おばあさんはその時のうれしさを語っていた

2007-04-14 | 社会

中日春秋 2007年4月14日

 散り果てたさくらがあれば、いま盛りのさくらがある。それが日々の話題になり、新聞などに取り上げられる▼さくらは別格の扱いとしても、花々というものは人の暮らしに欠かせない。先輩記者から教えられて、前にも紹介した読者のこの言葉は本当と思う。「私にとっては時には政治家のスキャンダルよりも、卓上の一輪のバラの咲いたことのほうが『大事件』であるのです」▼美しさ、かぐわしさ、清らかさ…。さまざまな花が与えてくれるものは、重く暗いニュースの絶え間ない時だからこそ、一層心にしみるようだ。そんな気持ちにさせるのは、花だけではないだろう。人のささやかな行いが、大きなニュースよりも心に残ることがある▼北陸中日新聞にこんな話題があった。能登半島地震で石川県輪島市門前町の八十歳代の夫妻が小学校の校庭に避難したとき。やはり避難してきた高校の女子生徒たちが、寒さや怖さで震える夫妻を見かねて、着ていた法被(はっぴ)をかけてあげた。生徒たちは、地域の祭りで披露する予定だったよさこいソーランの練習中だった▼生徒たちは「返さなくていいよ」と言ってくれた法被。その一着を夫妻の親類が感謝の手紙を添えて学校に返した。生徒は「不安そうなお年寄りを見て自分たちがしっかりしなきゃと思って」と感謝されたことを喜ぶ。おばあさんはその時のうれしさを語っていた▼被災地は、まだ大変な日が続く。ただ、夫妻をいたわって戻ってきた法被と笑顔の若者の写真を見れば、かぐわしく咲いた一輪の花を見るような心地がする。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。