「村木さんの事件は例外じゃない。鈴木宗男さんも本当なら無罪だ」特捜部という組織、捜査の手法が問題だ

2010-09-29 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

「冤罪救助請負人」緊急対談
 人呼んで冤罪救助請負人―。村木厚子元厚生労働省局長の無罪を勝ち取った弘中惇一郎弁護士(64)と、足利事件で菅家利和氏の冤罪を晴らした佐藤博史弁護士(61)は、これまで検察権力と戦い無罪を勝ち取ってきた。新党大地の鈴木宗男前衆院議員の事件ではタッグを組んだ2人が特捜捜査を告発する。
佐藤 元厚生労働省局長の村木厚子さん(54=現・内閣府政策統括官)の事件の無罪判決は画期的でした。これまで、事件への関与を認める供述調書を取られてしまうと、裁判で覆すのは非常に難しかった。しかし、今回、裁判所は「いくら具体的で迫真性のある調書でも、客観的証拠と符合しなければダメだ」と大阪地検特捜部のつくった供述調書を証拠としてほとんど採用しませんでした。その結果、控訴断念にまで追い込んだ。
弘中 まさか、捜査を主導する主任検事が証拠まで改ざんしているとは思いませんでしたが…。出廷した関係者全員が、捜査段階で作成された調書を翻したことに加え、「意に反した調書を取られて悔しかった」と被疑者ノートに詳細に書きとめていたり、抗議の内容証明を送っていたり、客観的な証拠があったことも大きかったですね。
佐藤 しかし、これで検察特捜部のあり方がクローズアップされ、鈴木宗男さん(62)の事件にも光があたるかと思ったら、村木さんの判決の3日前、最高裁は上告を棄却しました。私は何か国家の意思というものを感じましたね。
弘中 ええ。村木さんの事件も宗男さんの事件も構図としては同じですからね。まず、検察は関係者を呼びつけて長時間にわたって取り調べる。しかも、話を聞くわけではなく、検事が自分の考えたストーリーに基づいた調書を突きつけて、「こうだったはずだ」、だから、「これにサインしろ」とやる。
佐藤 宗男さんの事件でも、わいろを渡したとされた製材会社幹部は、検事に「会社をつぶしたくなければ検察に協力しろ」と脅されて、意に沿わない調書に署名させられている。
弘中 客観的証拠を無視してつくられた事件、という点でも一緒ですよね。村木さんの事件で、検察は当初、障害者自立支援法をスムーズに成立させたいがために、大物議員である民主党の石井一参院議員の口利きを受けた、というストーリーを描いていました。しかし、後に、その当時は障害者自立支援法なんて影も形もなく、口利きを受け入れる動機にはなり得ないことが判明した。ところが、不思議なことに、09年6月7、8日の2日間に、村木さんの上司や厚労省関係者が一斉に「障害者自立支援法案を通すために議員案件を受けた」という趣旨の調書を取られているんです。事実ではない供述を複数の人が一斉に話すなんてあり得ない。確実に主任検事が「こういう調書を取れ」と号令をかけたんです。
佐藤 私が手がけた別の東京地検の事件でも同じことがありましたよ。検察の常套手段なのでしょう。ある特捜部経験者がこんなことをリポートに書いています。特捜部の捜査というのは「鵜飼(うか)い」であると。特捜部の調べの信用性というのは、まったく先入観や情報を持たない検事が鵜のように集めてきた証拠や供述を、鵜匠(うしょう)にあたる主任検事がパズルのように当てはめていく。パズルが一枚の絵になったときに「真相」として報告するのだと。個々の検事は冒頭陳述を聞いて、初めて事件の全体像を知るのだというのです。
弘中 ある意味、それは真実に迫る方法ではありますよね。しかし、村木さんの事件では、その鵜匠自らが、関係者の調書をコピーして検事全員に読ませたり、絵に合うように証拠(フロッピーディスク)を改ざんしたりしていた。
佐藤 主任検事は、中立的な判断を求められる一方で、逮捕した被疑者を必ず、起訴・有罪にしなければならない、という重責を負わされているからでしょう。特捜部には組織としてブレーキをかける役割の人間がいないのです。
弘中 ええ。この事件も前田(恒彦検事)さんが単独でやったこととは思えません。
佐藤 ただ、なぜ村木さんの事件は無罪判決が出て、宗男さんの事件はダメだったのかを考えると、やはり、村木さんの裁判は弘中先生が捜査段階から接見を続け、アドバイスされたことが大きいのではないでしょうか。
弘中 東京から大阪まで20日間、接見に通いましたからね。やはり捜査弁護、一審弁護でしっかりした戦いができるかどうかが重要だと思いますね。身柄を拘束されるというのは異常な状態ですから、目の前に保釈をぶら下げられたり、検事に「否認を続けると刑が重くなる」と脅されたりすると、本人だけで戦うのは困難なんです。
メディアと特捜 性格が似ている
佐藤 その意味で宗男さんの一審についた弁護士は、いわゆる「ヤメ検」だったのですが、腰砕け状態でしたね。検事に呼ばれて「ガサ(家宅捜査)かけるぞ」などと脅され、公判でも検察に遠慮した弁護に終わってしまった。
弘中 事件関係者との信頼関係も大切ですよね。宗男さんの場合は、一審の段階で贈賄側とされた製材会社関係者との信頼関係が崩壊していて、法廷で明確な証言をしてくれなかった。また、残念なのが、非常に重要な証人の一人は亡くなり、もう一人は過酷な取り調べで脳梗塞(こうそく)を起こし、話せなくなってしまったことです。
佐藤 05年に公判前整理手続きが導入されたことで、「証拠開示」が行われるようになったことも大きいですよね。昔は、検察は調書をたくさんつくって、都合のいい調書だけを出してきていましたが、今は出廷する証人の調書はすべて出さなければならなくなった。身柄を取られている人は、すべて取り調べ時間も記録される。以前より、捜査のプロセスがよくわかるようになりました。
弘中 確かに、宗男さんの事件のときは取り調べ状況もわかりづらかった。
佐藤 特捜部をここまで肥大化させたのはメディアの責任も大きいでしょう。宗男さんの事件も、新聞やテレビは「宗男は極悪人だ」という印象を与えるような記事を書き立てました。ですが、当時、宗男さんがかかわったと、メディアが書いた数十にものぼる罪はどれ一つ立件されなかった。
弘中 メディアと特捜部は似ているんですよ。自分たちを正義だと思っていて、真相というものがあると信じ込んでいる。だから、被疑者は極悪であるというストーリーを描いてしまう。都合の良い部分は膨らませ、悪い部分は使わない、わかりやすい話にしてしまうのです。そうした性格が似ているものだから、検察からリークを受けると喜んで書いてしまう。
佐藤 ロッキード事件でも、作家の立花隆さんは、検察と一体になって田中角栄をたたき、ジャーナリストとして名をあげましたし。
弘中 そのメディアの報道を世論が後押ししたというのも大きいでしょう。特捜部が狙うのは国会議員という権力者である宗男さんをはじめ、ライブドア事件の堀江貴文さんやロス疑惑の三浦和義さんなど、お金持ちだったり、女性にモテたり、という庶民の嫉妬心をあおる人だから。
佐藤 その意味でも、村木さんは特異でしたね。地方大学出身で、手がけてきた仕事は労働問題や障害者雇用でしょう。庶民が味方しやすかった。
弘中 主任弁護人として、私が今回、もっとも問題だと思ったのは、事情聴取の段階で、検察は村木さんの無罪を知っていたにもかかわらず、控訴を取り下げなかった。その勇気がなかった点です。
佐藤 まだ、検察は無謬だという幻想にとりつかれているんでしょう。村木さんの事件が明らかにしたのは、特捜部の捜査のあり方が間違っているという事実です。これを機に、宗男さんの事件や特捜部のあり方についても見直す必要があると思います。(10月8日発売週刊朝日24~25頁)
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ムネオ日記
2010年10月2日(土) 鈴 木 宗 男

