清原和博被告の裁判 懲役2年6か月を求刑 2016/5/17 「執行猶予つけず、実刑を科すべし」(来栖の独白)

2016-05-17 | 社会

清原被告 涙ながらに謝罪 野球に対する思いも
 NHK NEWS WEB 2016/5月17日 18時47分
 覚醒剤を使った罪などに問われている元プロ野球選手の清原和博被告の裁判が東京地方裁判所で開かれました。清原被告はストレスや不安の解消のために薬物を使い続けてきたことを明かし、涙ながらに謝罪する一方、野球に対する思いも語りました。
 清原被告は紺色のスーツと青色のネクタイ姿で法廷に入り、裁判官に職業を聞かれると、「無職です」と答えました。
 そして覚醒剤を使った罪などについて「間違いありません」と述べ、起訴された内容を認めました。
本人への質問では、覚醒剤を使うようになった時期について「引退後まもなく」と説明し、現役時代の使用は否定しました。
 覚醒剤を使った理由については、「9歳からずっと野球をやっていて、その中のストレスやプレッシャー、不安は野球で解決できた。しかし社会の中のストレスや不安は解決法がなく、こういう思いから薬物に手を出したのだと思う」と話しました。
 また、「使うたびに後悔し、やめようと思ったこともある。それでもやめられなかったのは、自分の弱さが原因だ。社会に適応できない自分から逃げていた」と話しました。
 覚醒剤の入手経路については、清原被告と共に起訴されている小林和之被告とその知人から手に入れたと説明し、暴力団の関与は否定しました。
 覚醒剤を使っていた頻度や、これまでにいくら払ったかについては、「よく覚えていません」などと具体的には説明しませんでした。
 清原被告は時折すすり泣きながら質問に答え、特に家族に対する思いを聞かれると、「2人の息子には申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と、ことばを詰まらせていました。
 そして、「自分の犯した罪でたくさんの人を裏切り、本当に申し訳ありません」と謝罪しました。
 今後については、「自分の罪を野球でというのは、野球に対して失礼だ。まずは自分の心と体を健康にして、野球に向き合いたい。自分は野球しかしてこなかったので」と、ことばを選びながら話していました。
 また、法廷では清原被告の立ち直りについても審理されました。清原被告の弁護士は、病気で法廷に来ることができなかった父親の手紙を読み上げました。
 手紙には、「人の役に立つ人間に生まれ変わってほしい。親としてできるかぎり支援したい」とつづられていました。
 弁護士は、清原被告の親類が立ち直りを支援する会を立ち上げたことや、寛大な判決を求める480人分の署名が集まっていることも明らかにしました。
 古くからの友人で日米の野球界で活躍した佐々木主浩さんは、法廷で証言に立ち、「裏切られたという思いはないが、ただただショックでした。もっと僕らがそばにいて、相談に乗ってあげられたのではないかと後悔しています」と話しました。
 そして、「彼を支援したいという先輩や後輩、同級生は大勢います。同級生とは彼と野球教室やボランティアをやっていこうと話しています。彼にはこれからも野球に関わる仕事をしてほしい。2回目はないと信じています」と述べました。
 清原被告は涙を拭きながら、佐々木さんを見つめていました。
 一方、検察は、「覚醒剤が被告の生活の一部になっていたことは明らかだ。引退後もタレントとして注目される存在でありながら違法な行為をしていたが、家族や知人が監督を約束するなど有利な事情もある」として、懲役2年6か月を求刑しました。
 これに対して弁護側は、保護観察の付いた執行猶予の判決にするよう求めました。
 最後に清原被告は「本当に申し訳ありませんでした」と述べ、深く頭を下げました。
 法廷を後にするときには、佐々木さんと握手を交わしていました。
 審理は17日ですべて終わり、判決は今月31日午後1時半に言い渡されます。

 ◎上記事は[NHK NEWS WEB]からの転載・引用です *強調(太字・着色)は来栖
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〈来栖の独白〉
>寛大な判決を求める480人分の署名が集まっている
 覚醒剤使用は、再犯率が高い。防ぐためには、初犯であっても執行猶予を付けず(実刑を科して)、人からも覚醒剤からも厳重に隔離することしかない。被告は人一倍寂しがり屋で、心の弱い人間のようだ。「寛大な判決を求める480人」は、この見極めがついていない。
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 産経ニュース 2016.5.17 20:57更新
【清原和博被告初公判】「心弱くやめられず」 “番長”の豪快さなく
 「寂しさやプレッシャー、ストレスに耐えきれなくなり、1人になると衝動的に使ってしまった」
 覚せい剤取締法違反の罪に問われた元プロ野球選手、清原和博被告(48)は17日の初公判で、引退後の身の置き場のなさや現実の辛さから生活がすさみ、覚醒剤に手を染めていった“転落の軌跡”を涙ながらに語った。一方、覚醒剤の入手ルートは明確にならず、不透明さも残った。
 この日、深く一礼して法廷に入った清原被告は、紺色のスーツに白いシャツ、青色のネクタイ姿。ひげはきれいにそってあった。
 裁判官に職業を尋ねられると、消え入りそうな声で「無職です」。大きな背中を丸め、声を震わせながら話す様子は、“番長”と呼ばれた往年の豪快な印象からはほど遠かった。
 検察側が明らかにした供述調書によると、「現役を引退した平成20年ごろから覚醒剤を始めた」という清原被告。動機については「現役時代は野球でストレスや不安を解決できたが、引退で目標をなくした。左足も故障で不自由になった。コーチや監督になりたいと思ったが、依頼はなかった。心の隙間を埋めるように覚醒剤を使うようになった」と説明した。
 「自宅には子供がいるため、たいていホテルで覚醒剤を使った。26年に週刊誌に覚醒剤疑惑を書かれ、マスコミの仕事も減った。本当に孤独だった。収入や仕事に不安があり、心が弱くやめられなかった
 そこで、26年に知り合った密売人の小林和之被告(45)=清原被告への譲渡罪で公判中=に連絡。両腕に注射の痕ができるほどの常習者になったという。
 被告人質問では改めて現在の心境を語った。
 「引退後、趣味を持とうと思ったが、ひざの故障で日常生活もままならず、見つからなかった。失望させたファン、プロを目指す子供たち、野球界、親…多くの人を裏切り申し訳ない」と声を震わせて涙をぬぐった。その上で、「覚醒剤をやめるため自殺も考えていた。しかし以前の自分とこれからの自分は決定的に違う」と薬物を断つ決意を述べた。
 ただ、不透明さも残った。検察側は「遅くとも20年ごろから覚醒剤を使い始めた」として小林被告と知り合う以前の入手方法を尋ねたが、清原被告は「小林被告を紹介してくれた人からだ」とだけ答え、ルートは明かさなかった。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です *強調(太字・着色)は来栖
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清原和博容疑者逮捕 覚せい剤取締法違反 調べに素直に応じ、容疑を認めた 2016/2/3
◇ 「番長」清原和博の「さみしすぎる」ボッチ正月 2016 離れて暮らす息子、認知症の母親への思いと涙
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