は消えることになる。彼は私を全く理解できないと言っているが、ステージに上がるたびに私の歌詞、私のボーカルメロディー、私の曲名を歌っている。これは偽善だか、自己欺瞞なンですか?彼は人々にモリッシーとマーのどっちを選ぶか二者択一を迫ってきた。私は彼の嫌味なコメントにはうんざりだ。30年以上黙って受け入れてきたんだ」

 

9 マーなんて関係なくて今の音楽キャリアを愛し満足していること

「私に関しては、残された時間はかなり限られている。しかし、マーの関与なしに自分で作り上げた音楽キャリアを絶対的に愛している。音楽は本当に人々を繋げる最後の手段だ。音楽を楽しんでいるのなら、それは人生を楽しんでいるということになる

 

10 共感を感じるアーティストはいるか?

「クリフ・リチャード。なぜなら彼が裁判前なのに、メディアによる処刑の恐怖を経験したことをわかっているから(BBCは2014年、過去の子どもへの性的暴行容疑で警察がクリフ・リチャード宅を捜索する様子を、ヘリコプターを飛ばすなどして報道。証拠は見つからず起訴されなかった)。彼は50年以上にわたって60以上のヒットを出しながらも、どのラジオ局も彼の音楽を流さなかったという事実は不当だと感じる。ラジオは公共サービスであるべきだ。5年前、私は“Knockabout World”という曲を、クリフ・リチャードを思い浮かべながら書いた。そんなひどい状況の中で、彼がここまでやってきたことは、素晴らしいことだと思う

(あーーー!だからこの曲は“Conglatulations”で始まるのか!クリフ・リチャードのヒット曲は「コングラチュレーションズ」)

Morrissey - Knockabout World (Official Audio)

 

11 今のバンドとライブについて

今までで最強のバンドとライブクルーがいる。現在、アメリカでツアー中で、最高の気分だ。ジェシー・トバイアスは20年もの間一緒にいる。ライブ体験は今もユニークで、たくさんの人々を幸せにしている。最近のライブは最高だった。アーカンソー州リトルロック、アラバマ州バーミンガム、テネシー州ノックスビル、インディアナ州インディアナポリス…どこでも、ここ数年私が受けた過度な中傷を認識しているような人々から圧倒的な歓迎を受けた。私が歌うときにステージに上がろうとする観客を見ていると、困惑するが…同時に、音楽業界の誰にも興味を持ってもらえっこない」

「“白痴文化は過ぎ去ると信じている。私たちは再び文化的自由を味わうことができる。私にとっては遅すぎるかもだが…骨は不死だ。私はペール・ラシェーズ(フランス、パリ東部の墓地)に横たわり、魂より『いいね』を送ろう(笑)」

 

12 モリッシーをインスパイアし続けているものは何か?

「私は決して自分の役目を離れたことはないと思う。考えるのも恐ろしい!私は自分の曲が大好きで、それらを聞くたびに愛校心のような誇りを感じる。ソロ作品は最大の誇りであり、喜びだ。これ以上のものを人生から求めることはできない。スミスの曲は力強いが、それらは若さに根ざしていたものだ。一方で、ソロの曲はマンチェスターを超えた世界を語っている。どうしてもそうしなければならなかった。多くの人が私に、マンチェスターで舞い踊る細い少年のままでいて欲しかったのは知っているが…この年齢でそれはバカげている」

(終わり)

 

モリッシーが、どんなに人にのぞまれていることはわかっても、その加齢だけが理由でなく、「スミス」なままでいられなくなった、そしてソロアーティストになった、なれた、思いが最後に出ていたことに改めて感動して、私の咳もマジ良くなってきた。モリッシーのこの一貫性、迷いなき自身、今しかない感、本当にすばらしい。

もうええでしょう!スミスとかマーとか!

