シアワセ、時々、フシアワセ

人生の折り返しをとうに過ぎた
ワタシの喜怒哀楽

ははのひ

2021-05-24 | フシアワセ

孫の子守しに娘ん家に行った帰り、産直市場でハチクを買いました

1本80円くらいかな? 

下ごしらえして、自然の恵みを有り難く頂こうと思います(*^_^*)

 

例年なら竹の子を手に入れて保存食を作る

干したり小さく切って冷凍にしたりしてたのに

今年はタイミングを逃してしまったからね、ハチクで

 

竹の子と言えば思い出すこと・・・

もう、ずっと前の話になります

地元新聞で見掛けた、数行の小さい記事

近県にある生家地方の竹藪で人骨が見つかったと書いてある

それはとても短い記事でした

それから数ヶ月経った頃でしょうか、生家で暮らす家族に会ったとき

「そー言えば大変な事があったんょ」と、母と兄が言います

生家の山の竹藪で人骨が見つかり事情聴取されたり大変だった。んだと

亡骸はうちの家族とは無縁の人でしたが

その方の実母が生家地域の出の方、土地勘があったんでしょうか

小さい頃のいい思い出が残る場所へと、足が向いたんでしょうか

その少し前

母が竹の子を堀りに行って「靴が捨てられている事を不思議に思った」

当時そう言っていたのを思い出します

その時にはすでに近くに亡骸があったんだと思います

頭骨が竹の子の成長とともに現れた・・・やっと見つけてもらえた

事情は分かりません。でも、とても悲しい事だと思います

見ず知らずの方に、母は花を供えて手を合わせました

自ら・・・

それは簡単に一言では言い尽くせないそれぞれの背景があり

狭いコミュニティの田舎では外に漏れる事を恐れ独りで抱えこむ

自ら命を絶つ方が人知れず多い現実があるように思います

 

祖母と兄家族と暮らしていた、74歳だった母が自死した3年前

葬儀の日だったその日は母の日

4月頃から母の日商戦が始まり、母の日が近づくと今も気持ちが沈む

助けてあげれなかったという、後悔の念にさいなまれる

今年は母の日と命日が重なり心穏やかにはいられなかった

1つ1つの事が鮮明にフラッシュバックする

些細なことで涙する頻度は減ったけけれど、堂々巡りを繰り返す

ワタシ的にはパンドラの箱

感情と共に閉じ込めた母の形見が詰った箱を開けてしまった

そろそろ・・・大丈夫になってるかも?

カビたり痛む前にどうにかしないと

大事にしていた、ワタシの記憶にも残る着物類を風に通す

自宅に母の部屋のニオイ、着物のショウノウの香りが充満してる

やっぱりツライ、片付けも断捨離も一休み

ネットで着物たとう紙をポチッとしたから、届くまでに心の準備

無になって母の遺品整理で自室の物を処分しましたが

自宅に持ち帰ったもの、着物、最後の手紙、花木類、それらはただのものですが

昭和41年に両親が祝言を挙げた時の着物まであるんだから、重いです

まだ簡単にすべてを捨てられそうにありません

ただただ、感情を捨てて物を処分できる魔法があればな。。

 

通夜に行くその早朝のこと

何故自分がこんな形で人生を終わりにしたのか

微霊感があるワタシに母が伝えてくる

それをきっかけにワタシに不思議な事が起きるようになります

死にたいほどの苦しみがあったから死んだのに

死んでからも何か伝えたい事があり彷徨ってるのがわかる

決して楽になった訳じゃない

この世とあの世の狭間で

母がどうしているのかと思うと心配でたまりませんでした

嘆き憔悴する自分の背中を、目に見えない温もりで包まれる

母なんだと思いました

ごく最近では・・・これは夢だと思いますが

母の日の翌日に久しぶりに見た母は笑顔を見せ懐かしい声を聞かせてくれた

どこまで行ったのかなぁ

今後も消えることのない苦悩を母の日が来る度に感じ

母の日は

「気付いてあげれなくて助けてあげれなくてごめんなさい」と手を合わせる日

愛する家族を自死で失う、これ以上のフシアワセはないのです

 

今後、おいおいに書く事ができたらなと思います

 

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