2016.2.1(月)
■初恋の嵐 奇跡の 『セカンド』
あの頃、西山くんがまだいた頃、「初恋の嵐」なんてバンド名、なんなの?と一瞬でも思った自分を恥じたい。
西山くん亡き後にリリースされたファーストアルバム『初恋に捧ぐ』を何度聴いたことか、聴きながら何度立ち止まったことか。
メロディーにも言葉にもサウンドにも、そして彼の声にも、独特の狭くて深い世界があって、そこに引き込まれる心地よさ。これが10代のときにであったアルバムだったらなあと何度思ったことか。
スピッツがカバーした「初恋に捧ぐ」で彼らを知った人もいるだろう。
無情の悲劇を通って、それでも活動を蘇らせたメンバーへの感謝の気持ちは言葉ではなかなか難しい。
竹内氏のいつもながらの真摯な紹介文も心地よいし、なにより全曲ティザーのすばらしさ。
よかったら、ぜひ聴いてみてください。
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/5818
http://wilsonicjournal.blogspot.jp/2016/01/wilsonic-works-58.html?m=1
http://natalie.mu/music/news/172254
■雪の桜
https://twitter.com/_murayama/status/693238242506727425
昨秋の転倒が原因なのか、年齢からくる脊椎の変形が原因なのか、その痛みを解消すべく打った2本のブロック注射後の痛みが長引き、動かない暮らしがたった半月続いただけで、高齢の母はかなりの手足の筋力低下。
それでもブロック注射が効いたのか痛みが消え、少しずつリハビリを始めようとしていた矢先、転倒による脛骨の骨折。
手術の日も決まり、住宅改修の計画も見直し、新たな日々が始まりました。
ショックが大きいかと思いきや、母は病院で看護師さんや医師から「若い!」と例によっておだてられ、ここ半月の閉じこもりの日々から解放されたかのようにヘンにハイテンションです。この先の遠い長い道のりへの戸惑いはひとまずどこかに追いやってしまったのか?
仕事と実家での母の世話で、世の中の流れをイマイチ把握せぬままに、1月はいってしまいそうです。
救急搬送から最終的に入院先に落ち着くまで、ギプスで固定され車いすに乗った母をつれての二度のタクシー移動は、ほんとうに大変だった。
タクシーの運転手さん、病院の警備の方々の助けがなかったら・・・と思うと、今でも汗が出てくる。
入院してしまえばいいけれど、外来扱いのときって、結構過酷です。
足の筋力も衰え、片方は骨折している車いすの「55キロ!」の母の尿検査のための採尿を、「車いす用のトイレはあちらです」だけで送り出す看護師さんたち。
ええっ!と思いつつも、「できない」と言えない、なぜか言いたくないワタシは、数年前に介護される側の練習台に駆り出されたときのことを思い出しつつ、全身汗びっしょりになって成功させたのです!
これって、どうなんだろう。当然、「無理です!」と言うべきなんだろう。だって、入院した夜、看護師さん2名がトイレにつれていってくれたらしいけど、それ以後は「無理」ってことで、手術までは導尿、ということに落ち着いたらしいし。
実家は父亡き後の十数年、母が少しずつ父から自立して「母の家」にしてきた痕跡があちこちに感じられる。
一人暮らしとは思えない物の量、それでもきちんと機能的に整理されたようす。
私とはことごとく異なる嗜好の母だけれど、母が戻るまで母の匂いをなるべく残して維持していかなければならないなと思いつつ・・・。
母の病棟の談話室から見える夜の東京タワーがいい。
昭和のワタシには、やっぱりこっちだな。
写真はちょっとお恥ずかしい出来ですが・・・。
それにしても、政治家の感覚はわからない。
紙袋の中に見つけた50万円を「適切に処理しておくように」と指示することは、われわれの常識では考えられない。
面と向かって渡されたのではないのだから、ふつうは「これは何?」「どういう意味?」と考えて問い返すのが普通。黙って受け取って、あとでなんか言われたら怖いし・・・と。
時代劇で悪徳代官が「越後屋」(笑)から小判の入った菓子折りを受け取るシーンが浮かんできた、そんな感じ。