よくないかw(言いたいだけ)

 

…最後の12ソロの曲はマンチェスターを超えた世界を語っている」ですが、私の『お騒がせモリッシーの人生講座』のP126-127 のこの図が本人の言葉によって検証されたようでうれしいです♪

 


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Hand in Glove

2024-11-02 19:29:16 | ザ・スミス歌詞/The Smiths
Hand in Glove
“The Smiths”(1984)収録
ファーストの7曲目。レコードではB面2曲目。1983年5月にリリースしたザ・スミスのデビューシングル曲。
シングルの画像が男の裸、しかも歌詞も歌詞で、「BL!?」と思った(ちょくちょく思い過ぎ)。
しかし当時の日本盤の日本語訳にはタイトル「手袋はめて」と書いてあったため、どういうことだろう??と思った。何か、ドラえもんの秘密道具の「スーパー手袋」のように、お揃いの手袋でもはめると愛のパワーが出る話??と想像したり…。1992年、中川五郎氏訳『モリッシー詩集』では「仲良くつるんで」となっていた。その時初めて辞書を引いた私は“Hand in Glove”に、「(…と)きわめて親しい間柄で、ぐるになって、結託して」という意味があると知った。
でもこの歌詞は「仲良くつるんで♪」というちょっとのん気なものではない気がする。たった3分ちょっとで、唯一無比の愛への確信が、最後には二度と会えないという予感に終わる、急速展開ソングなのだ。
なぜこの愛は、唯一無比なのか?
モリッシーは1985年に“Star Hits”のインタビューで、自分が書いたお気に入りの歌詞は“Hand in Glove”にあると答えている。
「私にとって最も貴重な歌詞は
『善良な奴らは笑う
そうさ、僕らはボロ布に隠れてるかもしれないが
奴らが決して持てないものを持ってる』
というもの。これは、私が服を買う余裕がなくてボロ服を着ていたときに感じたことだが、自分が精神的に困窮しているなんて思わなかった。
インスピレーション?
人々が自分の持ち物や服装を非常に重要視し、物質主義的な価値観を持っていることが、まったくくだらない。内面にあるものこそが、その人の本当の姿なのだという古い決まり文句に立ち戻る」
つまり、持たぬ者、貧しい人々はつまらない生活を強いられるという社会に押し付けられた固定観念からの脱出こそがテーマなのだ。モリッシーの好きな『蜜の味』や『長距離ランナーの孤独』などのキッチンシンクドラマからの影響も感じる。
モリッシーは、いわゆる「The Good People(世間的に善良な人々)」の「こうであらねば」「これ以外はNG」みたいな考え方が嫌いだ。「善良」であるがゆえのステレオタイプ的視野狭窄とか、無知とか、残酷さとか、そういうもの対抗するのが「太陽は後ろから昇る」他のどんな愛とも違う僕たちの愛である。だから唯一無比なのだ。そんじょそこらのラブラブとは覚悟が違う。
もちろん「善良」な奴らはそんな異物を見逃すわけないから非難しまくる。不適切です!!不謹慎です!!その奴らが嫌いな「異物」には、もちろん同性愛も含まれるだろう。
しかしこの歌でモリッシーが言わんとしているのは、主体の性だとか、でも「いいもん、愛があるもんね!ルンルン」な気分の話ではないではない。この歌は単なるラブソングではなく、善良な人々の牛耳る世間への宣戦布告、言わば共闘のための手段としての「僕たちの愛」の話だ。
でも簡単にいくわけはない、さすがモリッシーの書く「僕」は冷静で、高まりながら終わりも見つめる。常にメタ視点のメタッシーである。「奴ら」につぶされるから二度と会えないのではない。
モリッシーは上記インタビューで、「叙情的な意味で、痛烈に詩的でありながら、同時に歓喜に満ちた何かがあることが重要だった」と言いつつ、そのテーマは「完全な孤独」だと語っている。自分たちが孤独な自分たちである以上、共闘も終わる。「手袋」はいつかは外され、自分自身でヤバいものに対峙していかなくてはならない。
よくこの歌は、モリッシーがジョニー・マーとの関係を歌ったものではないかと言われる。ジョニー自身が2006年“Uncut”のインタビューで、
「“Hand in Glove”を出した時、僕でさえ自分とモリッシーのことだと思った。当時、お互いにつるんでた相手はお互いだけだったしね」

と、言っている。通常のスミスの曲は、モリッシーの歌詞があってジョニーが曲をつけていたが、この曲はジョニーが先に曲を書き、「おおお!」というできだったが自分の家で録音できないので恋人のアンジーにモリッシーの家に車で連れて行ってもらった。

なんとその時モリッシーは、この歌詞を2時間で書いた。玄関開けたら2時間でハンドイングローブ。天才である。それですぐ録音した。

モリッシーが歌詞を書く際、大きなテーマとして虐げられるものの抵抗、そしてその孤独があったが、頭の中に目の前の、ジョニーのことがなかったはずがない。甘い愛なんかじゃない、肝胆相照らす仲の相棒を得た歓喜と、そんなすごい関係はずっとは続かないのではないかという絶望。マーの奏でるギターにその混濁した強烈な感情をそのまま高速瞬間冷凍のように歌詞にしてしまって乗せたこの歌は、あまりに美しい。何度聴いても、どんな展開で、何が起こるかもわかっているのに泣けてしまう。 奇跡みたいな創作物だ。

