かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

買春も時と場合による?

2018-08-30 16:53:34 | ブログ記事
詳しいことはわからないのですが、

アジア大会のバスケットボール選手4人が買春をしたため、

1年間の公式出場権剝奪という記事を読み、

不謹慎かもしれませんが、

それほど悪いことかなあと思ってしまいました。

ネットのニュースで読んだだけですが、

歓楽街で誘われたとか?

だから買春というより売春があったということなのですね。

売る人がいるから買う人がいる。

まあ物であれば問題ないことですが、

セックスの売買だから問題なわけですね。

が、この場合、だれに迷惑がかかったのでしょうか?

誰も迷惑は被っていないですね。

じゃ何が悪いかというと、法律に反した行為だったからということでしょうか?

が、昔は赤線という国が認めた売買春があったわけですよね。

これをなくした理由は何でしたか?

人によっては、売買春は必要悪であったという人もあります。

これは「性」という人間の根幹にかかわる問題だから、

軽々とは論じられないのですが、

私も、ある意味では必要悪かなという気もします。

「性」は「生」に重なる部分があって、

抑えようにも抑えられない部分があるのではないかと思っています。

その問題を解決する一つの方法が、こうした売買春ではないかと思うところもあります。

現在問題になっている慰安婦問題も、こういうことが絡んでいますね。

韓国側は日本が韓国女性を慰安婦に使ったと世界に訴えているわけですが、

しかし、当時の記録には、

彼女らは自ら志願して慰安婦になったというものもあるようです。

で、あれば、現在、韓国政府が問題にしている慰安婦問題は違う様相を呈してきますね。

だから、今回の処分は、妥当な処分ではあったのでしょうが、

私的には少し違和感を覚えました。

*

★売る人がゐるから買ふといふ人もゐるなることを認めぬ法律(きまり)

★わき出づる性欲なれば抑へるは滝水とめるごとくむづかし

★止められぬ性欲とめて溜まりたるときに犯罪おこる恐れは

★犯罪を未然に防ぐためありし売買春といふ売り買ひよ

★売られれば買ひたくなるは自明の理たとへ禁止をされしものでも

おしめ様

2018-08-30 11:42:00 | ブログ記事
ブロ友さんの今日の記事を読んでいて噴き出してしまった。

その方はプールに入ったとき、

先にプールに入っていたお友達に「お姫様」と呼ばれたと。

それに対してブロ友さんは「未来のおしめ様」と応えられたよし。

う~ん、これはおもしろい。

思うに、われわれ女性は

幼いころから蝶よ花よと大事に育てられ、

自分をずっとお姫様と思っているうちに

あっという間におしめを当てる老婆になってしまう。

小野小町の

花の命は短くて苦しきことのみ多かりき

なのだ。

女性は実家で大事にされていても、

結婚するとたちまち下女にならされてしまう。

私がそうだった。

実家では両親にも、祖父母にも溺愛されていたのに、

いったん嫁いだが最後、

その家の一番低い下女の扱いを受けた。

私だけでなく、私の年代の女性で、同じ待遇を味わった人は多いと思う。

それでも子供のために頑張った。

そしてやっと自分の好きなことができるようになると間もなく、

「おしめ様」になる?

あのおしゃれだった義母も最後は「おしめ様」になったし、

あのしっかり者の実母も、最後は「おしめ様」になった。

赤ちゃんなら「おしめ」すらかわいいが、年寄りのおしめは悲しいだけだ。

「おしめ様」になる前に亡くなりたいと思うが、そうは神様がさせてくれないだろう。

*

★父母祖父母大事に育ててくれにしに嫁げばたちまち下女にされにし

★お嬢様さう呼ばれゐしころもありながら長々生きておしめを

★八頭身美人でありし姑もしつかり者の母もおしめを

★おしめ様さう呼ばれるを厭えども下が緩めば仕方あらざる


むかし障碍者枠で採用されたことがあります

2018-08-30 06:04:16 | ブログ記事
あれは上の二人の子供たちが小学生になって、

私が聴覚障害の認定をしていただいてすぐのころでした。

私は当時、買ったマンションのローンの支払いもあったし、

これから一戸建ての家に移りたいとも思っていたからパートの仕事を探していたのですが、

正直に「耳が遠い」というと、それだけの理由で断られることが多かったです。

そんなころ、新聞の求人欄で、

大企業が障碍者枠で中途採用をしている記事を見つけました。

フルタイムの仕事ではありましたが、

始業時間が他の企業より若干遅かったのと、終業時間も早かったので応募してみました。

当日試験会場に行くと、

私より若い人ばかりが10人ほど集まっていました。

これだけでダメかなと思いましたが、

ダメ元で受けました。

試験は漢字テストと中学くらいのレベルの数学でした。

私は、どういうわけか完璧にできました。

筆記試験のあとは面接試験もありました。

午後試験会場を出た私たち受験者は筆記試験の解答を互いに言い合いながら帰途につきました。

そのとき、ひょっとしたら、私はどちらも満点だったかもしれないと思いました。

自宅に帰り着くとまもなく電話が鳴って、

その当時は私もまだ電話を受けられるくらいの難聴でしたから受話器をとりました。

すると、受験した会社の人事部からの電話でした。

そして、なんと、

「合格されましたので採用させていただきます。来ていただけますか?」と。

あまりにも早い結果通知だったので驚きました。

で、せっかく合格したのだからと受諾しました。

採用されて出社すると、採用されたのは私一人だったことがわかりました。

たぶん私が最年長だったと思いますが、筆記試験の成績がよかったからだったでしょうね。

採用された部署は教育部でした。

社員の教育のお手伝いをさせていただく晴れがましい部署でした。

若いころに勤めた銀行の業務と比べても非常にやりがいのある仕事だったので、

毎日充実した気持ちで勤務させてもらいましたが、

やはりフルタイムの仕事は子持ちには少し無理がありました。

子供たちに負担が大きかったし、

身体も丈夫でない私には家事と仕事の両立は厳しかったです。

そのうえ、不注意にも妊娠までしてしまって、

結局退職せざるを得なくなってしまいました。

子供二人でも経済的にいっぱいいっぱいだったので、

私は生みたくなかったのでしたが、夫が欲しいというので生みました。

それが現在システムエンジニアをしている次男です。

この子を生んだからこそ、現在、我が家のお助けマンになってもらえていますし、、

かわいいお嫁さんにもお嫁に来てもらえたし、待望の男の内孫も授かりました。

人生なにが幸いするかわからないものです。

しかし、この子を産んだことで、当時の我が家の経済状態がより厳しくなったことは
確かなことでした。

が、産めば何とかなるものですね。

経済的な余裕はありませんでしたが、家族5人になって楽しい毎日でした。

家のほうも、高いときに買わないでよかったです。

結果的には、

阪神大震災で夫の実家が半壊になり、

夫がローンを組んで建て直しましたから一戸建ての家を持つことができました。

土地については、

義妹が、姑が亡くなったときに土地代をと言ってきたので、払いましたが

バブルの頃に高い土地を買わなくて(買えなくて?)よかったです。

最初の障碍者採用の話に戻ります。

独身のときに採用されていたのなら理想的な職場だったはずでしたが、

結婚していたためもあって、それを棒に振ったのは残念至極でした。

が、これも人生なのでしょう。

自分の体験から、この障碍者枠の採用は今後も続けてほしいと思うし、

今回問題になっているような不正のないことを望みます。