 最高検は、大阪地検前特捜部長大坪弘道、前副部長佐賀元明を無罪になった、元厚労省村木局長の事件でのデータ改ざんを隠ぺいしたとして逮捕した。新聞はどこも一面トップで扱い、TVも勿論である。
 我々こそが正義、国民から選ばれた国会議員は衆愚(しゅうぐ)の代表であり、我々が世直しをするといった、思い上がっていた一部検察官の実態が明らかになってきた。
 大坪前部長も佐賀副部長も「割り屋」として評価されてきたそうだが、自分たちのシナリオ、ストーリーに沿って強圧的に、時には誘導して調書を作っていく姿が目に浮かぶ。
 私の事件でも、検察に呼ばれた人は、呼ばれただけで萎縮(いしゅく)し、検察の言いなりになっている。
 密室での遮断、隔離された中での取調べがいかに公正、公平を欠いているか読者の皆さんには、是非ともおわかりいただきたい。だから、可視化が必要なのである。
 そして今回の問題を大阪地検特捜部だけの問題にしてはいけない。検察全体にあるこれまでの姿である。ジャーナリストの魚住昭さんが、東京新聞26面に次のように話している。
・特捜だけの責任か(ジャーナリストの魚住昭さんの話)
 長年特捜部を批判してきた私だが、今回の二人の逮捕には疑問を感じる。最高検に二人を逮捕する資格はない。最高検は特捜部などの捜査をチェックする立場にあり、公判前にも途中にも矛盾に気付いていたはずだからだ。
 特捜部から事件の報告を受けた際、矛盾に気付きながら見て見ぬふりしたとしたら、広義では犯人隠ぺいの片棒を担いだも同じだ。最高検は特捜部に責任を押しつけ、責任拡大を抑えようとしているように見える。
 今回は証拠改ざんが発覚して騒がれているが、そもそも特捜部という組織の体質、伝統的な捜査の手法が問題だ。検察は自らに有利な証拠を集めて供述調書を作り、逆に不利な証拠は隠すか、無視する。そこに焦点を当てないと、個人的犯罪に終わってしまう。(2010年10月2日東京新聞朝刊社会面26面)

