「昭和天皇」戦争責任の苦悩が生んだ「今上陛下」の“制服アレルギー” (2/2)

2018-09-10 | 雲上

「昭和天皇」戦争責任の苦悩が生んだ「今上陛下」の“制服アレルギー”
社会 週刊新潮 2018年9月6日号掲載
「昭和天皇」戦争責任の苦悩が生んだ「今上陛下」の「制服アレルギー」(2/2)
「戦争責任のことをいわれる」「長生きするとろくなことはない」……8月23日に新聞各紙が報じた元侍従・小林忍氏が記した日記には、昭和天皇の人間らしさが垣間見えるものだった。こうした戦争責任を巡る苦悩や譲位、平和への思いは、密にコミュニケーションを取られていた今上天皇に引き継がれていた、と宮内庁関係者は指摘する。
「今回の日記は、昭和天皇が我が子に伝えていた思いが、改めて資料として出てきたと位置づけられるかもしれません」
 今上天皇が続けてこられたパラオやペリリュー島への「慰霊の旅」、そして「制服アレルギー」に、繋がっていった。
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 近年まで天皇陛下から遠ざけられてきた組織がある。自衛隊だ。さる防衛省関係者は事実だとし、こんな例を挙げる。
「08年5月の海上保安制度創設60周年を祝う記念式典には、天皇皇后両陛下がご臨席され、これまでに殉職した保安官と遺族に弔意を表されました。しかし一方で、2千人近い殉職者を数える自衛隊の公式行事に両陛下のご光臨を賜ったことはありません。昭和天皇に関して言えば、ご搭乗の自衛隊ヘリは自衛隊飛行場ではなく、隣接する警察施設に着陸していました」
 今上陛下に仕えた川島裕前侍従長は、「日中戦争勃発時、葉山御用邸に滞在していた昭和天皇が海軍の軍服に着替え、帰京したのを覚えていると陛下から聞かされた」(東京新聞17年12月2日)と述懐している。「自衛隊との距離」は今上陛下の、いわば制服アレルギーの証左なのか。
「いや、天皇陛下ご自身の意向ではなく、宮内庁や警察庁の官僚、自民党の左派政治家たちによる忖度の結果だと思うのです。自衛隊をできるだけ権力に近づけさせまいとする力が長らく『慣行』として働いてきたのでしょう。これは自衛隊への警戒感の表れであるとともに、ハレーションが起こることを避けようという意図もあるはずです」(先の防衛省関係者)
*“制服を見たくありません”
 20年ほど前の制服絡みのエピソードを振り返るのは、ある警察庁の関係者である。
「両陛下が“制服を見たくありません”と内々におっしゃいましてね。地方に行幸される際に、交通整理などをする制服警官の存在が国民との距離を遠ざけている可能性があるのではないかというお考えでした。それからはできるだけ、警備から制服は外して私服を増やしたり、お車が近づけば私服がつけている腕章を取ったりして対応していました。もちろん制服の方が何かと抑止力になるのですが。またあるときは、信号を全部青にしてしまうのはよろしくないのではないかともおっしゃいました。それでその通り、信号を操作しない警備を実施したのですが、赤信号で停車された際に、近づいてくる人がいたんですね。不審者が混じっている可能性もあり、警備としては相当困難だということをご理解頂き、信号の件は元通りになったという経緯があります」
 制服アレルギーと同時に「国民との距離」にも十分に配慮されていた、それゆえにというわけだ。
 再び今回の日記に戻って、麗澤大の八木秀次教授はこんな見方をする。
「昭和天皇は辞める選択肢がなかったため、天皇であり続けました。将来の天皇がもし退位したいと思われたとき、その前例があれば、同じようにしてくださいと、おっしゃる可能性も出てきます。安定的な皇位の継承のためにどうしていくべきなのか。改めて課題が浮き彫りになりました」
 この点、先の宮内庁関係者は、
「昭和天皇は戦後に何度も退位を仄めかされていましたし、老境に入られても公務が満足にできないくらいなら長くその地位に留まっている意味がないと、今回の日記で吐露されている。それは今上陛下が生前退位を選択された理由にも繋がっているのでしょう。戦争責任への苦悩とともに、そのテーマもまた、ご父子の間で引き継がれているのだと強く思いました」
 譲位前の平成最後の夏。その終わりに明るみに出た日記は、それ自身が陽の目を見るタイミングを図っていたということにもなる。

 特集「『小林侍従日記』で明るみに出た新事実 『昭和天皇』戦争責任の苦悩が生んだ『今上陛下』の『制服アレルギー』」より

 ◎上記事は[[デイリー新潮]からの転載・引用です

* 侍従日記が明るみに出す 「昭和天皇」戦争責任の苦悩が生んだ「今上陛下」の“制服アレルギー”(1/2)
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