光市事件元少年「私のような者のためにありがとうございます」 『殺人者はいかに誕生したか』長谷川博一著

2016-04-16 | 光市母子殺害事件

殺人者はいかに誕生したか―「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く 臨床心理士・長谷川博一著 新潮社 2010年11月刊 (新潮文庫=平成27年4月1日発行)

第4章 私のような者のために、ありがとうございます
 光市母子殺害事件 元少年

p133~
 「悲劇を繰り返さないために」

 私は、少年時代に凶悪事件を起こしたある被告人と初めての面会をするために、2008年4月の夕方、広島へと足を運びました。あらかじめ電報で簡単な自己紹介と面会の意図は伝えておきました。翌朝いちばんに拘置所の手続きを済ませ、そして対面した青年・・・・。その歓迎ぶりは、まるで私が来るのを待ち焦がれていたのかと錯覚させるほどのものでした。
 姿勢を正し、あどけない笑みとともに発した最初の言葉----
「私のような者のためにわざわざ来てくださり、ありがとうございます」
 明らかな自己卑下する性格傾向。しかしそれをおおい隠す凛々しさもあり、また、意図的にそれと対比させようとしているかのように、幼児の雰囲気も漂わせている。何も知らずに接した人は、きっと彼に好印象を抱くことでしょう。
p134~
 私が忘れられないのは、読み取れない不思議な光を放つ瞳でした。それは純粋さの反映なのか、警戒なのか・・・。穏やかにも見えるが、怒りの潜伏にも感じられる・・・。あるいは全身全霊で人の心中をうかがおうとしているのか・・・。
 それにしてもその穏やかさは、つい三日前に死刑判決が言い渡された被告人のものではありません。ちょうど最高裁から広島高裁へ差し戻された控訴審において、それまでの無期懲役から死刑へと判決が変わった(2008年4月22日)というタイミング。その27歳の青年は、9年前(1999年当時18歳1カ月)、山口県光市で本村洋さんの妻・弥生さんと、生後11カ月の娘さんを殺害した元少年でした。
 私は、電報に打ったことをくり返しました。
「あなたは裁判で正しく理解されていない。理解されなくてはならないと思う」
 彼は再び「ありがとうございます」と言い、ほほ笑みました。どうやらこの人なつっこさは、彼が知らないうちに身に備わったもののようです。そうなった背景には相当に根深い事情があるはずです。
「成育史に答えがある」
 私の心理臨床家としてのカンは強くそう主張するのでした。
 差し戻し審になって、元少年と21人の弁護団は供述を大きく変えました。
p133~
 それまでは取り調べの結果を認めて反省も述べていましたが、一転して犯行事実の相当部分を否定し、動機を大きく覆したのです。
 (中略)
 彼の新しい主張は、現実的にはまったく受け入れられませんでした。裁判所も、被告人は「嘘」を言うようになったと考え、こうして少年事件であっても死刑を回避する理由がなくなったとの判断が下されました。
 この青年が犯した事実に争う余地はありません。しかし、私はその残忍さとは相容れない「人物像」に迫らなくてはならないとの思いに駆られていたのです。どうして(p135~)この痛ましいできごとが生じたのか、法廷内での議論が不十分ならば、場外で追究するしかないのです。
「これから中立的立場で、あなたの身に起こった事実を調べたいと思っています」
 私の申し出を彼は快諾しました。頻繁に通い、彼の本音の語りを通して明らかにしていこうと、決意を固めました。
 それもつかの間、五~六分たったころでしょうか。立ち会いの拘置所職員に内線電話で連絡が入りました。被告人の彼に何やら耳打ちをし、そして職員が私に「面会の女性が来たので、入れてください」と言うのです。驚きました。
 一般面会は1日1回と決められているので、私が1人で手続きをして面会すれば、だれも会えないはずなのに・・・。

