隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

街を颯爽と・・・。

2020年05月09日 02時50分02秒 | 日記

2020.05.08(金)



 
 近所で一番好きな木々。
 若い緑、真っ盛り。今年はいつのまにか・・・こんなに鮮やかになっていた。


★コロナと春風
 GW明けの昨日、吉祥寺の公証役場を訪ねる。
 久々の電車。すいていて、開いている窓からは五月の風は勢いよく心地よく入ってきて、人々はマスクで穏やかにそこにいて・・・。なんだ、私たち、結構がんばってるじゃん、と思う。
 足早に舗道を歩きながら、なんとなく人とすれ違うときは道の隅に寄るようにして気を遣う。足早、足早・・・。
 それでも、颯爽と歩けば、コロナの世界にも春風が気持ちよく、体も軽く背筋も伸びる。
 
 知り合いの銀行マンが、地元の商店街の方が受けた「コロナ警察」からの仕打ちにショックを受けていた。
 私たちはついつい自分の尺度で世の中を見て、批判することに時間を費やしてしまう。「私たちは」じゃなくて、「私は」か?
 正しいことをしている、ちゃんとしたことを主張しているという信念が強すぎるとき、自分を危険なほうへエスカレートさせる。そういうときが、そういう人が、最も危険なんだ、醜いんだ、と自覚して、ほっとする。
 絶対に正しい、なんてないんだ。置かれた場所や境遇によって、「正しいこと」が微妙に異なったりする。
 コロナはそういうことに気づかせてくれる。
 命と暮らし・・・。どちらも大切だ。「いやいや、命がいちばん大事でしょ!」と思っていたし、今でも本心はそうだけど、暮らしが立ちいかなくなることへの恐れは切実でよくわかる。
 そのバランスをどうしたらいいのか。
 結局、誰も明確には答えてくれない。
 

★死ぬ前に「更地」にしたいけど
 GW中の3日間は、実家にこもって1か月後にひかえた解体までの準備で、家の中の整理に明け暮れた。
 半年前から、母の許可のもと、少しずつ進めてはいたけれど、タイムリミットがどんどん迫ってきて、そして緊急事態宣言が出て、すべてが思うように進まなくなった。
 それでもフガフガ言っていてもしかたない。エイヤッ!と重い腰をあげる。

 こんな事態にならなければ、桜のころに(実家のすぐ近くの玉川上水の暗渠につくられた公園の古い桜の木が毎年、見事!)、母を囲んで、母の知り合いや、母をよく訪ねてくれる私の友人たちに集まってもらって、ランチして、母の集めた食器や小物を選んでもらおうと声をかけていたんだけれど、それどころではなくなった。
 せめて、その計画を母にまだ伝えていなくてよかったかな・・・。

 父が亡くなって20年。
 その間に、実家は緩やかに「母の家」になっていたんだなと改めて感じる。父が思いを込めて丁寧に育ててきた家に、月日をかけて母なりの気持ちが積み上げられていたのだ。
 植木が好きだった父の庭は、いつの間にか花が好きな(たぶん)母の色どり鮮やかな庭に変身していった。
 だけどさすがに、住んではいない娘が思いを育てることはできなかった。しかたないと父は笑っているだろうか。
 だけど父の言葉は受け継いで、ここを手放すことはしない。

 ドラマとか映画とか、あまり興味のなかった母が『冬のソナタ』のペ・ヨンジュンにはまって、その共通の趣味で親しくなれた人もいる。
 テレビ台の脇には、いろいろな韓流ドラマのDVDがきれいに整理されていた。
 その中に、母がまだDVDデッキを持っていなかった頃なのか、私の学生時代の友人が母に送ってくれた、ビデオに録画した『冬のソナタ』全編があった。小さな段ボールに入っていて、1つ1つに「第〇話」と記されている。
 すっかり忘れていたなあ、この次会ったときに(いつになるんだろう?)お礼を言わなくては・・・。

 きれいな箱には何十通かの手紙やはがき。
 中には、亡くなった私の親友が母にあてたハガキが何枚かあった。お礼状のような内容に、彼女らしいカラッとしたユーモアと気遣いの言葉が並んでいて、ふと思い出にひたってしまう。

