世を去る 友をば かえりみたまえ 死こそは 神への 門出なりせば 2017.3.1

2017-03-01 | 日録

〈来栖の独白 2017.3.1 Wed〉
 母(=92歳)が誤嚥性肺炎で(肺炎自体は落ち着いたが)全身弱り、重篤な状態ということで、岡山の実家へ暫く帰省していた。末梢からの点滴吸収にも限りがあり、医師から、延命措置についての家族の意見も訊かれた。5年前の胃瘻施術以来、よく生きてくれたと思う。2月24日(Fri)、0時過ぎに亡くなった。当日、通夜。翌日、葬儀。私は、心身ともに疲労困憊したが、家族に支えられた。
 昨日、家人に吐露したことだが、「認知症に加え、胃瘻施術以降、意識レベルが下がり、母とは会話が成立しなくなっていた。私が一方的に『お母さん、ありがとう』『痛いところ、無い?』などと、話しかける歳月。だから、母が亡くなった今、さほどの変化と感じない」。
 母には、苦労ばかり掛けた。私の人生は、母によって、生きていくことができるようになった。食べることや花や音楽、海外旅行が好きだった母。その母が、最後の5年間は、胃瘻となり、食べる楽しみはもとより、会話もできなかった。このような「生」に何の意味があるのか・・・、胃瘻は私が選択したことだったが、深く悩まないではいられなかった。このような状態で生きる母は、もしかしたら、いや、多分「私からの『お母さん、ありがとう』を聞き届けてくれるために存在してくれているのではないか」、そのように考えた。また、母の生涯について考えないではいられない近年であった。数年前、必要があって、母の戸籍謄本を引き出したところ、そこに、母が私に語らなかった事実が記載されていた。また、母は教職を天職として全うしながら、私には一度も「教師になれ」とは言わなかったが、それについても、母の哀しみの人生を垣間見るように、遅れてやっと理解した近年の私だった。両親ともに教師だったから、私は当然のように大学では教職課程も履修したのだけれど、母は、教師になるよりも、結婚を勧めた。

 疲労困憊している私を、26日(Sun)、次男が「カトリック岡山教会へ行こう」と誘ってくれた。とてもよかった。 
 ミサで心が安らいだ。また、実家に十字架がなく、拠り所がないので名古屋の自宅から何か持ってこようと考えていたところ、教会で十字架も買い、神父さんに祝別もして戴けた。早速、2F、ピアノの上に。母もよく弾いたピアノ。これまで十字架不在の心もとなさなんて、感じたこともなかった。よほど、心よわっているのか、とあらためて思ったことだ。
 成年後見制度保佐人の「終了報告」もあるし、相続の手続きもある。が、主はいつも私に安息を備えていてくださる。

    
 26日は年間第8主日。第1朗読は「イザヤ49・14~15」

  しかしシオンは言った、「主はわたしを捨て、主はわたしを忘れられた」と。
  「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない。

* 第2朗読 コリントの信徒への手紙1 4章1~5節

* 答唱詩編 9①②
 荒れ地のかわき果てた土のように 」

* 福音朗読 マタイによる福音書 6章24~34節

 (その時、イエスは弟子たちに言われた。)「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。
 だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

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 昨年から、特に心惹かれてよく弾き歌うカトリック聖歌。このところ、ほぼ毎日、母に捧げている。
【世を去る友】 (#445)

1 世を去る 友をば かえりみたまえ
  死こそは 神への 門出なりせば 
2 愛の みあるじよ かなしき わかれ
   み旨と あおぎて 忍びて あらなん 
3 主に 賜わりては 主に 召さるるぞ
   此上(こよ)なき 御恵み(みめぐみ) おもうも なみだ 
4 とうとき 御陰(みかげ)を たのみまつりて
   逝きにし 霊(たま)をぞ 御手(みて)に ゆだねる

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母が誤嚥性肺炎で入院したのが、1月20日。その後、〈来栖の独白 2017.2.4 Sat 〉
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4 コメント

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悲しみ (あやか)
2017-03-02 16:18:00
お母さまが、御帰天されたとの事、承りました。
宥子さまの、お悲しみもさぞかしの事と思います。
イザヤ書と聖歌の御引用も、拝読しました。
人の生死の事を思いますと、まことに厳粛で敬虔なこころもちになります。
お母さまも、今ごろは天国におられ、皆様を見守っておられるにちがいありません。
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Re;悲しみ (ゆうこ)
2017-03-02 20:36:25
あやか様
 温かいコメント、心より感謝します。母は身軽になって、会いたい人々に会っているのかもしれません。
 ほんとうにお優しいコメント、ありがとうございます。
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Unknown (ベル)
2017-03-03 21:43:15
ゆうこさん
お疲れの中コメント頂きありがとうございました
葬儀のため実家に帰っていたとのことで
気になりブログ読ませていただきました
私の義父も4年間入院生活全く意思の疎通のないまま2年前に亡くなりました
義母は毎日病院に行き洗濯物持って帰ってきて翌日その洗濯物をもっていく
毎日元気に通っていた義母ですが義父が亡くなると支えが無くなったように寝込み
一気に老け込んでしまいました 義父が亡くなってから4年間義父が義母を支えていたのだと感じました
ゆうこさんのお母様ずっとゆうこさんを支えていらっしゃったのでしょうね
お母様痛みもや苦しみから解放され天国から皆様を支えてくれることでしょう
お母様のご冥福をお祈り申し上げます。
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ベルさんへ (ゆうこ)
2017-03-03 22:27:56
 コメント、感謝です。嬉しいです。
 先ほど、ベルさんのほうへ感謝のリコメ、入れたところです。
 ほんとにありがとう。
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