 思いも寄らぬ壁

 面会中、私への確認なく突然に入りこんできた女性。彼女も、私の訪問を歓迎していました。そして3人で今後について軽い打ち合わせを行いました。(略)
p136~
 あとから知ることになりますが、この女性は、弁護団の指示で動いていた。死刑廃止論を唱える地元の女性だったのでした。
 被告人の依頼通り、私は広島の主任弁護士に会いました。
 そして---
「長谷川先生には、弁護団の依頼として動いてもらえませんか?」
 最初に出てきたこの言葉が今でも耳から離れません。それは、私が恐れていたことだからです。
 検察官とも弁護人ともスタンスを異にした中立的な第三者による調査が、本件については(p138~)不可欠でした。それまでの弁護人の依頼でなされた2つの鑑定も、弁護人が立ち会いながら言葉をはさむという環境で実施されていました。この方法では、鑑定内容の信憑性が疑われても仕方がありません。2人の鑑定人のうちの1人は、私と懇意にしている人でした。(略)
「中立的な立場で調べなくては意味がありません」
 私がそう言うと、主任弁護士の顔は険しくなり、
「では、彼との面会はお断りします」と・・・。
 これはおかしな発想です。面会を受けるか否かの判断は、被告人に与えられた権利だからです。
 私は「今後、独自に面会・調査させていただきます」と明言し、弁護士事務所をあとにしました。
 間もなく司法の場から消えることになる元少年。彼の心の深みをこれから探索していく。その大仕事を前にして、彼を取り巻く人間関係に腑に落ちない点がますます膨らんでいくのでした。
 初対面の私への歓迎。弁護人の指示への忠実さ。そこに彼の主体性はどれほど関与(p139~)しているのでしょう。主体性、いや迎合性が、彼という人間を解く上でのひとつの鍵になり、それは犯行の残酷さとも無縁ではない。そのような思考が頭を巡りました。
 後日、本人に連絡をして再び広島に入りました。すると夜の十時半ごろ、ホテルにいる私の携帯に着信がありました。21人の弁護団の一人からです。
 唐突に---
「明日の面会はしないでくださいよ。まさかもう広島ですか」
 強い口調の声が響きました。
「はい、広島です」と答えると、彼は「主任弁護士から断っているはず」と言います。「ですから、弁護団の依頼でなく独自に調査しますと伝えました」と応じました。
 押し問答の末、私は、「あなたに携帯の番号を教えてはいません。それに夜遅くに面識もない人から突然、電話をもらうなど・・・失礼では?」と言い、その場を終えました。
 この面会は元少年にしか知らせていない。携帯の番号はあのときの女性にしか知らせていない。そのどちらも弁護士は知っていた・・・。どうやらこれは被告人との勝負ではないな、私はそう気づきました。(略)
pp140~
 翌朝早く、拘置所の受付前に1番で並んでいると、先日の女性が遠くの電柱の陰から私を見つけ、誰かに電話をかけました。私が受付手続きを済ませると同時に、前夜の弁護士がやってきて、弁護士面会としてすぐに中に入ってしまいました(一般面会よりも弁護士面会が優先されます)。待っている間、女性が陰から私を見張り続け、時々電話をします。たぶん中の弁護士に「まだ待っている」と連絡を入れていたのでしょう。どうしても会わせたくないようです。結局この日は会えませんでした。
 その翌日は面会妨害はありませんでした。その代わりに「本人が面会拒否です」と職員から申し訳なさそうに告げられました。監視役の女性もいないことから、被告人本人への説得がうまくいったのでしょう。(略)