 アルバムも、テーマ別に(仲間との旅行や飼い猫たちの写真、私たち家族の写真とか・・・)新しくまとめてあって、「あとは処分」と書いてある。

 そして、見られてまずいものは1つもない。
 そういう類のものがなかったとは思えない(誰にだって何かしらあるだろう)。
 母の「私は死なない気がするの」発言から私たちは母を「不死身の〇〇子」と陰で呼んでいるけれど、そんな母でも母なりに「終活」はあったんだろうか。骨折はいかにも急に母を襲ったけれど、母なりの予感はあったんだろうか?

 それにしても、前にも書いたけど、人のものを整理したり処分したり・・・は、尋常の仕事ではない。懐かしさに震えることもあるけれど、重くてきつい「労働」だ。
 まともに受け止めると、ひどいことをしているような気分になるから、たぶん私は何かに憑かれたように時を飛び越えて作業している。だから、実はあまり疲れない・・・。
 (ちなみに遺品の整理ではないので、母の大事なものは私の家に移動させることになる)

 そして結局、自分のことを考える。
 自分のものを誰かが整理するのはとても耐えられないから、極力避けたいけれど、死ぬときに100%完全に「更地」にしておくことはできない。予告のある死ばかりではないだろうし。
 さて、どうしたもんだろう。世間でさかんに言われている「終活」はイマイチ、ぴんとこなくて、だけど最善策は見つからないままだ。


 ちなみに、母のいない実家に、アベノマスク、とっくに届いています。
 
 不良品ではなかったので、以前に母がお世話になった地元のケアマネジャーに託しました。
 いまからでも遅くないから、マスクはやめて、ほかの支援に税金を回せないものか・・・。



★「初夏の日」と「ランプ」
 電車の中で聴いたスピッツシャッフル。
 「初夏の日」と「ランプ」をしみじみ聴く。
 
 「時が流れるのは しょうがないな♪」
 「君がいるってことで 自分の位置もわかる♪」
 「街にあふれる歌 誰かをさがしてる くだらないって言いながら 同じだなぁ♪」
 「あなたに会いたいから どれほど遠くまででも♪」 
 
 誰かを思う時間と、そこで見せてくれる化学反応は、私に自分のいちばん戻りたい季節を思い出させてくれる。年齢なんて関係ないんだと、若くて生意気だった私に言ってやりたい。
 すいている電車で、車窓を飛んでいく春の景色を見ながら聴く曲たちは、みんなラブソングに聴こえた。

 

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2 コメント

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初めてのコメントです (passion)
2020-05-09 18:18:10
初めてコメントさせていただきます。
ご実家を手放さないことに感心しました。
父が亡くなって16年、母が亡くなって3年が経ちました。
母が亡くなるまでの10年間同居していましたが築45年の家に住み続ける意思は私になく、それを知っていた弟は私の住む先も決まっていないのにさっさと売って来てしまいました。そこから両親のもの99.9%を短期間で処分。怒涛の日々でした。
父も母も私の息子に継いで欲しいと願っていたのに。本当に親不孝者です。
次の私の仕事は墓じまいと私自身の終活です。
お互い新コロナウイルスに負けることなく、スピッツのライブを心から楽しめる日を待ちましょう。
長々と失礼いたしました。
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はじめまして! (かけら)
2020-05-10 01:23:15
passionさん

コメントありがとうございます。
いろんな事情ありますよね。
えらそうには何も言えません。
感心していただくようなことではなく、いろいろ予想したり計算したり(笑)、父の言葉を思い出したりして決めたにすぎません。
損なことは背負い込みたくないので。
じつは何にもとらわれずに生きて死にたいタイプです。そういいつつ、勝手にしがらみを作っているところもありますが。

そうですね、本当に。
普通の日々がどんな形で戻ってくるのか・・・。
いろいろ想像しつつ、しなやかに生きたいものだけど、なかなか難しいですね。
こんな日々を過ごして、あのライブでのSEを聴いたら、ひょっとして泣けちゃったり??

passionさんもお体に気をつけて!
コメント、ありがとうございました。
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