1986年12月12日のロンドンのブリクストンアカデミーでのスミスのライブでのラスト曲となった。ジョニーが正式にバンドを脱退したのが翌年1月なので、その時点で「これが最後」なんて誰も思っていなかった。

その映像を観ると、最後までジョニーと踊り、ジョニーと笑い合う。3分ちょっとなのに、ずっと続く、永遠みたいだ。そしてモリッシーの咆哮のような

And I'll probably never see you again
I'll probably never see you again
I'll probably never see you again

で、終わる。本当に、終わる。ザ・スミスは終わってしまう。

もう二度と会えないかも
もう二度と会えないかもしれない
たぶんもう二度と会えないだろう

The Smiths - Hand In Glove - Brixton Academy, 12th Dec 1986

密につながって

密につながっている僕たち
太陽は後ろから昇る
他のどんな愛とも違う
僕たちだから、この愛は違う
ぴったり合わさっている僕たち
望めばどこへだって行ける
そしてすべては君が
どれだけ僕の近くにいるかなんだ

人に見られても
ジロジロ見られようとも
ああ、本当に気にしない
本当にどうでもいい
僕のサングラスにキスしてよ
ああ…

密につながっている僕たち
善良な奴らは笑う
そうさ、僕らはボロをまとってるかもしれないが
奴らが決して持てないものを持ってる
ぴったり合わさっている僕たち
太陽は後ろから輝く
ボロにくるまっていても僕らには
奴らが決して手に入れられないものがある

人に見られても
ジロジロ見られようとも
ああ、本当に気にしない
本当にどうでもいい
僕のサングラスにキスしてよ
ああ…

だから君とぴったり合わさって
僕は自分の主張を貫く
息絶えるまで戦う
奴らが君の髪一本でも触れようものなら
最期まで戦い抜く
良い人生はどこかにある
だから魅惑の君、僕の腕にくっついてて
でも、僕は自分の運を知りすぎている
そう、わかり過ぎてるんだ
君にはもう二度と会えないかも
もう二度と会えないかもしれない
たぶんもう二度と会えないだろう

Hand in glove

Hand in glove
The sun shines out of our behinds
No, it's not like any other love
This one is different because it's us
Hand in glove
We can go wherever we please
And everything depends upon
How near you stand to me

And if the people stare
Then the people stare
Oh, I really don't know
And I really don't care
Kiss my shades
Oh oh oh, oh oh oh

Hand in glove
The Good People laugh
Yes, we may be hidden by rags
But we've something they'll never have
Hand in glove
The sun shines out of our behinds
Yes, we may be hidden by rags
But we've something they'll never have

And if the people stare
Then the people stare
Oh, I really don't know
And I really don't care
(Kiss my shades)
(Oh-oh-oh, oh-oh-oh)
(Oh-oh-oh, oh-oh-oh)

So, hand in glove I stake my claim
I'll fight to the last breath (Oh)
If they dare touch a hair on your head
I'll fight to the last breath (Oh)
For the good life is out there somewhere
So stay on my arm, you little charmer
But I know my luck too well
Yes, I know my luck too well
And I'll probably never see you again
I'll probably never see you again
I'll probably never see you again

