舞台の変化から目を背けた中国寄り外交は、とんだ片思い

2009-12-29 | 政治
日経新聞 社説 「失われた20年」に終止符を打てるか(12/29)
 リーマン・ショックの荒波をもろに受けた1年前、日経平均株価は8000円台だった。鉱工業生産が前年比2割減り、実質国内総生産(GDP)は前期比年率で1割強のピッチで落ち込んでいた。
 日本ばかりではない。世界中が金融システムの崩壊と1930年代のような大不況の到来におびえていた。それをひとまず回避できただけでも、2009年は「良い年」だったというべきだろう。
政権は変わったが
 それなのに、冬の雪国のようなどんよりとした雲が、日本をすっぽりと覆っている。8月の総選挙で民主党が大勝し、9月には政権交代を実現した。有権者は自民党長期政権との決別を選択した。
 鳩山政権はマニフェスト(政権公約)を前面に掲げ、子ども手当やガソリン暫定税率の廃止をうたった。一方で消費税率の向こう4年間の据え置きも約束し、ムダを削ることによって公約を果たせると主張した。
 麻生政権の補正予算を約3兆円削り、10年度予算についても事業仕分けで切り込みを図った。しがらみのない新しい政権ならではの仕事であるが、景気は予想していたより厳しく、暫定税率の廃止の約束は引っ込めざるを得なかった。政権公約を守れなかった責任よりも、そもそも実現できないような公約を掲げたことにこそ、問題があった。
 政権は景気や税収の動向といったマクロ経済運営の視点を欠いている。設備投資判断はその典型だ。政府は12月の月例経済報告で企業の設備投資判断を下方修正した。
 だが、その前の11月には、生産の増加などを理由に判断を上方修正していた。たった1カ月で設備投資に関する判断を上げ下げするなどというのは、異例であり失態だ。
 普通なら生産は設備投資に結びつくのだが、経営者が先行きに対する自信を持てないからだ。「設備の稼働率が依然低いなか、マクロ政策が読めないことが不安心理を招いている。政府はこの空気を読めないでいる」と双日総合研究所の吉崎達彦副所長はいう。
 日本の名目GDPはリーマン・ショックの前の水準を50兆円も下回ったまま。供給に対する大幅な需要不足は、継続的な物価下落と雇用の悪化を招いている。このぬかるみから脱却するためには、何よりも政府が企業の役割を軽視していないとのメッセージを打ち出す必要がある。
 日本を取り巻く国際環境も、大きく変わった。今年1月には米国で民主党のオバマ政権が誕生し、経済活動における政府の役割を重視する「大きな政府」にかじを切った。
 ブッシュ政権の下で単独主義が目立ったとされる外交も、対話路線へと転換した。特に「核なき世界」をうたったプラハ演説はオバマ外交の象徴とされ、ノーベル平和賞の授賞理由となったが、アフガニスタン問題をみても現実は厳しい。
 誠に残念なことに、鳩山政権は普天間基地の移設問題などで、オバマ政権とささくれ立った雰囲気をつくってしまった。このことは、オバマ政権の経済外交との絡みでも、日本の立場を微妙なものにしかねない。
 11月の東京でのオバマ演説にも明らかなように、(1)米家計が過剰債務を抱えるため、個人消費には期待しづらい(2)米国は外需が頼りである(3)成長が著しい中国などアジア市場に加わっていきたい――というのが、米国の基本的な考え方だ。
 米国と中国が7月に本格的な戦略・経済対話を始めたのも、こうした方針に沿ったものだ。日本国内では米国と距離を置こうとするような議論が台頭しているが、舞台の変化から目を背けた中国寄り外交はとんだ片思いになりかねまい。
終わらない大競争時代
 やや長い目でみれば、今年はバブルの頂点だった1989年から20年。東西冷戦の終わりを象徴するベルリンの壁の崩壊からも20年が過ぎた。新興国をも巻き込んだグローバルな大競争時代に、日本は勝ち組とはなれず、経済の停滞が続いた。
 バブル崩壊後の90年代には公共投資で経済を下支えしたが、政府の支出というカンフル剤が切れるたびに、景気は失速した。00年代には小泉政権がバブルの後遺症である不良債権の抜本処理に成功し、経済はいったん上向いたが、その間に外需への依存度が著しく高まった。
 リーマン・ショックの打撃がひときわ大きかったのはこのためだ。いま鳩山政権は経済の内需主導への転換を唱える。だが、その政策が単に配分を見直すだけで成長の芽を見いだせないならば、「失われた20年」からの脱却は難しい。
 危難に遭遇したダチョウは頭を砂にうずめるというが、それでは何の問題解決にもならない。日本以外のアジアと世界はグローバルな競争に挑み続ける。政権も国民ももっと問題に真正面から取り組むときだ。

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