 読者の皆さんと一緒に考えていきたい。
 それにしても、私自身暗澹(あんたん)たる思いだ。この事件が2週間前に出てたら、最高裁は私の上告棄却をしただろうか。最高裁が1カ月、いや20日後に上告棄却を出そうとしたら、出せただろうか。一寸(ちょっと)した巡り合わせで大きな差があることを改めて考えるものである。
 私のやまりん、島田事件も検察によって最初から「鈴木ありき」でシナリオ、ストーリーを作られ、参考人、証人から検察の都合の良い調書が作られ、その調書を一審二審と裁判官は鵜呑(うの)みにしている。
 真実、事実が書かれている調書なら良いが、デタラメな強圧的に誘導され作られた調書を信用性があると裁判官は判断する。何ともおかしな話である。
 全国民は検察のあり方に捜査の手法に特別の関心を持っている。
 真の公正、公平、フェアな社会をつくる為にも、何よりも正直者がバカを見ない社会にする為にも私は闘っていく。
 今、よくTVに新聞に名前の出る伊藤鉄男最高検次長検事は、私を逮捕した時の特捜部長である。同じく最高検の八木検事は私を逮捕する時の副部長で、なんと私を北方四島人道支援、三井物産ディーゼル発電供与でしゃにむに逮捕しようとして特別チームまで作った男である。
 私は三井物産から、モノを頼まれた事もお金は一円たりとも関係なかった。それでも私をやろうとしたのである。
 これはやまりん事件で私を取り調べていた、当時の谷川特捜副部長が教えてくれたものである。こうした人達に「正義」とか「真実」とかを求めるのは無理である。
 小さな出世や自己保身しか考えない人に「法と証拠」などと言ってほしくない。
 私は私に与えられた環境・立場で私の事件も含め、えん罪をなくすために堂々と発信していく。
 読者の皆さんのご理解を戴きたい。
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ムネオ日記
2010年10月3日(日) 鈴 木 宗 男