Oh oh oh oh, oh oh oh


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Still Ill

2024-10-26 16:20:56 | ザ・スミス歌詞/The Smiths
Still Ill
“The Smiths”(1984)収録
ファーストの6曲目。レコードではB面1曲目。
言わずと知れたザ・スミスのアンセムのような曲。この歌のせいで「モリッシー=病気」というイメージもついた気がする。2012年の来日直前、ロッキン・オンには「モリッシー、あなたが罹っている病気とは何ですか?」というタイトルのインタビューが掲載されていた(失礼過ぎる・・・)。
そこでモリッシーは、Still Illで歌われている“Ill”(病気)に関して、
「『スティル・イル』における病気とはぼくが若かった頃に経験したことと関係していて、自分には根本的な選択権がないということが受け入れられずにいて、そのせいで頭が病んでしまったのではないかと思われていた時のことなんだね。けれども、もしぼくがあの頃自分の周りの人たちから受けた説得をしっかり聞き入れていたなら、ぼくは今頃もう死んでいただろうね」
と、きちんと答えている。
翻訳のせいなのかわかりにくいけど、要はモリッシーの主張があまりに尖っていて「あいつヤバくね?病気じゃね?」と思われていた。外から貼られたレッテルである。それが“Still Ill”で歌われている“Ill”(病気)であって、べつにほんとに病んでるわけじゃないということ。
病と言えば、それこそ英国は1960~70年代に経済成長がオワッタ感じになりそれを指して「英国病」と言われていた。それが1979年の総選挙で保守党が勝ち、サッチャーが政権をとる。この鉄の女は、国有企業の民営化、インフレの抑制、財政支出の削減、税制改革、規制緩和、労働組合の弱体化…などなど、ゴリゴリの政策を推し進め英国病の症状の克服に努めた。
しかしすぐには不況は改善されず、失業者数はむしろ増加。国民は苦しい状況を強いられている80年代の状況にぶちきれたモリッシーは「英国は僕のもの 面倒を見てもらって当然だ」とかましている。とても威勢が良くて元気。むしろ「まだ病気」なのはモリッシーではない。対峙している国家であり、権力者たちのことなのではないか。さようですかい、あたしゃ病気かい?でも本当に病気なのはどいつなんろうね!!という挑戦の歌であると思う。
しかしこの“Still Ill”というタイトルについては、モリッシーは親友リンダー・スターリングとの会話から発想を得たようだ。スミス結成前のモリッシーは、マンチェスターのデパートの屋上のレストランで毎週彼女と毎週会っていた。その時リンダーが
「あなた、まだ病気なの?」(“Are you still ill?”)
と、聞いてきたと、自伝には書いてある。
「その時、ザ・スミスの『スティル・イル』という歌は生まれた」
と、モリッシーは書いているので、彼にとってもバンドにとってもその後を決定づけた「歴史的瞬間」を表す、とても象徴的な言葉だと思った。
・・・余談だが、『モリッシー自伝』の編集担当もMさんもそう思ったのか、『モリッシー自伝』日本版の黒い帯のタイトルの下に「あなた、まだ病気なの?-Are you still illー」と入れた。とてもかっこよかった。しかし発売後に、この帯を見たモリッシーの当時のマネージャーは激怒。メールでこう言ってきた。
「表紙デザインは寸分違わずって、言ったよなゴラァ!!!なんでスミスのタイトルが入っとんのじゃ~!!!モリッシーはもうスミスじゃないんだよ、このボケがぁあああああ!!!モリッシーも怒ってイル!!!!」
…怒り過ぎである。
というのも、日本の出版物の流通初版にはプロモーションデザインのため、マーケティングのため、当然のように帯がついているが、外国人には「帯」という概念の認識がない、もしくは薄いからなのである。出版業界の人ならまだしも音楽業界の人ならなおさら書籍にセットされている帯の意味がわからず、「表紙の一部」ととらえたようだ。契約では表紙を変えんなって言ったのに、何さらしてくれとんねん、ということだろう。「モリッシーも怒ってイル」は脅しかな、と思ったけど、手段を選ばない方なので、自伝日本版「焚書」の刑に合うのではないかと、本気で心配した。
そんなわけで、第2刷からは、Still ill帯ではなくなってしまった。残念なことである。でもエージェントより、日本における帯の意味を伝えてもらったので、何もキャッチコピーを足していない、ゴールドの帯はついている。
話が逸れすぎたが、“Still ill”はいろいろ語ることが多くて忙しい。
過去にも語っているのでこちらもご参照ください。
歌詞の話に戻る。
歌詞に出てくる、モリッシーの実家からすぐそばにある、キスして唇が痛くなる鉄橋( Kings Road, Stretford, Manchester)は、いまやスミスファンの観光名所化し、落書きだらけ。
こんな感じ(ただ歩いてるだけなんだけどこのファンの人が嬉しそうでほっこりする)↓
‘Under the Iron Bridge we kissed’… Morrissey’s childhood home and the Iron Bridge
私もこの下でキスをすることを夢見たティーンエイジャーであったが、実は、鉄橋の下でキスをして唇が痛くなったのは、サッカー賭博で億万長者になったヴィヴ・ニコルソンであった…。モリッシーが好きで、彼女の自伝“Spend spend spend”(『使う、使う、使う(金を)』)から引用したのだ。
彼女の自伝によるとこの橋の下でキスというか、お触りありのほとんど「B」をしたヴィヴは、「お互いの唇を噛み合ったために痛くなった」と、、、激しい・・・。この歌のこのくだり、せっかくロマンチック気分で聴いてたのに!まあ、なんで鉄橋の下でキスをすると唇が痛くなるのかわからなかったけど、このことを知って謎が解けた。
スミスのシングル“Heaven Knows I'm Miserable Now” やドイツ盤のBarbarism Begins at Homeのジャケット写真にも使っている。
彼女は、1961年に夫のキースがサッカー賭博で15万2,319ポンド(現在の日本円にしたら8億円以上!)を獲得し、高級スポーツカー、毛皮、宝石、旅行などの贅沢三昧をして財産はすぐに底をついた。その後の彼女の人生はめちゃくちゃ、アル中で結婚を繰り返しDVもされたりストリッパーになったり…。
なんでモリッシーは、シングルジャケットに何度も使うほど、彼女を好きなのか。モリッシーは労働者階級出身の、人生が悲劇に見舞われたり、無責任な男にひどい目にあったりもするけど逞しい、強い女が好きである。『蜜の味』の中のリタ・トゥシンハムや、女優ダイアナ・ドースなどなどのことも思い出す。モリッシーが好きなのは、自分の生きたいように生き、どんな状況であろうと自分の尊厳を守り続け、己の立場で戦っている人間。人からはそれこそ「病気」と思われていても。
これを書いていて、久々に「英国病」のことなんて考えて思ったのは、今私たちのいるこの日本も重篤な病「日本病」にり患中じゃないかってことだ。90年代初頭のバブル崩壊に始まり、「失われた30年」は今も続き、ずっとデフレで賃金も増えてこなかった。GDPの成長率ランキングは2001年に世界5位であったが、その後、順位を下げ2018年には20位、そこから下がり続けて2023年の日本の経済成長率ランキングは126位だ。
経済規模で言えば、まだ大きいが(名目GDP4位)、2025年にはインドに抜かれて世界5位になる見通しだし、そもそも「成長できない病」にかかっているのである。なのに「おしん」の国日本人は、耐え忍ぶことが美徳とするのか?「面倒を見てもらって当然だ」とか「なんでって聞いたらお前の目に唾を吐いてやる!」なんて言わない人が多い。親(国家)が病気なら子(国民)も病気というか、この病気の連鎖は断たなくていけないと思う。まず、思考停止はやめて、おかしいものに唾を吐くところから(本当に唾を吐かなくていいけど)。
30年も前の歌なのに、英国のフリ見て我が国振り返るというか、そういうことを改めて気づかされる歌である。モリッシーの戦い様は、時代を超えて参考になる。

