『野中広務 差別と権力』人権啓発なんてできようはずがない. 追記事(2008/09/27)

2008-08-18 | 政治
<自民>「次は麻生さん」…森元首相、テレビ番組で発言
(毎日新聞 - 08月17日 20:11)
 自民党の森喜朗元首相は17日、テレビ朝日の報道番組で、麻生太郎幹事長について「福田康夫首相の無味乾燥な話より、麻生さんのような面白い話が受けるに決まっている」と述べた。その上で「わが党も麻生人気を大いに活用しないといけない。『次は麻生さんに』の気持ちは多いと思う。私も、もちろんそう思っている」と、「ポスト福田」は麻生氏が望ましいとの考えを示した。
 衆院解散・総選挙の時期に関しては「首相判断であり、我々がとやかく言うことではないが、来年9月まで任期がある。それを無駄にしてはいけない」と述べ、急ぐべきではないとの考えを強調した。【近藤大介】
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『野中広務 差別と権力』(魚住照著:講談社発行)より
 二〇〇三年九月二十一日、野中は最後の自民党総務会に臨んだ。議題は党三役人事の承認である。楕円形のテーブルに総裁の小泉や幹事長の山崎拓、政調会長の麻生太郎ら約三十人が座っていた。
 午前十一時からはじまった総務会は淡々と進み、執行部側から総裁選後の党人事に関する報告が行われた。十一時十五分、会長の掘内光雄が、
「人事権は総裁にありますが、異議はありますか?」
 と発言すると、出席者たちは、
「異議なし!」
 と応じた。堀内の目の前に座っていた野中が、
「総務会長!」
 と甲高い声を上げたのはそのときだった。
 立ち上がった野中は、
「総務会長、この発言は、私の最後の発言と肝に銘じて申し上げます」
 と断って、山崎拓の女性スキャンダルに触れた後で、政調会長の麻生のほうに顔を向けた。
「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」
 野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。
 この国の歴史で被差別出身の事実を隠さずに政治活動を行い、権力の中枢にまでたどり着いた人間は野中しかいない。彼は「人間はなした仕事によって評価をされるのだ。そういう道筋を俺がひこう」と心に誓いながら、誰も足を踏み入れたことのない険しい山道を登ってきた。ようやく頂上にたどり着こうとしたところで耳に飛び込んできた麻生の言葉は、彼の半世紀にわたる苦闘の意味を全否定するものだったにちがいない。
 総務会で野中は最後に、
「人権擁護法案は参議院で真剣に議論すれば一日で議決できます。速やかに議決をお願いします」
 と言った。人権擁護法の制定は野中が政治生活の最後に取り組んだ仕事である。だが、人権委員会の所管官庁をめぐって与野党の意見が対立し、実質審議が行われないまま廃案になった。
 それは野中の政治力の衰えを象徴する出来事でもあった。
「もう永田町にオレの居場所がなくなってしもたんや」
 野中はこんな言葉を残して政界を去った。
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<追記事>
47コラム(9月27日 憲)
 アイヌ民族問題、成田空港反対闘争、日教組問題。
 ご丁寧にこれら3つものテーマで問題発言をした中山成彬・国交相が辞めた。歴史的な政権選択となる衆院選を目前にした大事なときに、このような政治家を閣僚にした麻生太郎首相の軽率さに唖然とさせられる。特に日教組絡みの「解体」「ぶっ壊す」発言は、中山氏の3テーマにわたる問題発言から2日たった27日の昼間になってのことだ。首相が本人にブレーキをかける暇はあったはずだ。ニューヨークからは27日未明に帰国している。リーダーシップがない、統率力がないと思われても仕方がない。麻生首相自身、総務相だった3年前の10月に、日本の民族問題で中山氏と同じような発言をして抗議を受けたことがある。それは九州国立博物館(大宰府)の開館記念式典でのことだった。「(日本は)一国家、一文明、一言語、一文化、一民族。ほかの国を探してもない」と祝辞で述べている。日教組批判でも首相の熱っぽさはよく知られている。だから閣僚の人選が軽率だった、身体検査が甘かった、あるいは任命責任を問う、などという次元にとどまらないような気がしてくる
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北海道新聞 卓上四季
単一民族(9月27日)
日本神話にヤマトタケルの物語が出てくる。西国の熊襲(くまそ)を征服、東国に転じて「荒ぶる蝦夷(えみし)」を平定した、と古事記にある▼勢力を各地に広げた大和朝廷という、支配する側の歴史観で書かれた話だ。ヤマトタケルが力尽きて死んだ後、魂は白鳥となって飛んだ、と美化されている。征服された人々から見れば違う物語が生まれたはずである▼「日本はずいぶん内向きな、単一民族と言いますか…」。中山成彬・国交相が述べた。アイヌ民族の存在などまったく念頭にないような物言いだ。ほかの問題発言とともに、「私人としての発言だ」「大臣としての自覚が足りなかった」と撤回した▼就任翌日のことだ。ずいぶんと言葉が軽い。しかも、アイヌ民族を先住民族と認める国会決議が六月にあったばかりだ。文科相も務めたこの人の中では、あの決議に重みなどなかったのだろうか▼有力政治家の口から、時々こうした発言が飛び出す。理解できないことだ。麻生首相も三年前「(日本は)一文明、一言語、一文化、一民族」などと述べている。北海道ウタリ協会から抗議され釈明文を書いた。民主党の山岡賢次国対委員長は、昨年「私らはアイヌの血を引く蛮族」などと語った▼あらためて国会決議を読む。民族の独自性を認めない同化政策で伝統的な生活が制限、禁止されたことを「厳粛に受け止め」るとしている。言葉だけではいけない。

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