Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

アンディ・ルークとモリッシー

2023-05-22 19:40:53 | The Smiths misc.

2023年5月19日、アメリカの二ューヨーク メモリアル・スローン・ケッタリングがんセンターにて、ザ・スミスのベーシストアンディ・ルークが逝去しました。59歳という若さでした。訃報はジョニー・マーのSNSで発表され、長くすい臓がんを患っていたそうです。

この悲しい知らせに対して、モリッシーも同日、MORRISSEY CENTRALに追悼文を出しました。

BEAM OF LIGHT  光の輝き

時に、我々ができる最も過激なことのひとつは、はっきりとものを言うことではないか。誰かが死ぬと、その死を利用せんとばかりに、お決まりのおべんちゃらが出てくる。

私は、アンディに対してこのようなことをするつもりはない。ただ、アンディがどこへ行こうとも......彼が大丈夫であることを願うだけだ。

彼の音楽が聴かれる限り、アンディは決して死ぬことはないだろう。彼は自分の力をわかっていなかったが、その演奏は彼以外できないものだった。凄まじく卓越していて、型破り、そんなプレイができることを実証した。

アンディはまた、とてもとても面白く、とても陽気だった。スミス解散後も確固たるアイデンティティを保ち続け、決してわざとらしいことはしなかった。私たちは結局のところ、自分の存在に価値があったと感じたいのだと思う。アンディは、そんな心配ご無用だ。

……

なんて愛のある追悼文!こんなにアンディのことを(というか人のことを)モリッシーが好意的に語っているのは滅多にありません。『モリッシー自伝』の法廷シーンではアンディのことを「太ったローマ皇帝」(ひど…)と表現していたくらいです。私は正直言って、追悼で何を言っても世間に勘繰られたりたたかれるもんだから、思い出の写真一枚アップして「RIP」とかいうくらいかなとか想像していた。

ごめん、モリッシー。あなたは本当のことしか言わないから、この追悼文は本当に本当のことなのでしょう。本当にアンディのベーシストとしてのすさまじさを認めている。いろんな過去やらしがらみを越えて、「卓越したベーシスト」であるアンディの本質を敬い、思い続けるのだと思う。タイトルは「光の輝き」。「彼の音楽が聴かれる限り、アンディは決して死ぬことはない」、アンディが決して消えない「light」ということなのでしょう。

珍しいふたりの仲良しツーショット。

あと、あれだけモリッシーがいろいろ叩かれて四面楚歌のさなかの2019年、アンディがテレビのインタビューで「モリッシーみたいなおもしろい人いなきゃ世界つまらなくね?」と言ってくれたのも嬉しかったのではないかな…と思います←そういうのモリッシーの「not デスノート」に細かく記録していそう。

私が好きなアンディとモリッシーのエピソードは、スミス結成時マネージャーのジョー・モスの洋服屋クレイジー・フェイスでのリハ帰り、アンディとモリッシーは同じバス路線だったという話。毎晩20分間もの間、一緒のバス!!言うてもアンディは18歳、5学年も上の気難しそうなモリッシーを相手に話題探しに苦労したそうです。モリッシーを笑わせるためにくだらない話をし続けたと語る2004年MOJOのアンディのインタビューはこちら。読み返して、泣きながら笑いました。とてもとても正直な、アンディのおもしろっぷりが伝わってくるインタビューです。

マンチェスターのChapel Walksにあったジョー・モスの店からアンディの家のあるセールまでのバス路線を調べたところ、

たしかにストレットフォード通ってるwww 所要時間の記憶も確かなアンディ。 

その他モリッシーとのほっこりエピソードとしては、

「結婚していた頃、彼は僕の家に来たことがあるんだけどその際、元妻に大量の花束を持って来てくれた。ユリだったかな。あれは気がきいていたね」

と言っています。それは優しい!でもそんないいことばかりでなく例の「1986年、アンディヘロインヘロヘロでスミス(一時的)解雇、車の窓にモリッシーからの『さよなら』と書いたポストカード1枚で切られた事件」のことも語っている。「さよならと~書いた~手紙~を♪」ってモリッシー、堺正章か!(絶対違う)。もちろんモリッシーは「悪いのは僕の方さ~君じゃない~♪」などとは言わず、「そんなやり方で解雇を告知するわけないだろーが、嘘っぱち(怒)!!」とアンディを全否定しています。→2009年、「さらばアンディ」事件否定記事

…そんな確執はさておき、この追悼文で「アンディは、とてもとても面白く、とても陽気だった」と認めているモリッシー。あのスミスの時から40年以上も経ったけど、モリッシーはアンディのこと「とてもとても面白い」と思ってた、そして今も思っているようだよ、アンディ。モリッシーが降りるストレッドフォードまでの20分間バス地獄での苦労が報われたね。

アンディのベースでは延々Barbalism地獄はもちろんのこと、Cemetry Gates、ロカビリー調のRusholme Ruffians での演奏も大好きですが、Miserable Lieの低音レベルを異常に上げて聴くのが好きなのでオススメです(ってあんまり伝わりにくいオススメ)。

このライブ映像での、狂った乳首とか出してる人と、そのうしろでだるそうに確実なミゼラブルプレイをする予備校生風情のアンディとのギャップがすごく好きです。

モリッシーのソロ活動の中でも、そんなふたりの共演はいくつかありました。もともとギタリストだったアンディは、マーには敵わんとベーシストに転向。でも子どもの頃からギターさわっているし優れた作曲家でもあります。モリッシーのソロ作品の作曲もしています。

”Yes, I Am Blind" ("Ouija Board, Ouija Board"B面)
"Girl Least Likely To" ("November Spawned a Monster"12インチB面、1997年の Viva Hate再発ボートラ)
"Get Off the Stage" ("Piccadilly Palare"B面)

中でも“Girl Least Likely To”が大好き。全体を流れる雰囲気がマンチェスターの空の色みたいで(※イメージです)抒情的。ふたりで帰ったバスの外の風景みたいかな…って、アンディ話題作りに必死で、外なんて見る余裕なかったかもね。

どうか安らかに。あなたのベースを聴き続けます。モリッシーが言うように。

The Smiths in Brussels December 1983
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