まだ病気

今日、こう宣言する
人生とは奪うだけ、与えることはない
英国は僕のもの
面倒を見てもらって当然だ
なんでって聞いたら
お前の目に唾を吐いてやる
理由を聞くなら
お前の目に唾を吐いてやろう
でも、僕らはもう
あの古い夢にしがみつけない
あの夢にしがみつくことなんてできない

体が心を支配しているのか
それとも心が体を支配しているのか?
わからない

鉄橋の下で僕らはキスした
それで唇が痛くなったけどもう
あの頃のようにはいかない
あの頃とは違った
僕ってまだ病気なの?ああ
まだ病気なの?ああ、ああ、ああ、ああ

体が心を支配しているのか
それとも心が体を支配しているのか?
わからない
なんでって聞いたら
死んでやるやる
理由を聞くなら
死んでやろう
明日仕事に行かなきゃないなら
まあ、もし僕だったら悩まないね
人生にはもっと明るい面がある
そういうのも見てきたからわかるべきなんだけど
でも、そうそうあることじゃないんだ

鉄橋の下で僕らはキスした
それで唇が痛くなったけどもう
あの頃のようにはいかない
あの頃とは違った
僕ってまだ病気なの?ああ
まだ病気なの?あああああああああああああ

Still Ill

I decree today that life
Is simply taking and not giving
England is mine, it owes me a living
But ask me why and I'll spit in your eye
Oh, ask me why and I'll spit in your eye
But we cannot cling to the old dreams anymore
No, we cannot cling to those dreams
Does the body rule the mind
Or does the mind rule the body?
I dunno

