かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

人は、それを失くして初めてそのありがたみがわかる

2018-09-07 23:24:31 | ブログ記事
このところ立て続けに災害が続くが、

人は当たり前の生活を失くして初めてそのありがたみがわかるということが多い。

災害ではないが、現在、私は聴力の八割くらいを失ってしまっている。(=80デシベル)

補聴器をつけていても限界がある。

だから、わずかでも聞こえることのありがたみは身に染みる。

また心臓弁膜症の手術を受けて現在は元気に暮らしているが、

子供のころより頑張りがきかなかった。

マラソンなどは、走れば走るほど顔色が悪くなるので免除されたくらいだった。

だから、健康な人がうらやましい。

健康な人は、それが当たり前であるからありがたみを感じることもないと思うが、

ふつうに生きて生活できることが、どれだけありがたいことか。

話を災害に戻す。

このたびの台風、地震の被害を受けられた人々には一日も早く元の生活に戻られることを祈りつつ

しかし、これは自戒を込めて書くのだが、

災害に遭って初めて普通の生活のありがたみを感じられた方も多かったのではないかと推察する。

最近の日本列島では、いつどこで何が起こるかわからない。

そういう状況だから、

私も常に非常事態を想定して暮らしていたいと思う。

また、私たちのような障碍者は、

健康な人々に、

常に私たち障碍者の立場を想定していただきたいとも願う。

災害にしても、障碍にしても、

当たり前の生活を失くしてから初めてそのありがたみに気づくのではなく、

常に、

すでに失くしている、あるいは失くした人たちに思いを馳せる想像力をもちたい、もっていただきたい

と思う。

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2 コメント

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Unknown (西北)
2018-09-08 14:10:09
聴力、そおなんですね。
耳の近くで、大きな声でゆっくり話すと
聴こえますか?
いつどこで、何が起きてもおかしくない
ですね。
でも、もお来なくていいよ災害。
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西北さんへ (びこ)
2018-09-08 14:23:23
みな私がもっと聞こえているように誤解をします。

しかし実際の聴力は80デシベル近いですから、2割くらいしか聞こえていないのです。

別に近くで話していただかなくても、ある程度の大きさの声で明瞭に話していただければ、たいがいは聞き取れます。いや聞き取れない部分も推測して内容を把握できるといったほうが正確かも。

そのため、人は、私が聞こえているように誤解するのです。

人はいつ私のような障碍者になるかわかりません。

災害でいつ普通の生活ができなるかもわからないのと同様に。

いつもコメントありがとうございます。
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