 昨日、諏訪大社をお参りする。山に囲まれ、厳粛な雰囲気の諏訪大社に歴史を感じながら、頭を垂れ、しばし黙考(もっこう)する。自らを反省しながらも、ねつ造調書を作り、人を訴え、そのデタラメな調書をもとに人を裁く権力側の自己保身、心の無さを自ら見聞し経験した者として、神の前で公平、公正とは何かを自問自答する。
 「鈴木さん、おのれ見ておれ、の気持ちを忘れてはいけません」と言った声が聞こえてきた思いである。心洗われるひと時を過ごすことが出来、感謝の気持ちでいっぱいであった。
 本日の信濃毎日新聞31面に検察内部捜査中で「調書そのものが捏造(ねつぞう)」という見出し記事がある。全文紹介したい。
検察内部捜査中「調書そのものが捏造(ねつぞう)」
 かつて東京地検特捜部に在籍していた現職の男性検事は、同僚の特捜検事が自嘲(じちょう)気味につぶやいた言葉が忘れられない。
 「ぼくの作った供述調書は全部うそ。上司のオーダーに合わせて取ったものだ。だましですよ」
 当時、2人は中央政界を巻き込む大型汚職事件の捜査を担当しており、容疑者を取り調べる東京拘置所(東拘)内で偶然一緒になった。
 その東拘で男性検事は、奇妙な光景を目の当たりにする。同僚検事らが容疑者を取り調べている最中なのに、それに立ち会うはずの複数の検察事務官が検察官控室で待機していた。
 「なぜ、ここにいるんだよ」。男性検事が尋ねると、事務官の一人はこう答えた。
 「担当検事に『いなくていい』と言われたので…」
 取調べ中は事務官を外し、容疑者に調書の署名を求めた後などに部屋に入れる。その間、どんなやりとりがあったのか当事者以外には分からない―。「これが東拘の実態」と男性検事。自身はこの〝慣習〟をおかしいと思い、受け入れなかったという。
 捜査官が容疑者を取り調べたり、参考人から事情を聴いたりした内容をまとめる供述調書。押収資料のフロッピーディスクを改ざんしたとされる大阪地検特捜部の前田恒彦が主任検事を務めた厚生労働省文書偽造事件の公判では、検察の強引な取り調べが判明し、調書の大半が証拠能力なしとされた。
 男性検事は特捜部の経験を踏まえ吐き捨てるように言った。
 「供述調書そのものが捏造(ねつぞう)だ。主任検事らが取り調べ全体を見回し、内容を修正させる。調書をいじりながら、容疑者が言っていないことを言ったように作るんだ」
 <捜査段階の供述は、真実体験した者でないと語れない迫真性に富んでおり…>。刑事裁判の判決で頻繁に登場するこの表現について、東京地検特捜部時代に大型疑獄事件に携わった元検事は冷ややかに言う。
 「検事だって小説を読む。小説を参考にすれば、誰でも迫真性のある調書ぐらい取れる」
 かつて検察首脳だった別の元検事は、功名心を抱える「古巣」の危うさを認め、「前田も学生時代は正義感にあふれていたのだろう。うちの文化がこういうことをさせてしまったと考えると、わたしの責任も重いと痛感する」と打ち明ける。前田の上司だった前大阪地検特捜部長の大坪弘道らの逮捕に、組織の存亡を懸けた検察の執念を感じている。「もうメンツとかそんな状況じゃない。事実をきっちり調べ上げ、国民に公表しないとどうにもならない。最高検は本気だよ」(呼称略)
(2010年10月3日(日)信濃毎日新聞31面)

 読者の皆さん、現職の検事が言っているのだ。これが検察捜査の実態である。「僕の作った供述調書は、全部ウソ。」この言葉は正直な表現だ。そのウソ・デタラメな調書を信用性が高い、公判での証言は信用性が低いという判決は正しいのだろうか。
 冤罪で泣いている人がいる。作られた事件で、人生を無くした人がいる。その人達の為にも、私は真実を求めて、先頭に立って行動していく。私は朝起きると「運」という字をなぞる。軍(いくさ)がと書いて「運」である。努力しないと闘っていないと、運は無い。私の人生観である。しっかり心してやっていきたい。
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国策捜査はあったのか/疑念は小沢一郎・民主党元幹事長に関する一連の事件を覆う
検察官は一行政官に過ぎない/最高検の調査に客観性を担保する第三者性を持ったチームを構築せよ 
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〈来栖の独白〉
 ムネオ日記は「禁無断転載」である。が、弊ブログでは最近、しばしば「禁」を破っている。ムネオ日記が、より多くの、一人でも多くの人にお読みいただき、日記の主旨を理解して欲しいと望んでいる、と私は解釈するからだ。
 ところで、当エントリのテーマより逸脱するが・・・。
 世に、冤罪に苦しむ人は多い。が、村木さんや宗男氏のように敏腕弁護士に頼める被告人は、ほんの僅かだ。いわゆるロス疑惑の三浦和義さんだが、彼の話を聞いていて、弘中弁護士への厚遇を痛感させられたものだった。
 一方、弁護士について考えてみる。司法試験という難関をめでたく突破しても、皆がみんな、直ぐに好条件の仕事にありつけるわけでもあるまい。今年11月からは、修習生の給与も貸与制となる。
 裁判が、被告人や依頼人の貧富に左右されるとしたら問題だし、切ない。

若手の弁護士の多くが借金をしている


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