Under the iron bridge we kissed
And although I ended up with sore lips
It just wasn't like the old days anymore
No, it wasn't like those days
Am I still ill? Oh oh oh
Oh, am I still ill? Oh oh oh oh

Does the body rule the mind
Or does the mind rule the body?
I dunno
Ask me why and I'll die
Oh, ask me why and I'll die
And if you must go to work tomorrow
Well, if I were you I wouldn't bother
For there are brighter sides to life
And I should know because I've seen them
But not very often

Under the iron bridge we kissed
And although I ended up with sore lips
It just wasn't like the old days anymore
No, it wasn't like those days
Am I still ill? Oh oh oh oh
Oh, am I still ill? Oh oh oh oh oh oh oh oh oh oh


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The Hand That Rocks The Cradle

2024-10-25 19:24:08 | ザ・スミス歌詞/The Smiths
The Hand That Rocks The Cradle
“The Smiths”(1984)収録
 
ファーストの5曲目。レコードではA面最後。
この曲と"Suffer Little Children"が、モリッシーがマーと最初に完成させた2曲である。2人の最初のオリジナル曲で、初レコーディング曲。
 
モリッシーはマーと会う前にはすでにこの歌詞を完成させていた。音楽に乗せた詩の朗読のような歌。1982年、マーは初めてモリッシーのタイプ打ちの歌詞を見て感激し、パティ・スミスの『ホーセズ』収録の「キンバリー」をモデルにしたメロディーを提案。なぜなら「キンバリー」でも、赤ちゃん(パティの妹)のことを歌っていて、「片手で君を揺らした」という歌詞があるからだそうだ。マーの思考、単純だけど、結果的にナイスアイデア。パティの「キンバリー」の回転をゆっくりにして声をもっと、涅槃からのお経にした感じで、この歌詞にはもうこのメロディーしかない感じ。
 
赤ちゃんを歌った歌は、もっと明るかったり、希望にあふれていそうなものだが、この歌は少し怖い。「ゆりかごを揺らす」手は、果たしてこの世のものだろうか?
 
イメージとしては、アダムス・ファミリーの「ハンド」のような感じ??
  

君がすべてだから 死ぬまで君を愛してるから

私の命を捧げよう

と言ってるけど、この手の主は、すでに死んでると思う。死んだ誰かの、見えない手。

じゃなければ、なんでこの赤ちゃんのお母さんは、知らないのか。いろいろ不穏な歌詞。
でも、自分が死んでいることに気づいていないのかもしれない。

私にはかつて子供がいて、命を救われた
その子の名前さえ聞かなかった
ただその子の不思議な目を見て
そして言った、「二度と、二度と、二度とこんなことないから」

のくだりは、モリッシーの好きなオスカー・ワイルドの『わがままな大男』を彷彿とさせる。わがままな大男の心を溶かした、不思議な子供。いつも大男の庭で遊んでいたその男の子が姿を消して大男が心配していると、その子は現れる。

しかし、両方の手のひらと両足には釘の跡があった。憤る大男に、その男の子は「これは愛の傷なのだ」と言う。すると大男は、不思議な畏怖の念に襲われ、その小さな子の前にひざまずく。男の子は庭で遊ばせてくれたお礼に、大男を自分の庭、パラダイスに誘う。翌日、近所の子どもたちが庭にくると、 大男は木の下に体を横たえて死んでいて、 その亡骸は白い花にすっかり覆われていた。

そんな人知を超えた、そして霊的な何かと交信しているような、不思議な歌。マーのギターも永遠に鳴り響くかのよう。
 
最後に
 
愛がある限り
彼女のために最善を尽くした
私は彼女のために最善を尽くした
お母さん、お母さん…
 
と続くが、ここで「手」の主体は、揺らさている対象と混ざってきている気がする。赤ちゃんの母のために揺らしていたのに、自分の母への愛、献身に意識が推移していっている。ミイラ取りがミイラではないが、ゆりかご揺らしが「お母さん、お母さん…」と母を乞う、ゆりかごゆらされ赤ちゃんに赤ちゃん返り??
 