p141~
 自分の意思が見つからない

 被告人に毎週のように手紙を書きましたが、返事は来ませんでした。彼は手紙を嫌がっているのか、そうではないのか・・・。返事を書きたくないのか、そうではないのか・・・。面会の様子と、彼を取り巻く人間たちとの関係を考えると、強く制止されているのでは、との結論が導き出されます。私の手紙の内容は、彼が主体的に事件に向き合えるようエンパワメントするものになっていきました。
「自分の気持、考えで判断し、行動すればいい」
「あなたには、その力がある」
 一方通行の手紙が十通目を超えた頃、突然彼から電報が届きました。
「○○です お手紙頂いています 大変にありがたいです
 礼をしないのは本意ではないのでひとまずすみません」
(略)
p142~
 ここに初めて、2年以上前の電報を公表しました。それを抑えていたのは、弁護団に知られると、おそらく彼は強く叱責され、コントロールはさらに強まり、自分の意思で語るという目標から遠ざかってしまうと考えたからです。27歳になっても、彼は他人の期待に合わせることを行動原理の基本に据え、自分の意思は無きものとして抑え込んでいるのです。もしかすると18歳の犯行時、彼が長年封印してきた本物の負の感情が爆発的に表出されたのかもしれません。
 弁護団の1人が打ち明けてくれました(これも初めての公表です)。
「裁判でのストーリー(新供述)は、本人と弁護団で話し合って作った部分がある」
 彼一人では、心理世界としてあれほど一貫したストーリーは作り出せない。それでも断片的には彼の心が語られてはいる。そのような私の見立ては真実性を帯びたものとなっていきました。
 彼が私の面会に歓迎を示したのも、私の期待に沿ったためでしょう。そして、電報に書かれた「礼をしないのは本意ではない・・・」という意思も、こまめに手紙を書く私に対する配慮だった可能性を否定はできません。彼には自分の「真意」を感じ取ることすらできないのかもしれません。
p143~
 犯行直後、家庭裁判所で作られた社会記録があります。知能指数は106と中程度であるにもかかわらず、TATという心理検査(絵画を見て物語を作らせるもの)の結果を「発達レベルは4、5歳と評価できる」と記しているのです。知能検査では実年齢に近い19歳相当なのに、物語の創作では幼児という、精神発達のバランスの大きな崩れを持っていたのです。
 これまでの彼の残した発言や記述には、まるで別人のものではないかと思わせるような「大人性」と「幼児性」が混在しています。精神機能のある側面は発達し、他は幼児の状態のままなのかもしれません。あるいはコンディションが大きく変わるためかもしれません。私への電報は理知的な大人の文言です。新供述の「復活の儀式」や「ドラえもん」は幼児に特有の魔術的思考そのものです。そらに、これらとは次元を異にする迎合性が顕著です。
 彼のこの複雑な性格を理解しない限り、「かりそめの真意」は接する人の数だけ生まれるでしょう。そして各人がそれを「本物の真意」と信じ込んでしまうでしょう。少しでも誘導的なやりとりがあれば(言外の意程度であっても)、犯行ストーリーは変遷していくでしょう。残念ながら、誰にも犯行動機をとらえることはできないということです。
p144~
 精神発達の著しい遅れと強い迎合性。それを彼は、どのようにして身につけたのか。幼少期の生育環境と無縁でないことは、言うまでもありません。(略)

 歪む世界で育つこと

p145~
 (略)
 さて、光市事件の元少年は、どのような過去を背負っていたのでしょうか。弁護団の犯行ストーリーは保留しておくとして、家裁の調査などで明らかになっている成育史を整理することにします。
p146~
 物心つく頃から、会社員である父親は母親に激しい暴力をふるっていました。彼は自然と弱い側、つまり母親をかばうようになり、そのため彼にも暴力の矛先が向けられました。小学校に上がると、理由なく殴られるようになりました。海でボートに乗っているとき、父親にわざと転覆させられ、這い上がろうとする彼はさらに突き落されるということが起きます。3、4年生のときには、風呂場で足を持って逆さ吊りにされ、浴槽に上半身を入れられ、溺れそうになったことが何度かあります。
 常に父親の暴力に怯えていた母と息子。彼は父親の圧倒的な力に屈し、反抗心を潜伏させなくてはなりませんでした。児童虐待に後遺症が深刻なのは、幼少期から慢性ストレスにさらされ、脳の働きに異変が生じていることに関係しています。通常は、現実的判断機能が低下する傾向が進み、さらには苦痛を免れるために空想世界への逃避も生じさせます。
 この母子は運命共同体であり、その心身の距離を急速に近づけていきました。母親をかばった日の夜は、息子は母親の布団に入って寝ました。二人で寄り添い、抱き合いながら、彼は甘い温もりの時間を過ごします。そのとき、母親はこう優しく語りかけたのです。
p146~
「将来、一緒に結婚して暮らそう」
「お前に似た子どもができるといいね」
母親はまた、父親が所有するわいせつな写真本を息子に見せたりもしました。こうして、彼の心中に、抱きしめられたいという幼児的な願望と大人びた性的な欲求が、交錯・混乱して存在していたと考えられます。
 小学校高学年頃から母親のうつ症状は悪化し、薬と酒の量が増え、自殺未遂を繰り返します。彼が自殺を止めたこともあり、彼にとって母親は「守られたい」けど「守りたい」存在でもあったのです。このように錯綜する相容れない感情をいだく対象が母親であり、ひどく歪んだ共生関係に陥っていました。
 中学1年(1993年)の9月22日、母親は自宅ガレージで首を吊って自殺しました。母親の遺体と、その横で黙って立っている父親の姿を彼は覚えています。(以下略)

p140
 【附記】被告人の実名本が出版される等、氏名は明らかになっていますが、犯行時18歳30日の少年だったことを考慮し、本稿では匿名としました。
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光市事件裁判が残したもの 見落とされた争点「迎合性」(中日新聞2012/2/27)長谷川博一
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光市母子殺害事件 元少年の実名本(増田美智子著)「違法性なし」が確定 最高裁2014年9月29日付け
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