2013.2.10 (日)
故郷に戻って新しい暮らしを始めたものの、予想よりずっと早く親の介護に直面している知り合いが、一年ぶりに東京に戻ってきている。
なかなか会えない娘や息子に囲まれて、電話の声がどこかはずんでいた。
「思いどおりにならないのが人生だってこと、この年になって初めてわかった」と言うけど、私からすれば、彼女のこれまでもなかなか大変だった気がする。そうやって、「こんなはずじゃなかった」と言いながら、初めての大きな山を登るような思いで、人は一つ一つ険しい日々を越えていくんだろうか。
だから、一つどころかいくつもの山を越えていけるのかもしれないなあ。
彼女にとって、よい連休になりますように・・・。
■「秘すれば花」
http://www.tbs.co.jp/TONBI/
一週間遅れで、録画しておいた「とんび」を見た。
ココに書いたとおり、またまたツボのいうところで泣いてしまったワタシです。悔しい・・・。
父と子のつながりももちろんグッとくるけれど、周囲の人が地味に小さく光っています。大人になると、ときに人の存在が重くしんどくなることが多く、こんなに人嫌いだったっけ?と自分を振り返ることもしばしばある。軽くつながっていたほうがいいよね、とか。
でも、このドラマの住職や住職の息子や、たえ子ねえちゃんのたたずまいを見ていると、こんなふうな大人になりたいもんだとか、そんなまじめなことを考えてしまう。もう十分に大人なはずなのに(笑)。
「秘すれば花」を初めて教えてくれたのは、近所の日本舞踊の先生。
子どもの私にも「美しい容姿」と優しいたたずまいがステキで、そのうえ病弱な奥さんにいつも穏やかに話しかけ、そして大の洋画好きで、幼い私に映画「落ちた偶像」を教えてくれた方です。
子どもの私にはあまりよくわからなかったけれど、世阿弥の「花伝書」が伝える芸事の何かを話してくれたのだと。
「とんび」をきっかけに、さっき「秘すれば花」を検索してみたら、その意味は微妙にさまざまで、きれいに理解するのは実はなかなか難しい。
ただ前回の「とんび」で私が感じたそれは、やはり言葉をこえた思いや、言葉を尽くして説明するよりもっと深いものがある、ということか。
う~ん、恥や後悔で来し方を振り返りつつ、薄っぺらな言葉で自分の思いを語っていなかったか、人に説いていなかったか、という思いはあるなあ。
言葉は大事で、伝えなければわからないことがたくさんあると・・・それは事実だと思うけれど、私はひょっとして、それに甘えすぎていたかもしれないな。自分の欲求をおさえて、「秘すれば花」を咲かせる術を(こういう言い方もいやですが)手にしてもよい年齢になっているのかもしれない、と。
■「上意討ち」
http://www.tv-asahi.co.jp/jouiuchi/
理不尽な、今では考えられない出来事だけど、その「理不尽さ」が異常であればあるほど、見ているほうの気持ちが揺さぶられます。
武芸の実力はすごいけれど、実は恐妻家で、職場でもとくに目立つ人ではなかった主人公が息子夫婦のつながりに生涯で一度の行動に出る。前半の飄々としたそうすと最後の悲壮感の振れ幅の大きさに、田村正和が揺れていました。
意志と愛を貫く息子の緒形直人の目にひきこまれました。
予想よりずっとよかったのは、仲間由紀恵。時代劇では期待できない「女性の強い意志」がみごとに自然に伝わりました。
今、たまたまテレビをつけたら、森昌子さんが「片思い」を歌っていて・・・。
しばしテレビの前で立ったまま、聴き惚れてしまった。
青春の思い出の曲です。切ない思いを抱えて、口ずさみながら暗い道を歩いたことだってある。
メロディーもいいけど、安井かずみの歌詞がなんとも切ないのですよ。
森昌子さんの歌唱は、のびやかな声と抑えた感じが好ましく、私にとっては歌謡曲ではなく、上質なポップスとなっていました。
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