と、想像をかき立てれる、なんとも、不思議な次元変容を感じさせる歌であり、曲である。これが20代ヤングあんちゃんバンドの1曲目とは恐ろしい。
 
 
ゆりかごを揺らす手

泣かないで
幽霊も外の嵐も
この聖なる神殿に侵入することはない
君の心に侵入することもない
私の命を捧げよう
もし化け物が、からかい、苦しめ、惑わせるために
君の神聖な心にいたずらをしかけてきたら

揺らめく影が迫ってくる
誰もいない部屋にピアノが鳴り響く
今夜は包丁に血がつくだろう
闇が晴れて部屋が明るくなったら
まだそばにいるから
君がすべてだから
死ぬまで君を愛してるから

ゆりかごを揺らす手が私のものである限り
君の瞳は満たされている

天井の影が揺れ動く
箪笥が猛獣のようにそびえ立つ時
君の美しい瞳に悲しみが映る
ああ、汚れのない、美しい瞳よ
私の命を捧げよう
落ち着きのない霊たちが
君の神聖な心にいたずらをする
私にはかつて子供がいて、命を救われた
その子の名前さえ聞かなかった
ただその子の不思議な目を見て
そして言った、「二度と、二度と、二度とこんなことないから」

そして、あまりにもすぐに私は戻ってきた
蛾が炎に吸い寄せられるように
私の骨は石の上でガタガタと鳴る
私は誰のものでもないただの乞食
罪のように古い言葉が
手袋のように私にフィットする
私はここにいて、ここに留まるだろう
一緒に横たわり、共に祈る
ゆりかごを揺らす手が私のものである限り
君の瞳は満たされている
ゆりかごを揺らす手が 私のものである限り
私のものである限り

私の膝に登りなさい、坊や
まだ3歳だけどね、坊や
君は私のもの
君のお母さんは知らないだけだ
ああ、君のお母さんは…
愛がある限りある限り
彼女のために最善を尽くした
愛がある限り
愛がある限り
愛がある限り
彼女のために最善を尽くした
私は彼女のために最善を尽くした
お母さん、お母さん…

The Hand That Rocks The Cradle

Please don't cry
For the ghost and the storm outside
Will not invade this sacred shrine
Nor infiltrate your mind
My life down I shall lie
If the bogey man should try
To play tricks on your sacred mind
To tease, torment, and tantalize

Wavering shadows loom
A piano plays in an empty room
There'll be blood on the cleaver tonight
And when darkness lifts and the room is bright
I'll still be by your side
For you are all that matters
And I'll love you till the day I die
There never need be longing in your eyes
As long as the hand that rocks the cradle is mine

Ceiling shadows shimmy by
And when the wardrobe towers like a beast of prey
There's sadness in your beautiful eyes
Oh, your untouched, unsoiled, wondrous eyes
My life down I shall lie
Should restless spirits try
To play tricks on your sacred mind
I once had a child, and it saved my life
And I never even asked his name
I just looked into his wondrous eyes
And said, "Never, never, never again"

And all too soon I did return
Just like a moth to a flame
So rattle my bones all over the stones
I'm only a beggar man whom nobody owns
Oh, see how words as old as sin
Fit me like a glove
I'm here and here I'll stay
Together we lie, together we pray
There never need be longing in your eyes
As long as the hand that rocks the cradle is mine
As long as the hand that rocks the cradle is mine, mine

Climb up on my knee, sonny boy
Although you're only three, sonny boy
Oh, you're mine
And your mother, she just never knew, oh, your mother
Long as there's love
As long as there's love
I did my best for her
I did my best for her
As long as there's love
As long as there's love
I did my best for her
I did my best for her
Mother, mother


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Pretty Girls Make Graves

2024-10-25 18:13:58 | ザ・スミス全歌詞
Pretty Girls Make Graves
“The Smiths”(1984)収録
 
ファーストの4曲目。
かわいい女は墓を建てる。ザ・スミス初期の歌には、ガツガツ性的に関係を進めようとする女が出てくる。「欲望に負けるのよ!」なんて迫られたら、モリッシーでなくても怖くて萎えそうだが、それは性欲というよりは、男を捕まえてとっとと結婚したいという、20世紀的典型的捕獲女しぐさだ。それは日本でもあるあるだが英国でもあるあるだった。
 
この女がせっせと建てている墓は、ある愛の関係を葬るため。もしこの女の捕獲行動がうまくいっても「結婚」という墓が立つ?(「結婚は人生の墓場」という、出典があやふやな言い回しがあるが(ボードレールが言ったことが誤訳された説もあるがそれも嘘らしい)、まさにこの言葉にも通ずる)
 
モリッシーはこの歌で、「結婚のために捕まるなんてやだね、俺は自由でいたい」と言っているのではなく、ステレオタイプの性役割にモノを申している。性役割とは性別に基づいて社会的、文化的に適切または望ましいとみなされる役割や態度や属性、行動などを期待されることだ。
 
