こんにちは  お元気ですか(上郡町 そとかわピアノ教室)

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小さき者へ

2009年02月07日 | その他
子どもがいじめにあい、不登校になり、そして家庭内暴力を起こしたら・・・・。

親は途方にくれるしかない。

それを、難しい年頃だから、とか
反抗期だからとか、
大人に分かったふりをされることが子どもにとって一番腹立たしいことなのだ、と
父親は、自分が中学生だった頃を振り返りながら息子の俊介に宛てて手紙を書いています。

このストーリーは一貫して父親から息子の俊介にあてた手紙の形態で進んでいきます。
そして、その手紙はもはや息子あてではなく、
父親の、自分自身に向き合うためのものになっていくのです。

中学生のときにはやったビートルズのこと、
鉄道作業員として働く父親を見下していたこと、
友達とのこと、
母親に、大企業に就職した自慢の息子、とほめられ、その期待を裏切らないように頑張ってきたこと、
その大企業があっけなく沈みかけようとしていること、

息子の俊介に呼びかけながら、
なぜ俊介がそんなふうになったかを自分の中学生の頃を思い出しながら
自分もまた弱い人間だったことを認めながら
お父さんのことを分かってほしい、
お母さんのこともわかってやってほしい、と苦悩している。

大人だからわかっていなくちゃいけないと、分かったようなふりをする大人ではなく、
自分と一緒に苦しんでくれる大人を子どもは求めているのです。
答えではなく、一緒に答えを探す旅をしてくれる大人。



でも、これは大人にとっても同じこと言えるんじゃないでしょうか?

分かったようなことを言って、勝手に答えを出す人より、
今、自分が苦しんでいることを全部受け止めてくれる人。
静かに聴いたあと、そうだね、って、共感してくれる人。
答えはいつか自分が出すしかないことは本当は分かっているんです。
だから、ただひたすら聞いてくれる人を望んでいるんじゃないでしょうか?
そういう人って、心からありがたいじゃないですか?

重松清 著「小さき者へ」を読んで