昨今はジェンダー平等コンシャスな社会になったが、20世紀は男女ともに、負わされた性的役割に過剰適応したり、そこから生まれる陳腐な関係性に疑問も持ったりしていなかった。だからこの歌の主人公も
 
僕は荒々しく自由になれたかもしれない
でも持ち前の性分が僕にこんな仕打ちをした
 
と、ちょっと積極的な女に申し訳な気なことを言っている。これは本当にモリッシーが「僕は繊細でナヨナヨしてるから、君と荒々しくセックスできなくてごめんね」と思っているわけではない。反語的な性役割批判である。
 
英国人は、パロディーとか皮肉、寓話好きであるがモリッシーが詩人としてすごいのは、ロックの歌詞でこれをやっているところである。世界的にも、世の中がジェンダー平等コンシャスになってきたのなんて、ここ20年弱のことだ。それを約40年も前の80年代、マチズモやお色気旋風がびゅんびゅん巻き起こってるロックの世界でやっているのである。
 
先日、この歌とは正反対で、マチズモ、男性優位ご都合主義あふれる、シブがき隊の歌詞を分析してXに書いた。2024年の社会で通用しないものである。現代に、そうやって過去の歌の歌詞を分析すると、ジェンダー認識のズレや違和を感じて、大変興味深い。
 
80年代は「授業中に手を挙げて俺を好きだってもし言えたら抱いてやるぜ~」と歌われて、テレビに向かって何の疑問もなく「ホントー!?」と合いの手掛け声を入れていた小学生であった。今書いてて気づいたけど、この"Pretty Girls Make Graves"("Suffer Little Children"にも参加)のゲストボーカルAnnalisa Jablonskaもこの歌の途中で「ホントー!?」(oh really?)と合いの手を入れている。
 
授業中に手を挙げてコクって抱かれるのはホントじゃないが、かわいい女がひとつの関係の死骸を埋める墓を建ててるのはホント。
 
 
かわいい女は墓を建てる

砂の上、湾の上
「速くて簡単な方法があるの」と君は言う
君が説明する前に
言った方がいいかな
僕は、君が思ってるような男じゃない
僕は、君が思ってるような男じゃない

悲しみの落とし子
誰にも笑顔を見せない奴だ
そしてかわいい女は墓を建てる

ああ、ああ…

桟橋の端、湾の端
君は僕の腕を引っ張って言う
欲望に負けるの、欲望に
ああ、私たちすぐに塵になっちゃうんだから
僕は、君が思ってるような男じゃない
僕は、君が思ってるような男じゃない

悲しみの落とし子
誰のためにも立ち上がらない
そしてかわいい女の子は墓を建てる(え、ホントー?)

僕は荒々しく自由になれたかもしれない
でも持ち前の性分が僕にこんな仕打ちをした
彼女は今、欲しいんだ、待ってはくれはしない
彼女は激し過ぎるし、僕は繊細過ぎる
そして、砂の上で、別の男が、彼女の手を取る
彼女の愚かな顔に笑顔が浮かぶけど、まあ当然だ
僕は女に対する信頼を失った、女に対する信頼を
信頼を失った

 

Pretty Girls Make Graves

Upon the sand, upon the bay
"There is a quick and easy way" you say
Before you illustrate
I'd rather state
I'm not the man you think I am
I'm not the man you think I am

And sorrow's native son
He will not smile for anyone
And pretty girls make graves

Oh-oh-oh-oh, oh-oh-oh-oh-oh
Oh-oh-oh-oh-oh-oh-oh-oh-oh

End of the pier, end of the bay
You tug my arm, and say
"Give in to lust, give up to lust
Oh, heaven knows we'll soon be dust"
Oh, I'm not the man you think I am
I'm not the man you think I am

And sorrow's native son
He will not rise for anyone
And pretty girls make graves (oh really?)

I could have been wild and I could have been free
But nature played this trick on me
She wants it now
And she will not wait
But she's too rough and I'm too delicate
Then, on the sand, another man, he takes her hand
A smile lights up her stupid face, and well, it would
I lost my faith in womanhood, I lost my faith in womanhood
I lost my faith

Oh-oh-oh-oh, oh-oh-oh-oh-oh
Oh-oh-oh-oh-oh-oh-oh-oh-oh
Hand in glove
The sun shines out of our behinds
Oh-oh, oh-oh


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